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井川 慶


井川 慶
(いがわ けい)

元 ニューヨーク・ヤンキース。

1979年7月13日生まれ、茨城県出身。

身長186cm、体重96kg。
左投げ、左打ち。

『NPB履歴』
水戸商高。 (1997年ドラフト2巡目) 1999年〜2006年阪神・タイガース、 2012年〜2014年オリックス・バファローズ。
『MLB履歴』
(ポスティング制度) 2007年〜2008年ニューヨーク・ヤンキース。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2003年セ・リーグ最優秀防御率。 2003年セ・リーグ最多勝。 2003年セ・リーグ最優秀勝率。 2002年、2004年、2006年セ・リーグ最多奪三振。 2003年セ・リーグMVP。 2003年沢村栄治賞。 2003年セ・リーグ最優秀投手。 2004年“ノーヒットノーラン試合”達成(10.4広島戦)。 2006年NPB通算1,000奪三振達成(4.14広島戦)。

「MLBデビュー」
2007年4月7日オリオールズ戦(ヤンキー・スタジアム)“先発登板”。

「MLBデータ」
2007年MLB初勝利(4.18インディアンス戦)“先発登板”。 2007年MLB初奪三振(4.7オリオールズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算成績」
2005年NPB通算1,000投球回達成(8.23広島戦)。 2006年NPB通算1,000奪三振達成(4.14広島戦)。
  


[井川 慶、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1999 阪神   7  1− 1    15.1/3  11    14  6.46
2000 阪神   9  1− 3    39.1/3  19    37  4.35
2001 阪神  29  9−13   192.0/0  57   171  2.67
2002 阪神  31 14− 9   209.2/3  58   206  2.49
2003 阪神  29 20− 5   206.0/0  64   179  2.80
2004 阪神  29 14−11   200.1/3  83   228  3.73
2005 阪神  27 13− 9   172.1/3  74   145  3.86
2006 阪神  29 14− 9   209.0/0  69   194  2.97
2012 オリックス  12  2− 7    62.0/0  32    36  4.65
2013 オリックス   9  3− 3    48.2/3  14    41  2.59
2014 オリックス   8  2− 2    33.0/0  14    28  3.82
NPB通算 219 93−72 1,387.2/3 495 1,279  3.21
2007 ヤンキース  14  2− 3    67.2/3  47    53  6.25
2008 ヤンキース   2  0− 1     4.0/0   6     0 13.50
MLB通算  16  2− 4    71.2/3  53    53  6.66
日米プロ通算 235 95−76 1,459.1/3 548 1,332  3.38

<通算ホールド NPB-0、MLB-0>




NPBセ・リーグで
“ノーヒットノーラン試合”達成
('04.10.4 広島戦)

   
■2004年10月4日“ノーヒットノーラン試合”達成は広島戦(広島市民球場)でNPBセ・リーグ史上35回目の快挙、バッテリーは野口寿浩。
■2006年11月ポスティング制度ではヤンキースが2,600万194ドルで落札、12月ヤンキースと5年契約の総額2,000万ドル+出来高(50万ドル/毎シーズン)でメジャーリーグ契約。
■2008年7月26日MLB選手登録40人枠(40-Man Roster)を外される。マイナーリーグ契約に切替えて傘下チームのスクラントン/WB(NYY-AAA)でプレイ、ヤンキースと当初契約が5年契約のため残留して再昇格を目指す道を選択。
■2009年シーズンはスクラントン/WB(NYY-AAA)で26試合、10勝8敗0セーブ、145イニング1/3、自責点67、奪三振105、防御率4.15とトリプルAのエースも1度もヤンキースに呼ばれることなく厳しい評価。
■2010年シーズンもスクラントン/WB(NYY-AAA)で22試合、3勝4敗0セーブ、77イニング0/0、自責点37、奪三振68、防御率4.32でチーム在籍通算32勝と記録を更新中ながらヤンキースからコール・アップは掛からず。
■2011年シーズンもスクラントン/WB(NYY-AAA)で4試合、1勝0敗0セーブ、投球回数22イニング2/3、自責点7、奪三振12、防御率2.78でヤンキースとの5年契約も終了。なお、ニューヨーク・タイムズ紙が“The Lost Yankee”(消え去ったヤンキース選手)の見出しでスポーツ面トップから3ページに及ぶ大型特集を組み(7.24)、マイナーリーグ所属ながらマンハッタンの自宅からマイカーで2時間もかけて球場に向かう違和感ある姿や、2011年の年俸が400万ドルであること、ヤンキースがポスティングを含め4,600万ドルもの資金を注ぎ込みながらメジャーリーグ登板は僅か16試合、2勝4敗であることなど「獲得は完全に失敗だった。」とBrian Cashman(ブライアン・キャッシュマン)GMの談話を交え報じた。
■2015年NPBオリックスで1軍登録されないままシーズンを終え、チームの戦力構想から外れる(10.2)。
「NPBデビュー」 1999年5月2日広島戦(阪神甲子園球場)。
「NPBデータ」 1999年NPB初勝利(5.19広島戦)。 2002年NPB初セーブ(10.12広島戦)。 1999年NPB初奪三振(5.7横浜戦)。



 


桑田 真澄


桑田 真澄
(くわた ますみ)

元 ピッツバーグ・パイレーツ。

1968年4月1日生まれ、大阪府出身。

身長174cm、体重80kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
PL学園高。 (1985年ドラフト1巡目) 1986年〜1995年、1997年〜2006年読売・ジャイアンツ。
『MLB履歴』
(自由契約選手) 2007年ピッバーグ・パイレーツ。

『NPBタイトル、記録、表彰』
1987年、2002年セ・リーグ最優秀防御率。 1998年セ・リーグ最優秀勝率。 1994年セ・リーグ最多奪三振。 1994年セ・リーグMVP。 1987年沢村栄治賞。 1987年セ・リーグ最優秀投手。 2001年NPB通算150勝利達成(8.10ヤクルト戦)。 1998年NPB通算1,500奪三振達成(6.17中日戦)。

「MLBデビュー」
2007年6月10日@ヤンキース戦(ヤンキー・スタジアム)“救援登板(中継ぎ)”。

「MLBデータ」
2007年MLB初ホールド(6.19マリナーズ戦)。 2007年MLB初奪三振(6.21マリナーズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
1994年NPB通算100勝利達成(7.6阪神戦)。 2001年NPB通算150勝利達成(8.10ヤクルト戦)。 1991年NPB通算1,000投球回達成(6.21大洋戦)。 1993年NPB通算1,500投球回達成(中日戦)。 1998年NPB通算2,000投球回達成(6.17中日戦)。 2002年NPB通算2,500投球回達成(8.13ヤクルト戦)。 1993年NPB通算1,000奪三振達成(6.12中日戦)。 1998年NPB1,500奪三振達成(6.17中日戦)。


[桑田 真澄、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1986 読売  15   2−  1  0    61.1/3    35    57 5.14
1987 読売  28  15−  6  0   207.2/3    50   151 2.17
1988 読売  27  10− 11  0   198.1/3    75   139 3.40
1989 読売  30  17−  9  0   249.0/0    72   155 2.60
1990 読売  23  14−  7  0   186.1/3    52   115 2.51
1991 読売  28  16−  8  1   227.2/3    80   175 3.16
1992 読売  29  10− 14  0   210.1/3   103   152 4.41
1993 読売  26   8− 15  0   178.0/0    79   158 3.99
1994 読売  28  14− 11  1   207.1/3    58   185 2.52
1995 読売   9   3−  3  0    65.1/3    18    61 2.48
1997 読売  26  10−  7  0   141.0/0    59   104 3.77
1998 読売  27  16−  5  0   181.0/0    82   116 4.08
1999 読売  32   8−  9  5   141.2/3    64   100 4.07
2000 読売  30   5−  8  5    86.0/0    43    49 4.50
2001 読売  16   4−  5  2    50.1/3    27    31 4.83
2002 読売  23  12−  6  0   158.1/3    39   108 2.22
2003 読売  14   5−  3  0    71.1/3    47    46 5.93
2004 読売  16   3−  5  0    79.1/3    57    39 6.47
2005 読売  12   0−  7  0    49.2/3    40    34 7.25
2006 読売   3   1−  1  0    11.2/3     9     5 6.94
NPB通算 442 173−141 14 2,761.2/3 1,089 1,980 3.55
2007 パイレーツ  19   0−  1  0    21.0/0    22    12 9.43
MLB通算  19   0−  1  0    21.0/0    22    12 9.43
日米プロ通算 461 173−142 14 2,782.2/3 1,111 1,992 3.59

<通算ホールド NPB-0、MLB-3>


■2006年シーズンオフにMLB移籍を巨人も理解して自由契約選手、2007年1月パイレーツとマイナーリーグ契約(年俸50万ドル/スプリット契約)。春季キャンプ招待参加でメジャー昇格を目指した3月26日のブルージェイズとのオープン戦で球審と交錯して右足首を捻挫、無念のスタートとなる。リハビリ後、6月9日パイレーツに昇格。
■2007年6月21日マリナーズ戦で6回裏2番手で救援登板して投球回数2イニング0/0、打者7、被安打1、失点0、与四球0、奪三振4、投球数26(ストライク21)とコントロール抜群。7回裏の先頭打者イチローをカウント1-2からの4球目、外角低めのワンバウンドになるカーブ、“レインボール”で空振り三振に仕留める。イチローは「参りましたね。意図があるでしょう、どのボールにもね」と脱帽。
■2009年1月早稲田大学大学院「スポーツ科学研究科」のトップスポーツビジネスを学ぶ修士課程1年コースに合格、2010年に修了。
■2013年1月東京大学、野球部特別コーチに就任(1.8)。
■2014年3月東京大学大学院「総合文化研究科」に合格、2年を目途に投手や野手の動作に関する研究を行う。
■2016年3月BCリーグ、信濃・グランセローズの臨時コーチを引き受け指導に当たる。
■2021年、巨人の1軍投手チーフコーチ補佐に就任(1.12)。巨人のユニホームは15年ぶりで背番号73、宮本和知(1軍投手チーフコーチ)を支える。昨年末(12.28)に原辰徳(監督)が山口寿一(球団オーナー)に相談、宮本和知(1軍投手チーフコーチ)の了解も得て、年明け(1.5)桑田真澄に打診(快諾)、この人事が実現した。シーズンオフ、宮本和知1軍チーフコーチの退任(球団社長付アドバイザーに就任)に伴い1軍チーフコーチに昇格(11.15)。
■2023年シーズンオフ、巨人の来季コーチング・スタッフを発表(10.16)、阿部慎之助が2軍監督から1軍監督に昇格、その後任としてファーム総監督から2軍監督に転任、新体制を下支えする。
「NPBデビュー」 1986年5月25日@中日戦(ナゴヤ球場)。
「NPBデータ」 1986年NPB初勝利(6.5阪神戦)。 1991年NPB初セーブ(4.14広島戦)。 1986年NPB初奪三振(5.25中日戦)。



 


福留 孝介


福留 孝介
(ふくどめ こうすけ)

元 シカゴ・ホワイトソックス。

1977年4月26日生まれ、鹿児島県出身。

身長182cm、体重85kg。
右投げ、左打ち。

『NPB履歴』
PL学園高、 日本生命。 (1998年ドラフト1巡目) 1999年〜2007年中日・ドラゴンズ、 2013年〜2020年阪神・タイガース、 2021年〜2022年中日・ドラゴンズ。
『MLB履歴』
(2007年FA権行使) 2008年〜2011年シカゴ・カブス、 2011年クリーブランド・インディアンス、 2012年シカゴ・ホワイトソックス。 (2012年ニューヨーク・ヤンキース)

『NPBタイトル、表彰、記録』
2002年、2006年セ・リーグ首位打者。 2006年セ・リーグMVP。 2022年セ・リーグ連盟特別表彰(功労賞)。 NPBで2度サイクル安打達成(2003年6月8日広島戦、2016年7月30日中日戦)。 2016年NPB通算1,500安打達成(6.20オリックス戦)。 2021年NPB通算400二塁打達成(4.18広島戦)。 2017年通算NPB250本塁打達成(8.12DeNA戦)。
『MLBタイトル、表彰、記録』
2008年オールスターゲーム出場。

「MLBデビュー」
2008年3月31日ブルワーズ戦(レグレー・フィールド)“先発出場(5番・ライト)”。

「MLBデータ」
2008年MLB初安打(3.31ブルワーズ戦)。 2008年MLB初打点(3.31ブルワーズ戦)。 2008年MLB初本塁打(3.31ブルワーズ戦)“開幕戦”。 2010年MLB初満塁本塁打(4.29ダイヤモンドバックス戦)。 2008年MLB初盗塁(4.3ブルワーズ戦)。 2008年MLB初外野手補殺(4.17レッズ戦)。

「MLB通算記録}
2011年MLB通算500試合出場達成(7.4ナショナルズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2010年NPB-MLB通算1,500試合出場達成(9.29パドレス戦)。 2016年NPB-MLB通算2,000試合出場達成(4.29巨人戦)。 2020年NPB-MLB通算2,500試合出場(9.8DeNA戦)。 2007年NPB通算1,000試合出場(4.6横浜戦)。 2016年NPB通算1,500試合出場達成(9.10ヤクルト戦)。 2021年NPB通算2,000試合出場(10.10DeNA戦)。 2021年NPB-MLB通算10,000打席達成(3.26広島戦)。 2006年NPB通算1,000安打達成(6.14西武戦)。 2010年NPB-MLB通算1,500安打達成(8.15カージナルス戦)。 2016年NPB通算1,500安打達成(6.20オリックス戦)。 2016年NPB-MLB通算2,000安打達成(6.25広島戦)。 2015年NPB通算300二塁打達成(8.16ヤクルト戦)。 2021年NPB通算400二塁打達成(4.18広島戦)。 2019年NPB-MLB通算500二塁打達成(6.16オリックス戦)。 2006年NPB通算150本塁打達成(4.9巨人戦)。 2008年NPB-MLB通算200本塁打達成(7.31ブルワーズ戦)。 2014年NPB通算200本塁打達成(4.29広島戦)。 2015年NPB-MLB通算250本塁打達成(3.29中日戦)。 2017年NPB通算250本塁打達成(8.12DeNA戦)。 2018年NPB-MLB通算300本塁打達成(4.13ヤクルト戦)。 2016年NPB-MLB通算1,000打点達成(5.26ヤクルト戦)。 2019NPB年通算1,000打点達成(4.6広島戦)。 2019年NPB通算1,000得点達成(7.28巨人戦)。 2015年NPB-MLB通算100外野手補殺達成(7.8中日戦)。


 [福留 孝介、通算成績]

年 度 所 属 試 合 打 数 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 打 率
1999 中日   132   461   131  16   52   4 0.284
2000 中日    97   316    80  13   42   8 0.253
2001 中日   120   375    94  15   56   8 0.251
2002 中日   140   542   186  19   65   4 0.343
2003 中日   140   528   165  34   96  10 0.313
2004 中日    92   350    97  23   81   8 0.277
2005 中日   142   515   169  28  103  13 0.328
2006 中日   130   496   174  31  104  11 0.351
2007 中日    81   269    79  13   48   5 0.294
2013 阪神    63   212    42   6   31   0 0.198
2014 阪神   104   312    79   9   34   1 0.253
2015 阪神   140   495   139  20   76   1 0.281
2016 阪神   131   453   141  11   59   0 0.311
2017 阪神   127   441   116  18   79   1 0.263
2018 阪神   123   414   116  14   72   2 0.280
2019 阪神   104   348    89  10   47   0 0.256
2020 阪神   43   78   12   1   12   0 0.154
2021 中日   91  193   42   4   18   0 0.218
2022 中日   23   24    1   0    3   0 0.042
NPB通算 2,023 6,822 1,952 285 1,078  76 0.286
2008 カブス   150   501   129  10   58  12 0.257
2009 カブス   146   499   129  11   54   6 0.259
2010 カブス   130   358    94  13   44   7 0.263
2011 カブス    87   293    80   3   13   2 0.273
インディアンス    59   237    59   5   22   2 0.249
シーズン計   146  530   139   8   35   4 0.262
2012 ホワイトソックス    24    41     7   0    4   0 0.171
MLB通算   596 1,929   498  42  195  29 0.258
日米プロ通算 2,619 8,751 2,450 327 1,273 105 0.280

<通算外野手補殺 NPB-95、MLB-22> <シーズン中途移籍 '11.7.28〜インディアンス>




NPBで
“サイクル安打”達成
('03.6.8 広島戦)



NPBで2度目の
“サイクル安打”達成
('16.7.30 中日戦)



NPB-MLB(日米プロ)
通算500二塁打達成
('19.6.16 オリックス戦)



NPB-MLB(日米プロ)
通算2,000安打達成
('16.6.25 広島戦)



NPB-MLB(日米プロ)
通算300本塁打達成
('18.4.13 ヤクルト戦)



NPB-MLB(日米プロ)
通算1,000打点達成
('16.5.26 ヤクルト戦)

■2003年6月8日NPB広島戦(ナゴヤドーム)でサイクル安打達成。
■2007年球団から右肘関節内の遊離軟骨の状態が思わしくないと説明(7.26)。ロサンゼルス市内の病院でDoctor Lewis Yocum(ルイス・ヨーカム医師)の内視鏡による遊離軟骨の除去手術を受ける(8.21)。以後のシーズンはリハビリに専念することになり、2007年NPB新導入の故障者特例制度でのFA権取得が初適用された。
■2007年シーズンオフにFA権を行使、12月カブスと4年契約の総額4,800万ドルでメジャーリーグ契約。
■2008年3月31日MLBデビュー(ブルワーズ戦)は5番ライトで先発出場、初打席の2回裏1死走者なしでBen Sheets(ベン・シーツ)から二塁打、9回裏無死走者1、2塁でEric Gagne(エリック・ガニエ)から同点本塁打を放つなど、3打数、3安打、3打点、1本塁打、1四球の大活躍でシカゴのファンを沸かせた。なお、試合は延長10回表に1得点され敗れた(スコア4対3)。
■2008年5月3日カージナルス戦にMLBキャリア初の4番・ライトで先発出場。
■2008年6月16日アメリカ野球殿堂奉納試合(カブス対パドレス戦)がニューヨーク州クーパーズ・タウン(ダブルディ・フィールド)で行われ日本人野手として初めて出場した。なお、1939年からの大リーグ2球団による奉納試合(オープン戦)は日程もタイトで選手に負担なので最後とし、2009年からは大リーグ30球団の各代表(OB選手)による記念試合(エキシビション)に衣替する。
■2010年8月10日ジャイアンツ戦の1回表1死走者1塁でTim Lincecum(ティム・リンスカム)投手から右翼場外ホームランを放つ。ジャイアンツ本拠地AT&Tパークの右翼は飛距離130m超えで打球がサンフランシスコ湾の入江、McCovey Cove(マッコビー・コーブ)に届き、水飛沫を上げることからSplash Hit(スプラッシュ・ヒット)と特別に賛辞される。なお、彼の1打は打球が右翼席最上段フェンスの旗に当たり海に落下したため、障害物に触れた打球として公式認定からは外された。
■2011年7月28日カブスからインディアンスのマイナーリーグ2選手にプラス金銭(年俸1,350万ドルの残り470万ドルを負担)で交換トレード移籍。
■2011年8月9日タイガース戦で2対2同点の延長14回裏1死満塁で打席に入りDavid Pauley(デビット・ポーリー)投手のカウント1ボール2ストライクからの4球目が左腕に当たり、押し出しの死球でサヨナラの勝利打点を挙げた。
■2012年2月14日ホワイトソックスと1年契約の年俸50万ドルでジャーリーグ契約、2年目はオプションで年俸350万ドル(オプション不行使バイアウト50万ドル)。シーズン途中に右脇腹を痛め故障者リスト入り(6.7)するなど精彩を欠き、ホワイトソックスはメジャーリーグ選手登録40人枠を明けるためDFA(割当指名およびウエーバー入り)を行使(6.22)、戦力外となり自由契約(6.28)。
■2012年7月13日ヤンキースとマイナーリーグ契約して傘下のスクラントン/WB(NYY-AAA)でプレイ、成績は39試合、127打数、35安打、16打点、本塁打2、盗塁1、打率0.276を残すも1度もヤンキースに昇格できず自由契約(9.3)。
■2016年6月25日NPB広島戦でNPB-MLB通算2,000安打達成は2,040試合目の快挙。NPB-MLB(日米プロ)通算での達成はイチロー(マーリンズ)、松井秀喜(レイズ)、松井稼頭央(楽天)、中村紀洋(DeNA)、井口資仁(ロッテ)に続いて6人目の記録。
■2016年7月30日NPB中日戦(阪神甲子園球場)で2度目のサイクル安打達成。サイクル安打達成はNPB史上69度目(64人)で複数回の達成は4人目、3度がRobert Rose(ロバート・ローズ/横浜)、2度が藤村富美男(大阪タイガース)、松永浩美(ダイエー)。達成時年齢が39才3ヶ月は山本浩二(広島)の36才6ヶ月を超える年長記録。
■2019年4月6日NPB広島戦で本塁打を放ち、NPB通算1,000打点達成(NPB史上46人目)。41才11ヶ月での達成は谷繁元信(中日)の42才5ヶ月に次ぐ年長記録。続いて、7月28日NPB巨人戦で本塁打を放ち、NPB通算1,000得点達成(NPB史上42人目)。42才3ヶ月での達成は稲葉篤紀(日本ハム)の40才10ヶ月を超える年長記録。記録の節目を本塁打で飾るのは流石で、打点と得点の“ダブル1,000”達成者はNPB史上28人目の快挙。
■2020年、遠征先(名古屋市)で一緒に飲食した(9.19)チームメイトに新型コロナウイルス感染が確認され、PCR検査で陰性も、球団は濃厚接触者と同じ扱いとして「感染拡大防止特例2020」を適用、1軍登録抹消した(9.25)。阪神が来シーズン('21)の選手契約をしないことが分かる(10.21)。阪神退団を発表(11.6)、自由契約公示を受け(12.2)、古巣の中日に入団が決まる(12.12)。正式に中日と年俸3,000万円で単年契約(12.18)。
■2021年NPB-MLB通算10,000打席(NPB7,724+MLB2,276)を達成(3.26広島戦)。記録は8回表1死2塁で代打(四球)に立ち達成した。日米プロ通算ではイチロー(マリナーズ)14,832打席、松井秀喜(レイズ)10,562打席、松井稼頭央(アストロズ)10,511打席に続き4人目。
■2022年シーズン開幕(3.25)を1軍で迎えるも結果が出ず、セ・パ交流戦を前に1軍登録を外れる(6.13)。現役引退を発表(9.8)。NPB-MLB(日米プロ)通算2,450安打(NPB1,952、MLB498)の内訳は単打1,540(NPB1,208、MLB332)、2塁打520(NPB409、MLB111)、3塁打63(NPB50、MLB13)、本塁打327(NPB285、MLB42)でプロキャリア24年の積み重ね。なお、引退試合が本拠球場、バンテリンドームで行われ(9.23巨人戦)、8回表(スコア3対9)からライト守備に就き(9番・ライト)、9回裏1死走者なしの打席で鍬原拓也投手の2球目(カウント1-0)ストレート(149キロ)を打つもセカンドフライに倒れた。
■2023年、社会人野球チーム・日本生命の特別コーチに就任(1.11)、任期は1年。
■2023年日本学生野球協会(JSBA)から学生野球資格回復を認定され(2.3)、高校生、大学生に野球指導が可能になった。
「NPBデビュー」 1999年4月2日広島戦(ナゴヤドーム)。
「NPBデータ」 1999年NPB初安打(4.4広島戦)。 1999年NPB初本塁打(4.16巨人戦)。 1999年NPB初打点(4.4広島戦)。 1999年NPB初得点(4.3広島戦)。 1999年NPB初盗塁(6.23巨人戦)。

「日本プロ野球名球会」 1999年4月4日NPB初安打(広島戦)を起点に2016年6月25日NPB-MLB通算2,000安打達成(広島戦)で資格クリア、2016年入会。
「野球日本代表」 1996年アトランタ・オリンピック出場、銀メダル。 2004年アテネ・オリンピック出場、銅メダル。 2006年WBC出場、優勝。 2009年WBC出場、優勝。 2006年、2009年WBC日本代表チームに紫綬褒章。



 


福盛 和男


福盛 和男
(ふくもり かずお)

元 テキサス・レンジャーズ。

1976年8月4日生まれ、宮崎県出身。

身長182cm、体重78kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
都城高。 (1994年ドラフト3巡目) 1995年〜2003年横浜・ベイスターズ、 2004年大阪近鉄・バファローズ、 2005年〜2007年東北楽天・ゴールデンイーグルス、 2009年〜2010年東北楽天・ゴールデンイーグルス。
『MLB履歴』
(2007年FA権行使) 2008年テキサス・レンジャーズ。

「MLBデビュー」
2008年3月31日@マリナーズ戦(セーフコ・フィールド)“救援登板(中継ぎ)”。

「MLBデータ」
2008年MLB初奪三振(4.24タイガース戦)。
 


[福盛 和男、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1995 横浜   2  0− 0  0   5.0/0   0   4  0.00
1996 横浜   1  0− 0  0   1.0/0   0   1  0.00
1997 横浜  25  4− 4  0  71.1/3  23  42  2.90
1998 横浜   3  1− 2  0  18.2/3   6  13  2.89
1999 横浜  30  9− 9  0 132.2/3  63  96  4.27
2000 横浜  40  6− 6 10  88.0/0  35  49  3.58
2001 横浜   5  1− 2  0  31.0/0  12  23  3.48
2002 横浜  33  2− 3  2  48.2/3  16  47  2.96
2003 横浜  62  1− 3  1  60.0/0  30  34  4.50
2004 近鉄  43  2− 5 10  48.2/3  28  27  5.18
2005 楽天  49  4− 3 11  63.0/0  25  36  3.57
2006 楽天  50  0− 3 21  58.0/0  14  55  2.17
2007 楽天  34  4− 2 17  36.0/0  19  33  4.75
2009 楽天  35  7− 1 10  45.1/3  11  34  2.16
2010 楽天   2  0− 2  0   1.0/0   5   1 45.00
NPB通算 414 41−45 82 708.1/3 287 495  3.65
2008 レンジャーズ   4  0− 0  0   4.0/0   9   1 20.25
MLB通算   4  0− 0  0   4.0/0   9   1 20.25
日米プロ通算 418 41−45 82 712.1/3 296 496  3.74

<通算ホールド NPB-17、MLB-0>


■2004年11月近鉄、オリックス合併球団のオリックスと新規参入球団の楽天との選手分配ドラフト会議でオリックスに分配されるのを拒否、最終的にトレードで楽天に移籍。
■2007年シーズンオフにFA権を行使、12月レンジャーズと2年契約(1年目を故障者リスト入り30日未満で2年目の契約更新)の総額300万ドルでメジャーリーグ契約。
■2008年1月14日レンジャーズは故障歴を懸念して契約から1ヶ月遅れでMLB選手登録、MLBデビューは果たすも結果が残せず5月11日MLB選手40人枠(40-Man Roster)を外される。
「NPBデビュー」 1995年10月3日ヤクルト戦(横浜スタジアム)。
「NPBデータ」 1997年NPB初勝利(7.3中日戦)。 2000年NPB初セーブ(4.23中日戦)。 1995年NPB初奪三振(10.3ヤクルト戦)。



 


小林 雅英


小林 雅英
(こばやし まさひで)

元 クリーブランド・インディアンス。

1974年5月24日生まれ、山梨県出身。

身長182cm、体重89kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
都留高、 日本体育大、 東京ガス。 (1998年ドラフト1巡目) 1999年〜2007年千葉ロッテ・マリーンズ、 2010年読売・ジャイアンツ、 2011年オリックス・バファローズ。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2008年〜2009年クリーブランド・インディアンス。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2005年パ・リーグ最多セーブ。 2006年NPB通算200セーブ達成(8.18日本ハム戦)。 2007年NPB7年連続20セーブ達成(8.26ソフトバンク戦)。

「MLBデビュー」
2008年4月2日ホワイトソックス戦(プログレッシブ・フィールド)“救援登板(中継ぎ)”。

「MLBデータ」
2008年初勝利(4.26ヤンキース戦)“完了登板”。 2008年MLB初セーブ(5.13アスレチックス戦)。 2008年MLB初ホールド(4.24ロイヤルズ戦)。 2008年MLB初奪三振(4.2ホワイトソックス戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2008年NPB-MLB通算500試合登板達成(9.5ロイヤルズ戦)。 2003年NPB通算100セーブ達成(6.29オリックス戦)。 2005年NPB通算150セーブ達成(5.17広島戦)。 2006年NPB通算200セーブ達成(8.18日本ハム戦)。


[小林 雅英、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1999 ロッテ  46  5− 5   0 124.1/3  37 107  2.68
2000 ロッテ  65 11− 6  14 109.2/3  26  72  2.13
2001 ロッテ  48  0− 4  33  52.0/0  25  47  4.33
2002 ロッテ  43  2− 1  37  43.1/3   4  41  0.83
2003 ロッテ  44  0− 2  33  47.0/0  15  30  2.87
2004 ロッテ  51  8− 5  20  52.2/3  25  50  3.90
2005 ロッテ  46  2− 2  29  45.1/3  13  33  2.58
2006 ロッテ  53  6− 2  34  53.2/3  16  48  2.68
2007 ロッテ  49  2− 7  27  47.1/3  19  35  3.61
2010 読売  12  0− 0   1  14.0/0   8   2  5.14
2011 オリックス   6  0− 0   0   4.2/3   7   0 13.50
NPB通算 463 36−34 228 599.0/0 195 465  2.93
2008 インディアンス  57  4− 5   6  55.2/3  28  35  4.53
2009 インディアンス  10  0− 0   0   9.2/3   9   4  8.38
MLB通算  67  4− 5   6  65.1/3  37  39  5.10
日米プロ通算 530 40−39 234 664.1/3 232 504  3.14

<通算ホールド NPB-4、MLB-2>


■2000年7月2日NPBオリックス戦で対戦打者0人で勝利投手を記録。8回裏2死走者1塁(スコア3対4)で救援登板して代打の小川博文への2球目を大暴投(ワイルドピッチ)。捕手の清水将海から3塁手のFrank Bolick(フランク・ボーリック)に送球、この間に3塁を狙った1塁走者イチローが3塁でタッチアウトとなりチェンジ。9回に大塚明の2点タイムリーで逆転(スコア5対4)して勝利投手、Brian Warren(ブライアン・ウォーレン)が抑えてセーブを記録。
■2001年NPB6日間連続セーブ(5.25日本ハム戦〜5.30ダイエー戦)を記録、ロッテ本拠地球場が幕張海浜公園エリア(千葉市美浜区)にあることから「幕張の防波堤」と呼ばれる。
■2002年NPB連続試合セーブポイント33試合(5.21日本ハム戦〜10.17近鉄戦)を記録。
■2005年NPB通算150セーブ達成(5.17広島戦)の312試合目は佐々木主浩(横浜)の315試合目を超えるスピード達成を記録。
■2007年シーズンオフにFA権を行使、11月インディアンスと2年契約(1年延長オプション付)の総額625万ドルでメジャーリーグ契約。
「NPBデビュー」 1999年4月7日@ダイエー戦(北九州市民球場)。
「NPBデータ」 1999年NPB初勝利(5.16日本ハム戦)。 2000年NPB初セーブ(8.17日本ハム戦)。 1999年NPB初奪三振(4.7ダイエー戦)。

「野球日本代表」 2004年アテネ・オリンピック出場、銅メダル。



 


『HIRO』 黒田 博樹


黒田 博樹
(くろだ ひろき)

元 ニューヨーク・ヤンキース。

1975年2月10日生まれ、大阪府出身。

身長184cm、体重85kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
上宮高、 専修大。 (1996年ドラフト2巡目) 1997年〜2007年広島東洋・カープ、 2015年〜2016年広島東洋・カープ。
『MLB履歴』
(2007年権行使) 2008年〜2011年ロサンゼルス・ドジャース、 2012年〜2014年ニューヨーク・ヤンキース。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2005年セ・リーグ最多勝利。 2006年セ・リーグ最優秀防御率。 2005年セ・リーグ最優秀投手。 2016年NPBコミッショナー特別表彰(功労賞)。 2016年NPB広島東洋球団が黒田博樹の“背番号15”を永久欠番とする栄誉。 2024年野球博物館・競技者表彰(野球殿堂入り)。 2007年NPB通算100勝利達成(7.14巨人戦)。 2006年NPB通算1,000奪三振達成(4.6阪神戦)。
『MLBタイトル、表彰、記録』
2008年“準完全試合”達成(7.7ブレーブス戦)。 2012年MLB通算50勝利達成(7.18ブルージェイズ戦)。 2011年MLB通算500奪三振達成(9.5ナショナルズ戦)。 2014年MLB5年連続2桁勝利達成(9.3レッドソックス戦)。

「MLBデビュー」
2008年4月4日@パドレス戦(ペトコ・パーク)“先発登板”。

「MLBデータ」
2008年MLB初勝利(4.4パドレス戦)“先発登板”。 2008年MLB初奪三振(4.4パドレス戦)。 2008年MLB初完投、初完封(6.6カブス戦)“無四球”。 2009年MLB初開幕投手(4.6パドレス戦)。

「MLB通算記録」
2011年MLB通算100試合先発登板達成(7.6メッツ戦)。 2013年MLB通算150試合先発登板達成(4.14オリオールズ戦)。 2014年MLB通算200試合先発登板達成(7.25ブルージェイズ戦)。 2012年MLB通算50勝利達成(7.18ブルージェイズ戦)。 2013年MLB通算1,000投球回達成(6.13アスレチックス戦)。 2011年MLB通算500奪三振達成(9.5ナショナルズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2015年NPB-MLB通算500試合登板達成(8.11ヤクルト戦)。 2016年NPB-MLB通算500試合“先発登板”達成(8.13DeNA戦)。 2007年NPB通算100勝利達成(7.14巨人戦)。 2012年NPB-MLB通算150勝利達成(6.13ブレーブス戦)。 2016年NPB-MLB通算200勝利達成(7.23阪神戦)。  2004年NPB通算1,000投球回達成(4.22ヤクルト戦)。 2006年NPB通算1,500投球回達成(8.18横浜戦)。 2009年NPB-MLB通算2,000投球回達成(9.28パイレーツ戦)。 2016年NPB通算2,000投球回達成(8.27中日戦)。 2012年NPB-MLB通算2,500投球回達成(6.30ホワイトソックス戦)。 2014年NPB-MLB通算3,000投球回達成(9.14オリオールズ戦)。 2006年NPB通算1,000奪三振達成(4.6阪神戦)。 2010年NPB-MLB通算1,500奪三振達成(5.23タイガース戦)。 2013年NPB-MLB通算2,000奪三振達成(6.7マリナーズ戦)。


[黒田 博樹、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1997 広島  23   6−  9   135.0/0   66    64 4.40
1998 広島  18   1−  4    45.0/0   33    25 6.60
1999 広島  21   5−  8    87.2/3   66    55 6.78
2000 広島  29   9−  6   144.0/0   69   116 4.31
2001 広島  27  12−  8   190.0/0   64   146 3.03
2002 広島  23  10− 10   164.1/3   67   144 3.67
2003 広島  28  13−  9   205.2/3   71   137 3.11
2004 広島  21   7−  9   147.0/0   76   138 4.65
2005 広島  29  15− 12   212.2/3   75   165 3.17
2006 広島  26  13−  6   189.1/3   39   144 1.85
2007 広島  26  12−  8   179.2/3   71   123 3.56
2015 広島  26  11−  8   169.2/3   48   106 2.55
2016 広島  24  10−  8   151.2/3   52    98 3.09
NPB通算 321 124−105 2,021.2/3  797 1,461 3.55
2008 ドジャース  31   9− 10   183.1/3   76   116 3.73
2009 ドジャース  21   8−  7   117.1/3   49    87 3.76
2010 ドジャース  31  11− 13   196.1/3   74   159 3.39
2011 ドジャース  32  13− 16   202.0/0   69   161 3.07
2012 ヤンキース  33  16− 11   219.2/3   81   167 3.32
2013 ヤンキース  32  11− 13   201.1/3   74   150 3.31
2014 ヤンキース  32  11−  9   199.0/0   82   146 3.71
MLB通算 212  79− 79 1,319.0/0  505   986 3.45
日米プロ通算 533 203−184 3,340.2/3 1,302 2,446 3.51

<通算ホールド NPB-0、MLB-0>


 

MLBナ・リーグで
“準完全試合”達成
('08.7.7 ブレーブス戦)

 

MLB通算50勝利達成
('12.7.18 ブルージェイズ戦)




MLB通算1,000投球回達成
('13.6.13 アスレチックス戦)




NPB-MLB(日米プロ)
通算200勝利達成
('16.7.23 阪神戦)

 

NPB-MLB(日米プロ)
通算3,000投球回達成
('14.9.14 オリオールズ戦)

 

NPB-MLB(日米プロ)
通算500試合“先発登板”達成
('16.8.13 DeNA戦)

■2007年シーズンオフにFA権を行使、12月ドジャースと3年契約の総額3,530万ドルでメジャーリーグ契約。
■2008年5月21日初の日本人のみの同一試合“先発勝利、セーブ”をレッズ戦で記録。黒田博樹が投球回数8イニング0/0、被安打5、被本塁打0、失点2(自責点2)、与四球2、奪三振3、打者29、投球数99(ストライク64)で先発勝利、斎藤隆が投球回数1イニング0/0、被安打0、奪三振1、打者3、投球数13(ストライク7)でセーブ(スコア2対5)。
■2008年7月7日“準完全試合”達成(ブレーブス戦)、バッテリーはRussell Martin(ラッセル・マーチン)。本拠地ドジャー・スタジアムで投球回数9イニング0/0、被安打1、失点0、与四死球0、奪三振6、打者28人、投球数91(ストライク61)、打球22(ゴロ15、フライ7)の完封試合(スコア0対3)。8回表先頭打者Mark Teixeira(マーク・テシェイラ)にカウント2-2から5球目を右翼線に2塁打を許す他はパーフェクトな内容、本当に惜しい快記録。
■2008年10月12日フィリーズとのナ・リーグ優勝決定シリーズ第3戦(NLCS-Gm3)に先発登板、3回表2死走者なし(スコア1対6)で打者のShane Victorino(セネ・ビクトリーノ)に頭部付近を通す投球、そして1塁ゴロアウトに走者(打者)の怒りは治まらず、双方ベンチからも選手が飛び出し一発触発の状態になった。この1球(報復)には伏線があり、味方が第2戦でManny Ramirez(マニー・ラミレス)、第3戦でRassell Martin(ラッセル・マーチン)と危険球(記録は死球)を受けていた。試合は投球回数6イニング0/3、被安打5、被本塁打0、失点2(自責点2)、四球1(死球0)、奪三振3、打者23、投球数84(ストライク50)で冷静さを保ち勝投手となる(スコア2対7)。メジャーリーグ機構は騒動発端の危険投球として黒田博樹に7,500ドルの罰金を科した(10.13)。Joe Torre(ジョー・トーレ)監督は「故意ではないと思う」とした上で「ヒロキが仲間のために1人で立ち向かい、皆の信頼を勝ち取った」と“男気”に信頼をよせた。
■2009年4月6日パドレス戦(@ペトコ・パーク)で開幕投手を任され、投球回数5イニング2/3、被安打4、被本塁打0、失点1(自責点1)、与四球1、奪三振2、打者22、投球数90(ストライク63)と好投、勝利投手になる(スコア4対1)。
■2011年シーズン防御率3.07で好投が報われない16敗(9.11ジャイアンツ戦)を記録。過去にシーズン防御率3.50以下で15敗を喫したのは1993年メッツ所属時のDwight Gooden(ドワイト・グッデン/ヤンキース)が29試合、12勝15敗0セーブ、投球回数208イニング2/3、自責点80、奪三振199、防御率3.45を記録して以来18年ぶりの辛抱シーズン。
■2012年7月18日ブルージェイズ戦でMLB通算50勝利達成は試合開始が51分遅れも集中力を維持し、投球回数7イニング0/0、被安打4、被本塁打0、失点0、与四球0(死球1)、奪三振5、打者27、投球数108(ストライク78)と好投、試合が7回裏に雷雨で58分間の中断後、コールドゲームとなり完封勝利(スコア0対6)で節目を飾った。野茂英雄(ロイヤルズ)、大家友和(インディアンス)に続いて日本人投手3人目の快挙。
■2012年8月14日レンジャーズ戦でMLBキャリア4度目の完封勝利。春季キャンプで座右の銘として西郷隆盛が詠んだ漢詩「偶成」の一節、「耐雪梅花麗」を“Plum trees bloom most beautifully as they stand and overcome the cold severe winter”と披露。意味する精神はJoe Girardi(ジョー・ジラルディ)ヤンキース監督、Derek Jeter(デレク・ジーター)選手キャプテンなどチーム内に共感を生み、味方打線の援護が期待される試合でも辛抱強く力投する姿勢に信頼も厚さを増した。
■2012年10月14日タイガースとのア・リーグ優勝決定シリーズ第2戦(ALCS-Gm2)に先発登板、8回表2死1塁でAustin Jackson(オースティン・ジャクソン)の右翼前ヒットに1塁走者Omar Infante(オマー・インファンテ)が2塁オーバーラン、右翼手Nick Swisher(ニック・スウィシャー)の2塁手Robinson Cano(ロビンソン・カノー)への返球に帰塁が出来ず完璧タッチアウト。しかし、Jeff Nelson(ジェフ・ネルソン)2塁審判の判定はセーフの大誤審、ゲームチェンジが一転して2走者を残しての降板となり、救援の2投手が打たれ余分な失点2(自責点2)が付いた。試合は投球回数7イニング2/3、被安打5、被本塁打0、失点3(自責点3)、与四死球0、奪三振11と粘投も、味方打線が散発安打4、三振10と2塁も踏めない深刻な不振で敗れた(スコア/3対0)。チームはタイガースの4タテ(4-Game Sweep)でワールドシリーズ進出ならず。
■2012年シーズンオフ、ヤンキースはチーム所属FA選手との独占交渉期間(10.29〜11.2)にMLB新導入の制度、クオリファイング・オファー(Qualifying offer/FA移籍に関する球団への補償制度)を適用、1年契約で年俸1,330万ドルの規定額(年俸上位125選手の平均額)を提示も想定通り拒否(11.9)。改めて交渉の結果、1年契約の年俸1,500万ドル+出来高(100万ドル)で再契約。獲得に乗り出した他球団の好条件(高額年俸・複数年契約)オファーに感謝するも断り、「ヤンキースで一緒に戦った仲間とワールドシリーズ制覇に再挑戦したい」とチーム残留を選んだ(11.20)。
■2013年6月25日レンジャーズ戦でダルビッシュ・有との2度目(1度目'12.4.24)の日本人先発投手対決がヤンキー・スタジアムで実現。内容は黒田博樹が投球回数6イニング2/3、被安打5、被本塁打2、失点3(自責点2)、与四球1、奪三振6、打者26、投球数99(ストライク65)。一方のダルビッシュ・有が投球回数5イニング1/3、被安打7、被本塁打3、失点3(自責点3)、与四球2、奪三振6、打者27、投球数110(ストライク72)と互いに譲らず(スコア3対3)。決着はイチローが9回裏2死走者なしでTanner Scheppers(タナー・シェパーズ)投手の1ボール・2ストライクからの4球目を右翼席にサヨナラ本塁打(スコア3対4)、勝利投手はMariano Rivera(マリアノ・リベラ)。
■2013年7月25日レンジャーズ戦でシーズン10勝目は4年連続シーズン2桁勝利を記録。この試合で100試合(652イニング0/0)連続無失策とした守備も特筆とメディア。
■2013年シーズンオフ、ヤンキースはクオリファイング・オファーで制度規定額の年俸1,410万ドルを提示(11.4)。クオリファイング・オファーの拒否は想定通りでヤンキースは先発陣の柱としてのチーム残留を熱望、改めて交渉の結果、1年契約の年俸1,600万ドル+出来高(50万ドル)で再契約(12.7)。
■2014年7月6日ツインズ戦で失策、連続無失策の記録が128試合(827イニング2/3)で途絶えた。4回裏1死2塁でOswald Arcia(オズワルド・アルシア)の弱いゴロ(安打)の処理で1塁に悪送球、失策が記録された。失策は2010年7月7日マーリンズ戦の4回1死1塁に1塁牽制悪送球で記録して以来で守備も折り紙付き。なお、無失策の試合数は失策の次の試合('10.7.17カージナルス戦)から前の試合('14.7.1レイズ戦)、投球回数は失策後('10.7.7マーリンズ戦2イニング2/3)から失策前('14.7.6ツインズ戦3イニング1/3)をカウント。
■2014年9月14日オリオールズ戦でNPB-MLB通算3,000投球回達成。NPB-MLB通算では野茂英雄(ロイヤルズ)の3,027イニング2/3に次いで2人目、NPBの大学卒業投手では若林忠志(旧制・法政大、毎日オリオンズ)の3,557イニング1/3、村山実(関西大、阪神)の3,050イニング1/3に次いで3人目の快挙。
■2014年シーズンオフにNPB広島と1年契約の年俸4億円+出来高で契約(12.27)。メジャー球団の好条件オファー(パドレスが年俸1,700万ドル、ドジャースが年俸1,600万ドル+出来高)も「今の僕があるのはカープのおかげ、いずれは帰って恩返しがしたい。日本に帰るならカープ、バリバリやっている時に帰りたい」と無名の専修大時代から見守ってくれた苑田聡彦(スカウト)、入団時に辛抱強くチャンスをくれた安仁屋宗八(当時2軍監督)など多くの恩義に筋を通した“男気”溢れる決断をした。
■2015年3月29日NPBヤクルト戦に先発登板、7イニング0/0を被安打5、失点0、与四死球0、奪三振5、打者26、投球数96(ツーシーム46、スプリット14、スライダー12、カットボール10、カーブ5、ストレート9)とメジャーで培った投球で2,740日ぶりの復帰登板を白星で飾った(スコア2対1)。試合を超満員(Att.31,540)のMAZDA zoom zoom スタジアムで観戦した熊崎勝彦NPBコミッショナーは「大変な盛り上がりを感じる。黒田はやっぱり男だね。新聞も黒田を大きく取り上げていた。(広島のチームカラー)赤一色だね」と絶賛した。なお、広島地域で試合を生中継した広島テレビ(日テレ系)の平均視聴率31.8パーセント(前半27.8、後半34.9、瞬間39.7)は休日の昼間としては驚異の数字で“男気”に酔った。
■2016年7月23日NPB阪神戦でNPB-MLB(日米プロ)通算200勝利達成(NPB121-MLB79、525試合目、41才5ヶ月)。投球内容は投球回数7イニンク0/0゙、被安打5、失点0、与四球3(与死球0)、奪三振9、打者29、投球数115で試合に勝利した(スコア0対7)。NPB-MLB(日米プロ)通算での200勝利達成はデビルレイズ所属時の野茂英雄(NPB78-MLB123、454試合目、36才9ヶ月)が達成('05.6.5ブルワーズ戦)して以来2人目。NPB(日本プロ野球)では24人目に中日のレゼンド、山本昌(NPB219、524試合目、42才11ヶ月)が最年長で達成('08.8.4巨人戦)している。恩師でドジャース所属時の監督、Joe Torre(ジョー・トーレ)も「200勝、数字はもちろん素晴らしいけれど、同年齢の選手のほとんどが今では家でテレビを見ているというのに、以前と変わらぬ投球を続けていることが驚嘆に値する。ヒロキはMLBでも成功し、自分の居場所を作り上げたのに、日本に戻っても依然野球への情熱を失っていない、誇らしいよ」と称えた。
■2016年8月13日DeNA戦でNPB-MLB(日米プロ)通算500試合“先発登板”達成。記録はNPB289試合、MLB211試合の先発登板で達成。野茂英雄(ロイヤルズ)はNPB-MLB(日米プロ)通算452試合“先発登板”(NPB134試合、MLB318試合)で500試合に届いていない。NPB(日本プロ野球)では米田哲也(近鉄)626試合、小山正明(大洋)593試合、鈴木啓示(近鉄)577試合、金田正一(巨人)569試合、東尾修(西武)537試合、山本昌(中日)514試合の6人が達成している。
■2016年8月20日ヤクルト戦でNPB-MLB(日米プロ)通算“先発登板”200勝利達成。救援登板勝利が1勝利('05.10.7ヤクルト戦)でNPB-MLB(日米プロ)通算201勝利目に達成。野茂英雄(ロイヤルズ)は救援登板勝利が2勝利('91.7.16西武戦、'92.10.13日本ハム戦)でNPB-MLB(日米プロ)通算199“先発登板”勝利(プロ・キャリア201勝利)。
■2016年9月3日ヤクルト戦で2年連続して規定送球回数に到達、40才以上の投手で2回以上の達成者は若林忠志(毎日)が大阪タイガース所属時の1948年(40才)、1949年(41才)に達成して以来、67年ぶりNPB史上2人目、現在の2リーグ制では初の記録。
■2016年9月22日マツダ・ズーム・ズーム・スタジアムで試合前(阪神戦)に「広島県民栄誉賞」の授与式が行われ、投手の黒田博樹(NPB-MLB通算200勝利達成/7.23阪神戦)と内野手の新井貴浩(NPB通算2,000安打達成/4.26ヤクルト戦)の2人に湯崎英彦(広島県知事)から顕彰状と記念品のブロンズ像(文化勲章受章の彫刻家、圓鍔勝三の制作した“あおぞら”)が贈られた。共に広島の25年ぶりのセ・リーグ優勝に貢献し、広島県民に夢と感動を与えたと賛辞された。
■2016年シーズン限りでの引退を表明(10.18)。日本ハムとの日本シリーズ第3戦(10.25)に先発登板、1点リード(スコア2対1)の6回裏1死走者なしで大谷翔平(4番・DH)を外角に落ちる球(134キロ/スプリット)で左飛に打ち取った直後、右脹脛が攣るアクシデント。1度ベンチ裏に下がり治療、再びマウンドに戻り試投(3球)を始めるが、更に両太腿裏筋肉(ハムストリングス)も張りだした。続投すればチームに迷惑が係ると自ら降板を申し出て力尽きた。キャリア初の日本シリーズは1試合、投球回数5イニング2/3、被安打4、被本塁打0、失点1(自責点1)、与四死球0、奪三振1、打者21、投球数85の内容で勝敗は記録されなかった。試合は延長10回にサヨナラ負けした(スコア3対4)。
■2016年シーズンオフ、広島球団は引退する“男気”黒田博樹の背番号15を永久欠番にすると正式発表(11.1)。“鉄人”衣笠祥雄の背番号3、“ミスター赤ヘル”山本浩二の背番号8に続いて3例目(NPB史上15例目)の栄誉。松田元(広島球団オーナー)はNPB広島に復帰('14.12)を決断した“男気”が社会現象になったことも踏まえ「理由は2つある。1つは彼の残した成績と今年優勝したこと。それと、お金だけじゃない価値観と言うものを社会に示した。15年、20年たっても日米通算203勝した投手と言うだけでなく、彼が与えた影響などが記憶に残るようしたかった」と説明、賛辞した。また、「残してくれたものはたくさんある。野球で言えば、粘り強く投げることの考え方、先発投手としてのプライドを(周囲の選手に)感じさせたことも大きかった」と感謝の意を表した。
■2016年11月5日カープ優勝パレードが行われ、沿道(平和大通り)は31万3,000人のファンで真っ赤に染まった。そして、マツダ・ズーム・ズーム・スタジアムに3万810人を招待して優勝報告会と黒田博樹の引退セレモニーが行われた。
■2021年日本学生野球協会(JSBA)から学生野球資格回復を認定され(2.5)、高校生、大学生に野球指導が可能になった。
■2022年広島の球団アドバイザー就任('23.1.1)が決まる(11.18)。
■2023年度「野球殿堂博物館・競技者表彰」プレーヤー部門の選考が行われ(1.13)、今回の必要票数267票(有効投票数355票×0.75)に対して245票を獲得(22票不足)、候補1年目での“野球殿堂入り”は成らなかった。プレーヤー部門はAlex Ramirez(アレックス・ラミレス/DeNA)が290票を獲得、“野球殿堂入り”した。
■2024年度「野球殿堂博物館・競技者表彰」プレーヤー部門の選考で必要投票数266票(有効投票数354票×0.75)に対して281票を獲得、同数獲得の谷繁元信(中日)と共に両名が“野球殿堂入り”を果たした(1.18)。
「NPBデビュー」 1997年4月25日@巨人戦(東京ドーム)。
「NPBデータ」 1997年NPB初勝利(4.25巨人戦)。 2006年NPB初セーブ(10.16中日戦)。 1997年NPB初奪三振(4.25巨人戦)。

「日本プロ野球名球会」 1997年4月25日NPB初勝利(巨人戦)を起点に2016年7月23日NPB-MLB通算200勝利達成(阪神戦)で資格クリア、2016年入会。
「野球日本代表」 2004年アテネ・オリンピック出場、銅メダル。 (2006年WBC代表メンバー、右手人差指打撲で離脱)



 


薮田 安彦


藪田 安彦
(やぶた やすひこ)

元 カンザスシティー・ロイヤルズ。

1973年6月19日生まれ、大阪府出身。

身長183cm、体重85kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
上宮高、 新日本製鉄・広畑。 (1995年ドラフト2巡目) 1996年〜2007年千葉ロッテ・マリーンズ、 2010年〜2012年千葉ロッテ・マリーンズ。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2008年〜2009年カンザスシティー・ロイヤルズ。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2007年パ・リーグ最優秀中継ぎ。

「MLBデビュー」
2008年4月5日@ツインズ戦(メトロ・ドーム)“救援登板(終了登板)”。

「MLBデータ」
2008年MLB初勝利(6.9ヤンキース戦)“中継ぎ登板”。 2008年MLB初奪三振(4.11ツインズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2011年NPB-MLB通算500試合登板達成(10.17西武戦)。 2012年NPB通算500試合登板達成(8.4オリックス戦)。 2011年NPB通算100ホールド達成(5.13楽天戦)。 2011年NPB-MLB通算1,000投球回達成(10.2日本ハム戦)。 2012年NPB通算1,000投球回達成(8.30楽天戦)。


[藪田 安彦、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1996 ロッテ  18  4− 6  0    92.0/0  37  58  3.62
1997 ロッテ  25  5− 9  0   146.1/3  64  74  3.94
1998 ロッテ  17  2− 9  0   100.1/3  54  45  4.84
1999 ロッテ  12  5− 4  0    57.0/0  31  33  4.89
2000 ロッテ   2  0− 1  0     6.2/3  10   3 13.50
2001 ロッテ  27  4− 6  0    97.1/3  42  70  3.88
2002 ロッテ   3  1− 2  0    11.1/3  11   8  8.74
2003 ロッテ  17  5− 6  0    68.2/3  45  44  5.90
2004 ロッテ  66  3− 4  2    77.1/3  24  71  2.79
2005 ロッテ  51  7− 4  2    55.2/3  19  54  3.07
2006 ロッテ  47  4− 2  1    55.0/0  16  48  2.62
2007 ロッテ  58  4− 6  4    62.2/3  19  45  2.73
2010 ロッテ  63  2− 5  1    65.2/3  23  57  3.15
2011 ロッテ  53  1− 2 31    56.2/3  11  57  1.75
2012 ロッテ  61  1− 6 26    56.2/3  21  43  3.34
NPB通算 520 48−72 67 1,009.1/3 427 710  3.81
2008 ロイヤルズ  31  1− 3  0    37.2/3  20  25  4.78
2009 ロイヤルズ  12  2− 1  0    14.0/0  21   9 13.50
MLB通算  43  3− 4  0    51.2/3  41  34  7.14
日米プロ通算 563 51−76 67 1,061.0/0 468 744  3.97

<通算ホールド NPB-112、MLB-0>


■2007年シーズンオフにFA権を行使、11月ロイヤルズと2年契約(1年延長オプション付)の総額600万ドルでメジャーリーグ契約。
■2008年8月2日ロイヤルズでの結果が残せずMLB選手登録40人枠を外され事実上の戦力外通告、マイナーリーグ契約に切替えて傘下チームのオマハ(KC-AAA)で昇格の時期を待つ、9月1日MLB選手登録枠拡大に伴いロイヤルズに復帰、11月3日再びMLB選手登録40人枠を外される。
■2009年シーズンはロイヤルズ春季キャンプに招待選手で参加もアピール出来ずマイナーリーグ降格(3.22)、ロイヤルズ傘下チームのオマハ(KC-AAA)で契約の2年目をスタート、8月24日に待望のロイヤルズに昇格、シーズンオフにロイヤルズは1年延長のオプション契約は行使しないと通知(11.6)。
■2012年シーズン後半から右肩痛に悩まされ、2013年シーズンはリハビリで2軍スタートとなる。調整も思うレベルに回復せず、1軍に選手登録されることなく引退を発表(9.29)。
「NPBデビュー」 1996年5月31日@オリックス戦(グリーンスタジアム神戸)。
「NPBデータ」 1996年NPB初勝利(7.16オリックス戦)。 2004年NPB初セーブ(8.10近鉄戦)。 2005年NPB初ホールド(4.19日本ハム戦)。 1996年NPB初奪三振(5.31オリックス戦)。

「野球日本代表」 2006年WBC出場、優勝。 2006年WBC日本代表チームに紫綬褒章。



 


『KOJI』 上原 浩治


上原 浩治
(うえはら こうじ)

元 シカゴ・カブス。

1975年4月3日生まれ、大阪府出身。

身長186cm、体重85kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
東海大仰星高、 大阪体育大。 (1998年ドラフト1巡目) 1999年〜2008年読売・ジャイアンツ、 2018年読売・ジャイアンツ。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2009年〜2011年ボルティモア・オリオールズ、 2011年〜2012年テキサス・レンジャーズ、 2013年〜2016年ボストン・レッドソックス、 2017年シカゴ・カブス。

『NPBタイトル、表彰、記録』
1999年セ・リーグ新人王。 1999年、2004年セ・リーグ最優秀防御率。 1999年、2002年セ・リーグ最多勝利。 1999年、2004年セ・リーグ最優秀勝率。 1999年、2003年セ・リーグ最多奪三振。 1999年、2002年沢村栄治賞。 1999年、2002年セ・リーグ最優秀投手。 2006年NPB通算100勝利達成(8.25阪神戦)。 2005年NPB通算1,000奪三振達成(5.3日本ハム戦)。
『MLBタイトル、表彰、記録』
2013年ア・リーグ優勝決定シリーズMVP。 2014年オールスターゲーム出場。 2013年MLB救援27試合連続無失点(30イニング1/3)、打者37人連続アウトを記録。 2013年MLB救援投手WHIP=0.565(シーズン50試合以上登板)を記録。

「MLBデビュー」
2009年4月8日ヤンキース戦(オリオールパーク・アット・カムデンヤード)“先発登板”。

「MLBデータ」
2009年MLB初勝利(4.8ヤンキース戦)“先発登板”。 2010年MLB初セーブ(8.21レンジャーズ戦)。 2010年MLB初ホールド(5.6ツインズ戦)。 2009年MLB初奪三振(4.13レンジャーズ戦)。

「MLB通算記録」
2015年MLB通算300試合登板達成(4.27ブルージェイズ戦)。 2017年MLB通算400試合登板達成(5.3フィリーズ戦)。 2014年MLB通算50セーブ達成(6.16ツインズ戦)。 2016年MLB通算50ホールド達成(4.5インディアンス戦)。 2016年MLB通算500奪三振達成(6.24レンジャーズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2013年NPB-MLB通算500試合登板達成(ヤンキース戦)。 2006年NPB通算100勝利達成(8.25阪神戦)。 2015年NPB-MLB通算100セーブ達成(5.10ブルージェイズ戦)。 2004年NPB通算1,000投球回達成(8.3ヤクルト戦)。 2008年NPB通算1,500投球回達成(7.20横浜戦)。 2017年NPB-MLB通算2,000投球回達成(5.13カージナルス戦)。 2005年NPB通算1,000奪三振達成(5.3日本ハム戦)。 2011年NPB-MLB通算1,500奪三振達成(5.18ヤンキース戦)。 2018年NPB-MLB通算100ホールド達成(7.20広島戦)。


[上原 浩治、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1999 読売  25  20− 4   0   197.2/3  46   179 2.09
2000 読売  20   9− 7   0   131.0/0  52   126 3.57
2001 読売  24  10− 7   0   138.2/3  62   108 4.02
2002 読売  26  17− 5   0   204.0/0  59   182 2.60
2003 読売  27  16− 5   0   207.1/3  73   192 3.17
2004 読売  22  13− 5   0   163.0/0  47   153 2.60
2005 読売  27   9−12   0   187.1/3  69   145 3.31
2006 読売  24   8− 9   0   168.1/3  60   151 3.21
2007 読売  55   4− 3  32    62.0/0  12    66 1.74
2008 読売  26   6− 5   1    89.2/3  38    72 3.81
2018 読売  36   0− 5   0    34.2/3  14    24 3.63
NPB通算 312 112−67  33 1,583.2/3 532 1,400 3.02
2009 オリオールズ  12   2− 4   0    66.2/3  30    48 4.05
2010 オリオールズ  43   1− 2  13    44.0/0  14    55 2.86
2011 オリオールズ  43   1− 1   0    47.0/0   9    62 1.72
レンジャーズ  22   1− 2   0    18.0/0   8    23 4.00
シーズン計  65   2− 3   0    65.0/0  17    85 2.35
2012 レンジャーズ  37   0− 0   1    36.0/0   7    43 1.75
2013 レッドソックス  73   4− 1  21    74.1/3   9   101 1.09
2014 レッドソックス  64   6− 5  26    64.1/3  18    80 2.52
2015 レッドソックス  43   2− 4  25    40.1/3  10    47 2.23
2016 レッドソックス  50   2− 3   7    47.0/0  18    63 3.45
2017 カブス  49   3− 4   2    43.0/0  19    50 3.98
MLB通算 436  22−26  95   480.2/3 142   572 2.66
日米プロ通算 748 134−93 128 2,064.1/3 674 1,972 2.94

<通算ホールド NPB-23、MLB-81> <シーズン中途移籍 '11.7.31〜レンジャーズ>




MLBア・リーグ
リーグ優勝決定シリーズ MVP
('13.10.19 タイガース戦)



MLBワールドシリーズ
初セーブ、初牽制刺ゲームセット
('13.10.27 カージナルス戦)


MLBワールドシリーズ
初胴上げ投手
('13.10.30 カージナルス戦)

 

NPB-MLB(日米プロ)
通算100勝利100セーブ達成
('15.5.10 ブルージェイズ戦)

 

NPB-MLB(日米プロ)
通算勝利、セーブ、ホールドの
“トリプル100”達成
('18.7.20 広島戦)
■1998年ドラフト会議前、多数の球団が獲得に動くも最終的にエンゼルスと巨人との争奪戦となる、周囲の説得もあり“逆指名制度”で巨人に入団。
■1999年10月5日ヤクルト戦で7回裏にロベルト・ペタジーニ(Roberto Petagine)の第3打席でベンチ(長嶋茂雄監督)が敬遠指示(本塁打タイトルを争う松井秀喜への敬遠気味四球に対抗)、これに従いストレートの四球を与えたが納得できるものでなく、真っ向勝負できない悔しさから涙を浮かべてマウンドを蹴りつけユニホームの袖で涙を拭いた。試合は完投勝利(スコア4対2)で新人シーズン20勝。
■2008年シーズンオフにFA権を行使、2009年1月オリオールズと2年契約の総額1,000万ドル+出来高(600万ドル)でメジャーリーグ契約。
■2010年制球力と奪三振能力を計る数値(K/BB)が55/5=11.00となり、ア・リーグ救援投手部門でトップの成績。
■2011年シーズン中途に救援投手強化策としてレンジャーズにトレード移籍、ポストシーズンは調子を崩してレイズとのア・リーグ、デビジョンシリーズ第2戦(10.1)でEvan Longoria(イワン・コンゴリア)、タイガースとのALチャンピオンシップシリーズ第3戦(10.11)Miguel Cabrera(ミゲル・カブレラ)、第5戦(10.13)Ryan Raburn(ライアン・レイバーン)と救援登板した3戦連続で本塁打を被弾、MLBポストシーズン史上初の記録となる。
■2012年シーズン後半に調子を上げて救援14試合連続無失点(9.1インディアンス戦〜10.3アスレチックス戦)でレギュラーシーズンを締め、オリオールズとのア・リーグ、ワイルドカードゲームに臨んで救援1イニングを3打者3三振に抑えるもチームが敗れ1試合でポストシーズンも終了。
■2012年制球力と奪三振能力を計る数値(K/BB)が43/3=14.33を記録。MLB史上この数値を上回るのは年間35イニング以上投球の投手ではDennis Eckersley(デニス・エカーズリー/レッドソックス)がアスレチックス所属時の1989年に55/3=18.33、1990年に73/4=18.25を記録。抜群の数値にレッドソックスは野球データ分析で知られるBill James(ビル・ジェームス)球団シニア・アドバイザーの強い推薦で獲得に動いた。
■2012年12月レッドソックスと1年契約の年俸425万ドルで契約(2年目オプション契約付)。
■2013年救援登板(7.9マリナーズ戦〜9.13ヤンキース戦)で27試合、30イニング1/3連続無失点を記録。記録は9月17日オリオールズ戦の9回表に救援登板、先頭打者Danny Valencia(ダニー・バレンシア)にセンター越え3塁打、次打者Matt Wieters(マット・ウィータース)にライト犠飛され失点。この時点で相対した打者37人(8.17ヤンキース戦〜9.13ヤンキース戦)連続アウトの記録も共に途絶えた。この間、被安打6、与四球1を許しただけで、打者96人に対して奪三振41、この2ヶ月間はWHIP=0.231だった。。
■2013年シーズンWHIP=0.565は1901年以降、MLBでシーズン50試合以上登板の救援投手(延べ4,130投手)中で史上1位の成績。また、三振/四球比率=11.22を記録。
■2013年ア・リーグ、チャンピオンシップシリーズ(ALCS)でMVP。タイガースとの対戦(4勝/7戦制)6試合中5試合に救援登板、1勝0敗3セーブ、投球回数6イニング0/0、被安打4、失点0(自責点0)、与四死球0、奪三振9、防御率0.00、打者21、投球数79(ストライク64)と完璧な内容の活躍でワールドシリーズ進出に貢献した。
■2013年MLBワールドシリーズの第2戦に初救援登板(10.24カージナルス戦)、9回表を3者凡退に抑えた。第5戦(10.28カージナルス戦)で初奪三振。ワールドシリーズ6試合中5試合に登板、0勝0敗2セーブ、投球回数4イニング2/3、被安打2、失点0(自責点0)、与四死球0、奪三振3、防御率0.00、打者15、投球数54(ストライク34)と完全に抑え込みワールドシリーズ制覇に貢献。ワールドシリーズ「胴上げ投手」の栄誉で“雑草魂”はMLB5年目にして開花した。ワールドシリーズ制覇を祝福する電話がBarack H Obama(バラク・オバマ)アマリカ大統領からJohn Farrell(ジョン・ファレル)レッドソックス監督にあり、その中で“Remarked on the incredible pitching performance by closer Koji Uehara”(上原浩治は信じられないピッチングを見せた)と称賛された(11.4)。
■2013年MLBワールドシリーズの第3戦(10.26カージナルス戦)、同点(スコア4対4)の9回裏1死走者1塁で救援登板、カージナルス代打Allen Graig(アレン・グレイグ)に2塁打され2、3塁のピンチ、次打者Jon Jay(ジョン・ジェイ)の2塁ゴロで本塁封殺の3塁走者タッチアイト、捕手Jarrod Saltalamacchia(ジャロッド・サルタラマッキア)が3進を狙う2塁走者を刺そうと3塁悪送球、捕球を試み腹這いの3塁手Will Middlebrooks(ウイル・ミドルブルークス)に2塁走者Allen Graig(アレン・グレイグ)が躓きながらも本塁に向かう、ボール処理した左翼からの返球はアウトのタイミング、チェンジと思いきや3塁審判Jim Joyce(ジム・ジョイス)が3塁手の走塁妨害をコール、カージナルスに得点が認められ、唖然茫然のサヨナラ敗けとなる。敗け投手は救援を仰いだBrandon Workman(ブランドン・ワークマン)。ワールドシリーズ史上初の出来事に、会見で責任審判John Hirschbeck(ジョン・ハーシュベック)は「意図的か否かではなく、グランドに横たわり走者の邪魔になったことがオブストラクション(妨害)に相当する」と説明、同席したMLB機構副会長Joe Torre(ジョー・トーレ)も「故意でないプレーを罰するのは不公平と思うこともあるが、これがルール」と見解した。
■2013年MLBワールドシリーズの第4戦で初セーブ(10.27カージナルス戦)。2点リード(スコア4対2)の9回裏に救援登板、2死走者1塁からカージナルス代走Kolten Wong(コルテン・ウォン)をライトニング・クイック(雷のような速さ)の牽制テクニックで1塁牽制刺、ワールドシリーズ史上初の記録で試合を締めた。そして、第6戦でワールドシリーズ初「胴上げ投手」(10.30カージナルス戦)。
■2013年ポストシーズンで7セーブ(ALDS2、ALCS3、WS2)を記録。同一年ポストシーズン7セーブは1996年ヤンキース所属時John Wetteland(ジョン・ウェットラント/レンジャーズ゙)、2002年エンゼルス所属時Troy Percival(トロイ・パーシバル/レイズ)、2002年ジャイアンツ所属時Robb Nen(ボブ・ネン/ジャイアンツ)、2008年フィリーズ所属時Brad Lidge(ブラッド・リッジ/ナショナルズ)が記録、MLBトップ・タイの仲間入り。
■2013年米国スポーツサイト「Sports on Earth」選定の“Breakthrough Stars of 2013”(2013年全米スポーツ界でブレークした10傑)にMLBからはドジャースのYasiel Puig(ヤシエル・プイグ)、マーリンズのJose Fernandez(ホセ・フェルナンデス)と共に選ばれた(12.28)。
■2014年1月21日ワールドシリーズ優勝の報告に優勝トロフィー、レッドソックス・マスコット“ウォーリー(Wally the Green-Monster)”、田澤純一と共に首相官邸を訪ね安倍晋三首相を表敬した。続いて、アメリカ大使館を訪ねCaroline Kennedy(キャロライン・ケネディ)駐日大使も表敬した。キャロライン・ケネディ駐日大使はレッドソックス本拠球場フェンウェイパークでの試合、8回表終了で球場内に流れるNeil Diamond(ニール・ダイアモンド)作曲“Sweet Caroline(スイート・キャロライン)”のモデルとされ、彼女自身もレッドソックスの大ファンで「上原浩治、頑張って!」とツイートしたことでも知られている。
■2014年7月15日MLBオールスターゲーム(ミネアポリス)に代替で選出。田中将大(ヤンキース)の故障者リスト入り(7.9)を受けて交代要員1番手で出場が決まる。ア・リーグ7番手で2点リード(スコア3対5)の6回表2死3塁に救援登板、投球回数0イニング1/3、打者1、奪三振1、投球数4(ストライク4)でピンチを切り、ホールド(H1)が記録された。
■2014年シーズンオフにレッドソックスと2年総額1,800万ドルで契約延長(10.30)。
■2015年5月10日ブルージェイズ戦でセーブを記録してNPB-MLB通算100勝利100セーブ達成。NPB単独での“ダブル100”を江夏豊(西武/206w-193sv)、山本和行(阪神/116w-130sv)、斎藤明夫(大洋/128w-133sv)、郭源治(中日/106w-116sv)、大野豊(広島/148w-138sv)、佐々岡真司(広島/138w-106sv)が、NPB-MLB通算での“ダブル100”を斎藤隆(D-バックス/112w-139sv)が達成していて8人目。先発100勝利での“ダブル100”を江夏豊(西武)、佐々岡真司(広島)が達成していて3人目。記録達成時(129w-100sv)の先発108勝利にMLB先発2勝利が含まれ、先発100勝利と100セーブの両方がNPB-MLB通算の記録は史上初。
■2015年8月7日タイガース戦の9回裏1死満塁で登板(スコア/7対2)、三振で2死とし、次のIan Kinsler(イアン・キンズラー)の打球が思わず出した右手首付近を直撃、痛みを堪えて1塁に送球(投ゴロ)25セーブ目を得るも、試合後の精密検査で右手首骨折が判明、故障者リスト入り(8.8)を余儀なくされた。「投げた後は全身がグローブ、右手(素手)を出した事に悔いはない。また、そう反応するでしょう」とプロ魂のコメント。
■2016年7月19日ジャイアンツ戦で9回表から登板(スコア0対4)、先頭打者Brandon Belt(ブランドン・ベルト)を三振(球数6)に仕留めたところで右胸の違和感を訴え緊急降板、右胸筋肉の肉離れと診断されて故障者リスト入り(7.20)。故障者リスト明け(9.5)のパドレス戦(9.7)で復帰登板、以降の救援登板11試合を投球回数11イニング0/0、失点0、奪三振12と好投、1セーブ、6ホールドを記録してシーズンを終わる。
■2016年シーズンオフにFAとなり、カブスと1年契約の年俸600万ドルで契約(12.14)、ナ・リーグのチームに移籍した。
■2018年巨人と1年契約(3.9)、内容は契約金1億円、年俸2億円+出来高でNPB復帰が決まる。
■2018年7月20日広島戦でホールドを記録してNPB-MLB通算100勝利、100セーブ、100ホールドの“トリプル100”を達成。NPB-MLB通算で134勝利(NPB112+MLB22)、128セーブ(NPB33+MLB95)、100ホールド(NPB19+MLB81)と全て日米プロ合算での記録、プロ・キャリア20年目(43才3ヶ月)で成し遂げた日本人投手初の金字塔。MLBでは唯1人、Tom Gordon(トム・ゴードン/D-バックス/138w-158sv-110hld)が“トリプル100”を記録している。
■2018年シーズンオフ、痛めていた左膝のクリーニング手術を受ける(10.24)。手術は現役続行を見据えるも先は不透明、巨人を自由契約(10.29)。巨人と年俸5,000万円で1年再契約が決まる(12.14)。
■2019年シーズン途中、1軍登板のないまま現役引退を正式発表(5.20)。アメリカ・メディアも「上原浩治が偉大なベースボールの世界から引退する。レッドソックス・ニンジャに心から幸を願っています」と報道、レッドソックス公式ツイッターも“Thank you ,@Team Uehara!Forever #HighFiveCity!(ありがとうウエハラ!ハイファイブシティよ永遠に!)”とツイート、惜別のメッセージを送った。
■NPB史上、制球力抜群の投手をデータで見ると、NPBで1,500イニング以上投げた投手の『投球回9イニング当りの与四球率(BB/9)』1位は上原浩治1.20(与四球211/投球回1,583イニング2/3)、2位は土橋正幸(東映)1.21(与四球339/投球回2,518イニング1/3)、3位は高橋直樹(巨人)1.48(与四球473/投球回2,872イニング2/3)、4位は村田元一(アトムズ)1.49(与四球357/投球回2,154イニング0/0)、5位は杉浦忠(南海)1.53(与四球409/投球回2,413イニング1/3)となる。加えて、『奪三振を与四球で割った比率(K/BB)』1位は上原浩治6.64(奪三振1,400/与四球211)、2位は土橋正幸(東映)4.61(奪三振1,562/与四球339)、3位は杉浦忠(南海)4.29(奪三振1,756/与四球409)、4位は成瀬善久(ヤクルト)3.77(奪三振1,199/与四球318)、5位は稲尾和久(西鉄)3.58(奪三振2,574/与四球719)となる。
■2021年アメリカ、スポーツサイト「ブリチャー・レポート」が特集を組み「ポジション別MLB最高のFA契約」の救援投手部門で上原浩治のレッドソックスFA移籍('12.12.18)、外野手部門でイチローのマリナーズFA移籍('00.11.30)が選ばれた(12.22)。移籍した新天地で大活躍、チーム勝利の貢献度などが最高の評価を受けスーパースターに躍り出た。
■2022年「日本プロ野球名球会」に特例で入会が認められる(12.9)。投手の入会要件は200勝または250セーブ達成者だが、投手の分業制に伴い投手でのハードルが上がり、2019年の総会で特例が設けられた。MLBでの活躍を踏まえ、藤川球児(レンジャーズ/日米プロ通算61勝245セーブ164ホールド)と共に初の適用となった。
■2023年日本学生野球協会(JSBA)から学生野球資格回復を認定され(2.3)、高校生、大学生に野球指導が可能になった。
「NPBデビュー」 1999年4月4日阪神戦(東京ドーム)。
「NPBデータ」 1999年NPB初勝利(4.13広島戦)。 2007年NPB初セーブ(5.2中日戦)。 2007年NPB初ホールド(7.12阪神戦)。 1999年NPB初奪三振(4.4阪神戦)。

「日本プロ野球名球会」 2022年、特例で入会が認められる(12.9)。
「野球日本代表」 2004年アテネ・オリンピック出場、銅メダル。 2008年北京・オリンピック出場、4位。 2006年WBC出場、優勝。 2006年WBC日本代表チームに紫綬褒章。



 


川上 憲伸


川上 憲伸
(かわかみ けんしん)


元 アトランタ・ブレーブス。

1975年6月22日生まれ、徳島県出身。

身長179cm、体重90kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
徳島商高、 明治大。 (1997年ドラフト1巡目) 1998年〜2008年中日・ドラゴンズ、 2012年〜2014年中日・ドラゴンズ。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2009年〜2010年アトランタ・ブレーブス。

『NPBタイトル、表彰、記録』
1998年セ・リーグ新人王。 2004年、2006年セ・リーグ最多勝利。 2006年セ・リーグ最優秀勝率。 2006年セ・リーグ最多奪三振。 2004年セ・リーグMVP。 2004年沢村栄治賞。 2004年、2006年セ・リーグ最優秀投手。 2002年“ノーヒットノーラン試合”達成(8.1巨人戦)。 2007年NPB通算100勝利達成(8.3横浜戦)。 2006年NPB通算1,000奪三振達成(8.3横浜戦)。

「MLBデビュー」
2009年4月11日ナショナルズ戦(ターナー・フィールド)“先発登板”。

「MLBデータ」
2009年MLB初勝利(4.11ナショナルズ戦)“先発登板”。 2009年MLB初セーブ(9.21メッツ戦)。 2009年MLB初奪三振(4.11ナショナルズ戦)。 2009年MLB初代打(5.13メッツ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2007年NPB通算100勝利達成(8.3横浜戦)。 2005年NPB通算1,000投球回達成(5.13ソフトバンク戦)。 2007年NPB通算1,500投球回達成(9.6巨人戦)。 2014年NPB-MLB通算2,000投球回達成(4.4巨人戦)。 2006年NPB通算1,000奪三振達成(8.3横浜戦)。 2012年NPB-MLB通算1,500奪三振達成(7.13巨人戦)。


[川上 憲伸、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1998 中日  26  14− 6   161.1/3  46   124 2.57
1999 中日  29   8− 9   162.0/0  80   102 4.44
2000 中日  14   2− 3    60.1/3  32    24 4.77
2001 中日  26   6−10   145.0/0  60   127 3.72
2002 中日  27  12− 6   182.2/3  49   149 2.35
2003 中日   8   4− 3    53.2/3  18    37 3.02
2004 中日  27  17− 7   192.1/3  71   176 3.32
2005 中日  25  11− 8   180.1/3  75   138 3.74
2006 中日  29  17− 7   215.0/0  60   194 2.51
2007 中日  26  12− 8   167.1/3  66   145 3.55
2008 中日  20   9− 5   117.1/3  30   112 2.30
2012 中日   7   3− 1    28.2/3   9    17 2.83
2013 中日   5   1− 1    28.0/0  10    12 3.21
2014 中日   6   1− 2    32.0/0  17    24 4.78
NPB通算 275 117−76 1,731.0/0 623 1,381 3.24
2009 ブレーブス  32   7−12   156.1/3  67   105 3.86
2010 ブレーブス  18   1−10    87.1/3  50    59 5.15
MLB通算  50   8−22   293.2/3 117   164 4.32
日米プロ通算 325 125−98 2,024.2/3 740 1,545 3.29

<通算ホールド NPB-0、MLB-0>




NPBセ・リーグで
“ノーヒットノーラン試合”達成
('02.8.1 巨人戦)

   
■2002年8月1日“ノーヒットノーラン試合”達成は巨人戦(東京ドーム)でNPBセ・リーグ史上34回目の快挙、バッテリーは谷繁元信。
■2008年シーズンオフにFA権を行使、2009年1月ブレーブスと3年契約の総額2,400万ドルでメジャーリーグ契約。
■2009年5月13日メッツ戦は両チーム総力戦となり、延長12回表2死1塁でMLB初代打で起用されるもメッツ8番手投手の高橋建に空振り三振。5月31日ダイヤモンドバックス戦で9回表1死から投手に代わり野手2人を残して代打に起用、シーズン2度の投手の代打を体験。
■2009年6月19日レッドソックス戦(@フェンウエイ・パーク)で5度目の日本人先発投手対決が実現した。川上憲伸は投球回数6イニング0/0、被安打2、被本塁打1、失点2(自責点2)、与四球3(与死球0)、奪三振5、打者23、投球数83(ストライク48)と好投、松坂大輔は投球回数4イニング0/0、被安打8、被本塁打1、失点6(自責点6)、与四球4(与死球0)、奪三振2、打者23、投球数67(ストライク39)と乱調、試合はブレーブスが勝利して川上憲伸に軍配(スコア8対2)。
■2010年シーズンオフに成績不振から3年契約を1年残してメジャー選手登録40人枠も外される。
■2011年はブレーブス傘下チーム、ミシシッピ(ATL-AA)で16試合、2勝4敗0セーブ、投球回数40イニング2/3、自責点38、奪三振32、防御率8.41の成績、シーズン中の移籍を待つも高額年俸の負担がネックとなり移籍球団が決まらないまま契約も終了。
■2015年シーズンは1月からの右肩痛も完治しない中で左膝痛も併発、投球練習も出来ていないままシーズン終了(1軍選手登録なし)。現役続行を望むも戦力外通告、退団を表明(10.20)。
「NPBデビュー」 1998年4月9日阪神戦(ナゴヤドーム)。
「NPBデータ」 1998年NPB初勝利(4.9阪神戦)。 1999年NPB初セーブ(6.3巨人戦)。 1998年NPB初奪三振(4.9阪神戦)。

「野球日本代表」 2008年北京・オリンピック出場、4位。



 


高橋 建


高橋 建
(たかはし けん)

元 ニューヨーク・メッツ。

1969年4月16日生まれ、神奈川県出身。

身長184cm、体重90kg。
左投げ、左打ち。

『NPB履歴』
横浜高、 拓殖大、 トヨタ自動車。 (1994年ドラフト4巡目) 1995年〜2008年広島東洋・カープ、 2010年広島東洋・カープ。
『MLB履歴』
(FA権行使) (2009年トロント・ブルージェイズ) 2009年ニューヨーク・メッツ。

「MLBデビュー」
2009年5月2日@フィリーズ戦(シチズンズバンク・パーク)“救援(中継ぎ)”。

「MLBデータ」
2009年MLB初奪三振(5.2フィリーズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2003年NPB通算1,000投球回達成(8.20ヤクルト戦)。 2008年NPB通算1,000奪三振達成(5.9ヤクルト戦)。


[高橋 建、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1995 広島  39  4− 4   90.0/0  39   54 3.90
1996 広島  24  2− 1   52.2/3  29   40 4.96
1997 広島  34  3− 4   62.0/0  33   35 4.79
1998 広島  41  3− 8  101.0/0  43   76 3.83
1999 広島  36  3− 7  102.0/0  53   90 4.68
2000 広島  50  5− 9  112.1/3  49   88 3.93
2001 広島  30 10− 8  173.0/0  82  132 4.27
2002 広島  26  9−14  173.1/3  74  142 3.84
2003 広島  24  9− 8  167.0/0  68  127 3.66
2004 広島  18  3−10   96.0/0  59   66 5.53
2005 広島  14  0− 2   26.2/3  28   14 9.45
2006 広島  54  2− 3   46.0/0  24   40 4.70
2007 広島  22  5− 4  112.0/0  46   74 3.70
2008 広島  21  8− 5  115.2/3  45   71 3.50
2010 広島  26  4− 5   30.0/0  31   17 9.30
NPB通算 459 70−92 1,459.2/3 703 1,066 4.33
2009 メッツ  28  0− 1    27.1/3   9    23 2.96
MLB通算  28  0− 1    27.1/3   9    23 2.96
日米プロ通算 487 70−95 1,487.0/0 712 1,089 4.31

<通算ホールド NPB-23、MLB-0>


■2009年ブルージェイズとマイナーリーグ契約(2.6)、開幕からメジャーリーグ昇格で活躍すれば年俸は出来高含め150万ドル。オープン戦デビューのレイズ戦(3.1)でスクイズの打球処理した際、軽度の右足ふくらはぎ肉離れを起こし途中降板、不運のロスターカット通告(3.15)を受け昇格ならず。戦力外通告を受けた直後、メッツとマイナーリーグ契約(3.30)。メッツ傘下トリプルA、バファローからポータケット戦(4.9)でマイナーリーグ公式戦デビュー、中継ぎで認められメッツ昇格(4.27)。
■2009年5月2日MLBデビュー時の年齢が40才16日はMLB史上4番目の遅咲きで、1948年に42才2日でインディアンスからのSatchel Paige(サッチェル・ペイジ/カンサスシティー・アスレチックス)、 1960年に41才226日でパイレーツからのDiomedes Olivo(ディオメデェス・オリボ/カージナルス)、1944年に40才208日でタイガースからのChuck Hostetler(チャック・ホステトラー/タイガース)が40才台でMLBデビュー、続いてのオールド・ルーキー誕生。
「NPBデビュー」 1995年4月8日横浜戦(広島市民球場)。
「NPBデータ」 1995年NPB初勝利(4.20中日戦)。 1996年NPB初セーブ(9.29横浜戦)。 1995年NPB初奪三振(4.8横浜戦)。




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