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『MR.ZERO』 高津 臣吾


高津 臣吾
(たかつ しんご)

元 ニューヨーク・メッツ。

1968年11月25日生まれ、広島県出身。

身長180cm、体重73kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
広島工業高、 亜細亜大。 (1990年ドラフト3巡目) 1991年〜2003年ヤクルト・スワローズ、 2006年〜2007年東京ヤクルト・スワローズ。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2004年〜2005年シカゴ・ホワイトソックス、 2005年ニューヨーク・メッツ。 (2008年シカゴ・カブス) (2009年サンフランシスコ・ジャイアンツ)

『NPBタイトル、表彰、記録』
1994年、1999年、2001年、2003年セ・リーグ最優秀救援。 2021年正力松太郎賞。 2022年野球殿堂博物館・プレーヤー表彰(野球殿堂入り)。 2003年NPB通算500試合登板達成(6.20横浜戦)。 2003年NPB通算250セーブ達成(8.16中日戦)。 2007年NPB通算286セーブ記録。

「MLBデビュー」
2004年4月9日@ヤンキース戦(ヤンキー・スタジアム)“救援登板(完了)”。

「MLBデータ」
2004年MLB初勝利(5.1ブルージェイズ戦)“完了登板”。 2004年MLB初セーブ(6.12ブレーブス戦)。 2004年MLB初ホールド(5.3オリオールズ戦)。 2004年MLB初奪三振(4.9ヤンキース戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2003年NPB通算500試合登板達成(6.20横浜戦)。 1999年NPB通算100セーブ達成(4.17阪神戦)。 2000年NPB通算150セーブ達成(9.6阪神戦)。 2002年NPB通算200セーブ達成(4.28阪神戦)。 2003年NPB通算250セーブ達成(8.16中日戦)。 2006年NPB-MLB通算300セーブ達成(10.7広島戦)。


[高津 臣吾、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1991 ヤクルト  13  1− 1   0  27.2/3  13  25 4.23
1992 ヤクルト  23  5− 3   0  82.2/3  43  63 4.68
1993 ヤクルト  56  6− 4  20  78.1/3  20  72 2.30
1994 ヤクルト  47  8− 4  19  72.1/3  23  54 2.86
1995 ヤクルト  39  1− 3  28  48.1/3  14  36 2.61
1996 ヤクルト  39  2− 6  21  50.0/0  18  35 3.24
1997 ヤクルト  51  7− 4   7  79.1/3  18  68 2.04
1998 ヤクルト  42  2− 3   3  45.1/3  28  32 5.56
1999 ヤクルト  40  1− 1  30  41.1/3  10  38 2.18
2000 ヤクルト  35  0− 1  29  34.2/3   8  29 2.08
2001 ヤクルト  52  0− 4  37  51.2/3  15  39 2.61
2002 ヤクルト  44  0− 2  32  41.2/3  18  28 3.89
2003 ヤクルト  44  2− 3  34  42.0/0  14  26 3.00
2006 ヤクルト  48  1− 2  13  42.2/3  13  31 2.74
2007 ヤクルト  25  0− 5  13  23.1/3  16  15 6.17
NPB通算 598 36−46 286 761.1/3 271 591 3.20
2004 ホワイトソックス  59  6− 4  19  62.1/3  16  50 2.31
2005 ホワイトソックス  31  1− 2   8  28.2/3  19  32 5.97
メッツ   9  1− 0   0   7.2/3   2   6 2.35
シーズン計  40  2− 2   8  36.1/3  21  38 5.20
MLB通算  99  8− 6  27  98.2/3  37  88 3.38
日米プロ通算 697 44−52 313 860.0/0 308 679 3.22

<通算ホールド NPB-8、MLB-8> <シーズン中途移籍 '05.8.12〜メッツ>


 

NPB通算250セーブ達成
('03.8.16 中日戦)


NPBヤクルト監督で日本シリーズ制覇
('21.11.27 オリックス戦)
■2003年シーズンオフにFA権を行使、2004年1月ホワイトソックスと1年契約(1年延長オプション付)の総額100万ドル(年俸75万ドル)+出来高(50万ドル)でメジャーリーグ契約。
■2006年9月16日NPB通算300セーブポイント達成(広島戦)は1993年4月14日NPB初セーブポイント(阪神戦)を救援勝利で記録してからの金字塔。なお、2005年でセーブポイントのNPB公式記録は廃止されNPB通算記録としては佐々木主浩(横浜)とタイ記録の289セーブポイント。
■2008年6月韓国プロ野球(KBO)のウリ・ヒーローズ('08.8〜ヒーローズ)と契約、6月29日LG・ツインズ(LG・トゥインス)戦でKBO初セーブ、9月25日斗山・ベアーズ(トゥサン・ペオス)戦でKBO初勝利を記録。韓国プロ野球(KBO)での成績は18試合、1勝0敗8セーブ、投球回21イニング0/0、自責点2、奪三振18、防御率0.86と好成績ながら外国選手登録枠の関係で契約延長は叶わず。
■2009年6月ジャイアンツとマイナーリーグ契約、ジャイアンツ傘下チーム、フレズノ(SF-AAA)で14試合、0勝1敗0セーブ、投球回数18イニング1/3、自責点14、奪三振16、防御率6.87の成績でシーズンを終わる。
■2010年2月台湾プロ野球(CPBL)の興農・牛(シンノン・ブルズ)と契約、3月31日兄弟・象(ションディー・エレファンツ)戦でCPBL初セーブ、4月13日統一7-ELEVEN・獅(トンイ・セブンイレブン・ライオンズ)戦でCPBL初勝利、日米韓台の4ヶ国のトップリーグ(NPB-MLB-KBO-CPBL)で勝利とセーブを史上初で記録した。台湾プロ野球(CPBL)での成績は40試合、1勝2敗26セーブ、投球回43イニング0/0、自責点9、奪三振32、防御率1.88。なお、日本プロ野球(NPB)のNPB初勝利を1991年9月12日大洋戦、NPB初セーブを1993年5月2日巨人戦で記録。
■2011年1月BCリーグ、新潟・アルビレックスBCと契約。2012年から監督兼任となり、BCリーグの初制覇を成し遂げる。四国アイランドリーグplus、香川・オリーブガイナーズとのグランドチャンピオンシップをも制覇し独立リーグ日本一となり、花道を飾ってチーム退団(10.29)。新潟・アルビレックスBCでの通算成績の27試合、0勝2敗16セーブ、投球回数25イニング1/3、自責点6、奪三振18、防御率2.13。
■2016年シーズンオフ、ヤクルトの2軍監督に就任(10.31)。
■2019年シーズンオフ、ヤクルトの1軍監督に就任(10.1)。年俸8,000万円で3年契約。
■2020年度の野球殿堂博物館、プレーヤー表彰(野球殿堂入り)の選考投票で259票を獲得、当選必要票数266票(有効投票数354票の75パーセント)に僅か7票足らず、持ち越しになる(1.14)。2021年度は候補者が30名(新規候補者11名)となり、選考投票で部門トップの259票を獲得も、当選必要数269(有効投票数358票の75パーセント)に10票足らず、同様の結果になる(1.14)。
■2021年ヤクルト監督就任2年目でセ・リーグ優勝を決める(10.26)。ヤクルトを指揮した日本シリーズでパ・リーグの覇者オリックスを4勝2敗で制し、20年ぶりに日本一の栄冠(11.27)。前年最下位のチームが日本シリーズを制覇したのは1960年の大洋(三原脩/'60〜'67大洋監督)以来の快挙。また、MLB選手経験者の監督(井口資仁/'18〜ロッテ監督、高津臣吾/'20〜ヤクルト監督、石井一久/'21〜楽天GM兼監督)で初の胴上げ監督になる。
■2021年チームを日本一(20年ぶりの日本シリーズ制覇)に導いた手腕を高く評価され「正力松太郎賞」の受賞が決まる(12.7)。プロ野球の年間表彰式「NPBアワーズ」で金メダル(副賞500万円)が贈られる(12.15)。
■2022年度の野球殿堂博物館、プレーヤー表彰(野球殿堂入り)の選考投票で311票を獲得、候補者1位で選出された(1.14)。当選必要票数271票(有効投票数361票の75パーセント)を上回り、2位の山本昌(中日)307票(85パーセント)と共に選出された。なお、MLB経験者では野茂英雄(ロイヤルズ)、佐々木主浩(マリナーズ)、松井秀喜(レイズ)に続いて4人目。
■2022年ヤクルトがセ・パ交流戦に優勝&セ・リーグ首位(6.12時点)のタイミングで衣笠剛ヤクルト球団社長は契約を2年延長(〜'24)すると発表(6.14)。
「NPBデビュー」 1991年4月24日@大洋戦(横浜スタジアム)。
「NPBデータ」 1991年NPB初勝利(9.12大洋戦)。 1993年NPB初セーブ(5.2巨人戦)。 1991年NPB初奪三振(5.2中日戦)。

「日本プロ野球名球会」 1993年5月2日NPB初セーブ(巨人戦)を起点に2003年8月16日NPB通算250セーブ達成(中日戦)で資格クリア、2003年入会。



 


多田野 数人


多田野 数人
(ただの かずひと)

元 クリーブランド・インディアンス。

1980年4月25日生まれ、東京都出身。

身長181cm、体重78kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
(2007年ドラフト1巡目/大学生・社会人枠) 2008年〜2014年北海道日本ハム・ファイターズ。
『MLB履歴』
八千代松蔭高、 立命館大。 (NPB未経験) 2004年〜2005年クリーブランド・インディアンス。 (2006年〜2007年オークランド・アスレチックス)

「MLBデビュー」
2004年4月27日@ホワイトソックス戦(USセルラー・フィールド)“救援登板(中継ぎ)”。

「MLBデータ」
2004年MLB初勝利(7.2レッズ戦)“先発登板”。 2004年MLB初奪三振(5.4レッドソックス戦)。


[多田野 数人、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
2008 日本ハム 19  7− 7 105.1/3  56  61 4.78
2009 日本ハム 13  5− 5  70.1/3  45  46 5.76
2010 日本ハム  2  0− 1   8.2/3   5   8 5.19
2011 日本ハム 19  0− 0  34.1/3  12  17 3.15
2012 日本ハム 18  6− 5  90.0/0  37  48 3.70
2013 日本ハム  4  0− 2  19.1/3   6   6 2.79
2014 日本ハム  5  0− 0   5.1/3   3   1 5.06
NPB通算 80 18−20 333.1/3 164 187 4.43
2004 インディアンス 14  1− 1  50.1/3  26  39 4.65
2005 インディアンス  1  0− 0   4.0/0   1   1 2.25
2006 アスレチックス
MLB通算 15  1− 1  54.1/3  27  40 4.47
日米プロ通算 95 19−21 387.2/3 191 227 4.43

<通算ホールド NPB-2、MLB-0>


■2002年NPB(日本プロ野球)ドラフト会議では横浜が自由獲得枠で指名確実とされながら肘の故障歴(実はスキャンダル報道)を理由に敬遠、他球団も指名回避。2003年3月トライアウトを受けインディアンスとマイナーリーグ契約、2004年4月インディアンスに昇格とNPBを経由しないキャリア。
■2004年9月2日ヤンキース戦で屈指の強打者Alex Rodriguez(アレックス・ロドリゲス)を山なりで計測不能の超スローボール“タダノ・ボール”で幻惑、サードゴロに討ち取りヤンキースタジアムを沸かす。
■2006年4月4日インディアンス傘下チーム、バファロー(CLE-AAA)からマイナー選手同士のトレードでアスレチックス傘下チーム、サクラメント(OAK-AAA)にメジャーリーグ契約は確保のまま移籍、6月20日MLB選手登録40人枠(40-Man Roster)を外され契約解除、マイナーリーグ契約に切替えてアスレチックス傘下チーム、サクラメント(OAK-AAA)でプレイ。2007年もアスレチックス傘下チーム、サクラメント(OAK-AAA)に所属、チームがパシフィックコースト・リーグ(MiLB-AAA)優勝し胴上げ投手を経験。
■2012年11月1日NPB日本シリーズ第5戦、巨人攻撃の4回表無死1塁で打者の加藤建への初球は頭部付近を(テレビ中継のスーパースロー・リプレイ映像でも)通過し鶴田慎也捕手も捕球できず。加藤建のバンド姿勢から仰向けに転倒し頭を押さえる演技と原辰徳監督のアピールに、柳田浩一球審が最初ファールのコールから一転しヘルメットに当てたと死球の大誤審。さらに、投球を危険球と見なされ日本シリーズ史上初の退場処分。栗山英樹監督の抗議も認められず、札幌ドームに大ブーイングが響いた。
■2014年6月1日阪神戦の8回表(スコア4対1)にシーズン初登板、先頭打者の4番マウロ・ゴメス(Mauro Gomez)にカウント1-2から4球目、計測不能の超スローボール“スカイツリー・ボール”を投げ意表を突き(見送られボール)、5球目ど真ん中ストレートを打たせサードゴロに仕留めた。なお、得意技の超スローボール“スカイツリー・ボール”は彼が東京スカイツリー('12.5〜)の立地する東京都墨田区出身であることに由来。
■2015年独立リーグのルートインBCリーグ、石川・ミリオンスターズに投手コーチ兼任で契約(1.15)。
■2017年シーズンオフ、日本ハムのチーム統轄本部プロスカウトに就任(12.7)、チーム編成にも携わる。
「NPBデビュー」 2008年5月2日楽天戦(札幌ドーム)。
「NPBデータ」 2008年NPB初勝利(5.2楽天戦)。 2008年NPB初奪三振(5.2楽天戦)。



 


『TAD』 井口 資仁


井口 資仁
(いぐち ただひと)

元 フィラデルフィア・フィリーズ。

1974年12月4日生まれ、東京都出身。

身長176cm、体重84kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
国学院久我山高、 青山学院大。 (1996年ドラフト1巡目) 1997年〜2004年福岡ダイエー・ホークス、 2009年〜2017年千葉ロッテ・マリーンズ。
『MLB履歴』
(自由契約選手) 2005年〜2007年シカゴ・ホワイトソックス、 2007年フィラデルフィア・フィリーズ、 2008年サンディエゴ・パドレス、 2008年フィラデルフィア・フィリーズ。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2001年、2003年パ・リーグ盗塁王。

「MLBデビュー」
2005年4月4日インディアンス戦(USセルラー・フィールド)“先発出場(2番・セカンド)”。

「MLBデータ」
2005年MLB初安打(4.6インディアンス戦)。 2005年MLB初打点(4.7インディアンズ戦)。 2005年MLB初本塁打(5.3ロイヤルズ戦)。 2006年MLB初満塁本塁打(5.20カブス戦)。 2005年MLB初代打本塁打(5.16レンジャーズ戦)。 2005年MLB初盗塁(4.6インディアンス戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2009年NPB-MLB通算1,500試合出場達成(9.4オリックス戦)。 2013年NPB通算1,500試合出場達成(6.22日本ハム戦)。 2013年NPB-MLB通算2,000試合出場達成(6.29ソフトバンク戦)。 2005年NPB-MLB通算1,000安打達成(9.26タイガース戦)。 2010年NPB通算1,000安打達成(4.4オリックス戦)。  2010年NPB-MLB通算1,500安打達成(4.10西武戦)。 2013年NPB通算1,500安打達成(7.24西武戦)。 2013年NPB-MLB通算2,000安打達成(7.26楽天戦)。 2005年NPB-MLB通算150本塁打達成(5.3ロイヤルズ戦)。 2009年NPB通算150本塁打達成(4.7日本ハム戦)。 2009年NPB-MLB通算200本塁打達成(5.10楽天戦)。 2012年NPB通算200本塁打達成(5.28広島戦)。 2013年NPB-MLB通算250本塁打達成(4.16日本ハム戦)。 2017年NPB通算250本塁打達成(5.25ソフトバンク戦)。 2012年NPB-MLB通算1,000打点達成(8.7西武戦)。 2016年NPB通算1,000打点達成(9.1楽天戦)。 2008年NPB-MLB通算200盗塁達成(4.6ドジャース戦)。


[井口 資仁、通算成績] 

年 度 所 属 試 合 打 数 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 打 率
1997 ダイエー    76   217    44   8    23   3 0.203
1998 ダイエー   135   421    93  21    66  12 0.221
1999 ダイエー   116   370    83  14    47  14 0.224
2000 ダイエー    54   165    40   7    23   5 0.247
2001 ダイエー   140   552   144  30    97  44 0.261
2002 ダイエー   114   428   111  18    53  21 0.259
2003 ダイエー   135   515   175  27   109  42 0.340
2004 ダイエー   124   510   170  24    89  18 0.333
2009 ロッテ   123   448   126  19    65   4 0.281
2010 ロッテ   143   531   156  17   103   2 0.294
2011 ロッテ   140   509   135   9    73   1 0.265
2012 ロッテ   140   505   129  11    60   3 0.255
2013 ロッテ   135   485   144  23    83   4 0.297
2014 ロッテ   109   357    85  10    49    0.238
2015 ロッテ    87   227    56   6    28   1 0.247
2016 ロッテ    79   152    39   5    34   1 0.257
2017 ロッテ    65   123    30   2    15   0 0.244
NPB通算 1,915 6,512 1,760 251 1,017 176 0.270
2005 ホワイトソックス   135   511   142  15    71  15 0.278
2006 ホワイトソックス   138   555   156  18    67  11 0.281
2007 ホワイトソックス    90   327    82   6    31   8 0.251
フィリーズ    45   138    42   3    12   6 0.304
シーズン計   135   465   124   9    43  14 0.267
2008 パドレス    81   303    70   2    24   8 0.231
フィリーズ     4     7     2   0     0   0 0.286
シーズン計    85   310    72   2    24   8 0.232
MLB通算   493 1,841   494  44   205  48 0.268
日米プロ通算 2,408 8,353 2,254 295 1,222 224 0.270

<シーズン中途移籍 '07.7.27〜フィリーズ、'08.9.5〜フィリーズ>


 

NPB-MLB(日米プロ)
通算2,000安打達成
('13.7.26 楽天戦)
 

NPB通算1,000打点達成
('16.9.1 楽天戦)

■1997年ハワイ・ウインター・ベースボールにダイエーから派遣選手として参加、チームはウエストオアフ・ケインファイヤーズ。
■2003年7月26日NPBオリックス戦で1試合4二塁打を記録。
■2004年シーズンオフにダイエーはMLB移籍を認めるという覚書を遵守して自由契約選手、2005年1月ホワイトソックスと2年契約(1年延長オプション付)の総額495万ドルでメジャーリーグ契約。
■2005年MLBワールドシリーズに出場、ワールドシリーズ制覇して優勝記念のチャンピオンズ・リング授与。
■2005年MLB全30球団の監督投票による新人ベストナイン。
■2009年NPB通算150本塁打達成(4.7日本ハム戦)は同時にNPB全打順での本塁打達成となり史上7人目の快挙。
■2013年7月26日楽天戦でNPB-MLB(日米プロ)通算2,000安打達成。6回表無死走者なし(第3打席)に田中将大投手の初球を左中間スタンドに運ぶ本塁打、2,016試合目(NPB1,523-MLB493)で決めた金字塔。
■2017年9月24日ZOZOマリンスタジアムでの日本ハム戦に引退選手特例登録の適用で1軍登録(1日限定)、6番DHで先発出場した。引退試合にはロッテ選手全員が内緒で用意した背番号6のユニホームを着用、始球式を長女の琳王(リオ)嬢が務めるなど、ファンと盛り上げた。スコア3対1と2点を追う9回裏無死走者1塁(第4打席)で日本ハム守護神の増井浩俊のカウント2-1からの4球目ストレート(149キロ)をバックスクリーン右に打ち込み同点にするなど、当日は5打数、2安打(1本塁打)、2打点と主役を演じた。試合は12回裏にロッテ主将の鈴木大地がサヨナラ打を放ち決着した。なお、古巣ホワイトソックスでも引退セレモニー(エンゼルス戦で始球式)を行い、引退を惜しんだ(9.28)。ホワイトソックスの88年ぶりのワールドシリーズ制覇('05)は彼のプレイスタイル(個々のパフォーマンスより、繋ぐ野球、チームプレーに徹する姿勢)がチーム内に浸透、視点を変えたことが原動力と今も信頼の厚い古巣からオファー、日米での引退セレモニーとなる。
■2017年シーズンオフ、千葉ロッテの監督に就任(10.12)。アメリカ・メジャーリーグ(MLB)選手の経験者で日本プロ野球(NPB)のチーム監督に就任するのは初めて。
■2022年シーズン最終戦(10.2ソフトバンク戦)終了後、ZOZOマリンスタジアムで行われた挨拶でファンを前にロッテ監督を辞任すると涙ながらに発表した。チームはパ・リーグ5位に沈み、クライマックス・シリーズ(CS)進出を逃していた。
■2023年日本学生野球協会(JSBA)から学生野球資格回復を認定され(2.3)、高校生、大学生に野球指導が可能になった。
「NPBデビュー」 1997年5月3日近鉄戦(福岡ドーム)。
「NPBデータ」 1997年NPB初安打(5.3近鉄戦)。 1997年NPB初本塁打(5.3近鉄戦)。 1997年NPB初打点(5.3近鉄戦)。 1997年NPB初盗塁(7.11オリックス戦)。

「日本プロ野球名球会」 1997年5月3日NPB初安打(近鉄戦)を起点に2013年7月26日NPB-MLB通算2,000安打達成(楽天戦)で資格クリア、2013年入会。
「野球日本代表」 1996年アトランタ・オリンピック出場、銀メダル。



 


藪 恵壹


藪 恵壹
(やぶ けいいち)

元 サンフランシスコ・ジャイアンツ。

1968年9月28日生まれ、三重県出身。

身長184cm、体重91kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
新宮高、 東京経済大、 朝日生命。 (1993年ドラフト1巡目) 1994年〜2004年阪神・タイガース。 2010年東北楽天・ゴールデンイーグルス。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2005年オークランド・アスレチックス。 (2006年コロラド・ロッキーズ) 2008年サンフランシスコ・ジャイアンツ。

『NPBタイトル、表彰、記録』
1994年セ・リーグ新人王。 2004年NPB通算1,000奪三振達成(8.11横浜戦)。

「MLBデビュー」
2005年4月9日@デビルレイズ戦(トロピカーナ・フィールド)“救援登板(中継ぎ)”。

「MLBデータ」
2005年MLB初勝利(4.22エンゼルス戦)“中継ぎ登板”。 2005年MLB初セーブ(7.25インディアンス戦)。 2005年MLB初ホールド(6.21マリナーズ戦)。 2005年MLB初奪三振(4.9デビルレイズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
1999年NPB通算1,000投球回達成(6.5ヤクルト戦)。 2003年NPB通算1,500投球回達成(7.11巨人戦)。 2004年NPB通算1,000奪三振達成(8.11横浜戦)。


[藪 恵壹、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1994 阪神  26  9−  9   181.1/3  64   110 3.18
1995 阪神  27  7− 13   196.0/0  65   118 2.98
1996 阪神  30 11− 14   195.1/3  87   145 4.01
1997 阪神  29 10− 12   183.0/0  73   111 3.59
1998 阪神  24 11− 10   164.0/0  64    90 3.51
1999 阪神  28  6− 16   173.1/3  76    95 3.95
2000 阪神  25  6− 10   151.0/0  70    95 4.17
2001 阪神  17  0−  4    55.0/0  25    26 4.09
2002 阪神  20 10−  6   131.2/3  46    97 3.14
2003 阪神  23  8−  3    97.2/3  43    67 3.96
2004 阪神  19  6−  9   116.1/3  39    75 3.02
2010 楽天  11  0−  0    11.0/0   6     6 4.91
NPB通算 279 84−106 1,655.2/3 658 1,035 3.58
2005 アスレチックス  40  4−  0    58.0/0  29    44 4.50
2008 ジャイアンツ  60  3−  6    68.0/0  27    48 3.57
MLB通算 100  7−  6   126.0/0  56    92 4.00
日米プロ通算 379 91−112 1,781.2/3 714 1,127 3.61

<通算ホールド NPB-2、MLB-10>


■2004年シーズンオフにFA権を行使、2005年1月アスレチックスと1年契約(1年延長オプション付)の総額100万ドル(年俸75万ドル)+出来高(30万ドル)でメジャーリーグ契約。
■2006年6月メキシカン・リーグ(MiLB-AAA)のティファナと契約、11月メキシコのウインターリーグではメヒカリでプレイ、2007年サンフランシスコで自主トレーニングを重ねて12月ジャイアンツとマイナーリーグ契約、2008年3月ジャイアンツ春季キャンプ招待選手(Non-Roster Invitees)から開幕メジャー25人枠(Active Roster)昇格を果たす。
■2008年4月14日ダイヤモンドバックス戦で救援勝利は2005年5月20日ジャイアンツ戦で救援勝利して以来1,060日ぶりの美酒。
■2008年5月30日パドレス戦でトリプルプレー成立をアシスト。8回表無死1、2塁でリリーフ、5番Kevin Kouzmanoff(ケビン・クーズマノフ)に初球を打たさせサードゴロ、2塁走者を3塁封殺の後、ボールが2塁、1塁と転送されトリプルプレー。
「NPBデビュー」 1994年4月13日中日戦(阪神甲子園球場)。
「NPBデータ」 1994年NPB初勝利(4.19広島戦)。 1994年NPB初奪三振(4.13中日戦)。



 


『NORI』 中村 紀洋


中村 紀洋
(なかむら のりひろ)

元 ロサンゼルス・ドジャース。

1973年7月24日生まれ、大阪府出身。

身長180cm、体重92kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
渋谷高。 (1991年ドラフト4巡目) 1992年〜2004年近鉄・バファローズ(’99〜大阪近鉄・バファローズ)、 2006年オリックス・バファローズ、 2007年〜2008年中日・ドラゴンズ、 2009年〜2010年東北楽天・ゴールデンイーグルス、 2011年〜2014年横浜・ベイスターズ(’12〜横浜DeNA・ベイスターズ)。
『MLB履歴』
(ポスティング制度) 2005年ロサンゼルス・ドジャース。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2000年パ・リーグ本塁打王。 2000年、2001年パ・リーグ打点王。 2007年日本シリーズMVP。 1994年サイクル安打達成(9.18日本ハム戦)。 2007年NPB通算1,500安打達成(9.26巨人戦)。 2004年NPB通算300本塁打達成(6.4千葉ロッテ戦)。 2007年NPB通算1,000打点達成(7.5広島戦)。

「MLBデビュー」
2005年4月10日@ダイヤモンドバックス戦(バンク・ワン・ボールパーク)“途中出場(代打HP)”。

「MLBデータ」
2005年MLB初安打(4.10ダイヤモンドバックス戦)。 2005年MLB初打点(4.24ロッキーズ戦)。 2005年MLB1塁初守備(4.16パドレス戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算成績」
2007年NPB-MLB通算1,500試合出場達成(4.17阪神戦)。 2007年NPB通算1,500試合出場達成(5.6横浜戦)。 2011年NPB-MLB通算2,000試合出場達成(8.31巨人戦)。 2011年NPB通算2,000試合出場達成(10.4巨人戦)。 2002年NPB通算1,000安打達成(5.29千葉ロッテ戦)。 2007年NPB-MLB通算1,500安打達成(9.22広島戦)。 2007年NPB通算1,500安打達成(9.16巨人戦)。 2013年NPB-MLB通算2,000安打達成(5.1ヤクルト戦)。 2013年NPB通算2,000安打達成(5.5中日戦)。 2000年NPB通算150本塁打達成(5.20日本ハム戦)。 2001年NPB通算200本塁打達成(6.13福岡ダイエー戦)。 2002年NPB通算250本塁打達成(8.18西武戦)。 2004年NPB通算300本塁打達成(6.4千葉ロッテ戦)。 2008年NPB通算350本塁打達成(6.7日本ハム戦)。 2013年NPB通算400本塁打達成(6.30中日戦)。 2007年NPB-MLB通算1,000打点達成(6.5オリックス戦)。 2007年NPB通算1,000打点達成(7.5広島戦)。 2012年NPB通算1,000得点達成(5.20ロッテ戦)。 2013年NPB通算1,000四球達成(4.27阪神戦)。


[中村 紀洋、通算成績]

年 度 所 属 試 合 打 数 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 打 率
1992 近鉄    11    27     6   2     5  0 0.222
1993 近鉄     8     9     1   0     1  0 0.111
1994 近鉄   101   192    54   8    36  0 0.281
1995 近鉄   129   470   107  20    64  0 0.228
1996 近鉄   110   411   112  26    67  4 0.273
1997 近鉄   128   455   109  19    68  3 0.240
1998 近鉄   132   481   125  32    90  1 0.260
1999 近鉄   135   514   134  31    95  3 0.261
2000 近鉄   127   476   132  39   110  1 0.277
2001 近鉄   140   525   168  46   132  3 0.320
2002 近鉄   140   511   150  42   115  2 0.294
2003 近鉄   117   381    90  23    67  1 0.236
2004 近鉄   105   387   106  19    66  0 0.274
2006 オリックス    85   328    76  12    45  0 0.232
2007 中日   130   457   134  20    79  2 0.293
2008 中日   140   493   135  24    72  0 0.274
2009 楽天    77   263    58   2    26  0 0.221
2010 楽天   129   473   126  13    64  0 0.266
2011 横浜    62   115    24   1    14  0 0.209
2012 DeNA   126   442   121  11    61  1 0.274
2013 DeNA   122   431   121  14    61  1 0.281
2014 DeNA    13    49    12   0    10  0 0.245
NPB通算 2,267 7,890 2,101 404 1,348 22 0.266
2005 ドジャース    17    39     5   0     3  0 0.128
MLB通算    17    39     5   0     3  0 0.128
日米プロ通算 2,284 7,929 2,106 404 1,351 22 0.266


 

NPB通算2,000安打達成
('13.5.5 中日戦)
 

NPB通算400本塁打達成
('13.6.30 中日戦)
■1994年9月18日NPB日本ハム戦でサイクル安打達成。
■2002年シーズンオフにFA権行使、12月メッツと2年契約(1年延長オプション契約付)の総額700万ドルでメジャーリーグ契約合意を先行報道したと突然翻意、近鉄に4年契約で残留。
■2004年11月近鉄、オリックス合併球団のオリックスと新規参入球団の楽天との選手分配ドラフト会議でオリックスのプロテクト(優先保有)選手に指名されるがMLB移籍を強く希望、オリックスが折れ移籍を容認。
■2005年1月ポスティング制度ではドジャースが落札(詳細非公表)、2月ドジャースとマイナーリーグ契約(年俸50万ドル/スプリット契約)、4月10日ドジャースに昇格するも5月8日マイナーリーグ降格の通告、メジャー生活は僅か1ヶ月。シーズンをドジャース傘下チーム、ラスベガス(LAD-AAA)でプレイ、成績は101試合、357打数、89安打、22本塁打、67打点、盗塁0、打率0.249と規定打席(MiLB)をクリアも再昇格は叶わず、チーム事情の度に契約条件上の壁に弾かれて犠牲なる厳しさに「本当の勝負をさせてもらえなかった」と不本意な結果となる。
■2005年ドジャースでの守備で3塁10試合、遊撃2試合、2塁1試合、1塁4試合を担い、MLBで日本人初の1塁守備(4.16パドレス戦)、1塁先発守備(4.20パドレス戦)を記録。
■2005年シーズンオフにオリックスと1年契約の年俸2億円+出来高(5,000万円)で契約、日本プロ野球に復帰。
■2006年シーズンオフのオリックスとの契約更改交渉で「左手首の故障は公傷(死球)によるもので大幅減俸は呑めない」として決裂、移籍先を探すことになるが、他の球団も“ワガママ・ノリ”を見放して選手生命を断たれるやの危機に陥る。
■2007年2月12日中日が育成選手枠で救済、3桁の背番号205で再スタート、3月22日支配下選手に昇格、2桁の背番号99で心機一転のシーズンとなる。2007年NPB日本シリーズMVPを獲得。シーズンを育成選手からスタートして日本シリーズMVPを獲得したのはNPB史上初の快挙。
■2007年、2008年NPBセ・リーグでゴールデングラブ賞を受賞、1999年〜2002年、2004年パ・リーグでもゴールデングラブ賞を受賞、3塁手として両リーグでの受賞を守備面でも高評価。
■2008年シーズンオフにFA権行使で楽天に移籍、2010年シーズンオフ楽天から戦力外の通告。
■2011年移籍先が決まらないままシーズン開幕、横浜の加地隆雄(球団社長)からの電話(5.21)を受け「プレーで気を抜かない、チームで揉め事を起こさない」を条件に選手生命が再び繋がり、5月22日横浜と契約、6月8日1軍選手に昇格を果たす。
■2012年5月4日中日戦で岩瀬仁紀から本塁打を放ち、NPB全12球団からの本塁打を達成。
■2013年4月27日阪神戦でNPB通算1,000四球を川崎雄介から記録。なお、NPB初四球は1993年6月20日日本ハム戦で酒井光次郎から記録。
■2013年5月1日ヤクルト戦でNPB-MLB(日米プロ)通算2,000安打達成を赤川克紀から左越え本塁打で2,176試合目(NPB2,159-MLB17)に決めた。NPB初安打も1992年6月18日日本ハム戦でを河野博文から左越え本塁打で決めおり、記念碑を本塁打で飾るスター性は健在。「5安打(MLB)は思い出せない無かったこと、日本(NPB)だけに拘りたい」とこの時点でのセレモニーは辞退した。そして、5月5日中日戦で中田賢一から左中間を抜く2塁打を放ち、2,162試合目(NPB)で念願の記録達成。
■2014年5月6日巨人戦の試合中にチーム方針に従わない言動があったとして1軍選手を外される(5.7)。“造反騒動”は1点リード(スコア2対1)の8回表無死1塁、1塁走者(梶谷隆幸)を進塁させたい局面でベンチ指示(中畑清監督)は盗塁のサイン(グリーンライト/何時でもゴー)、打席で自らの本分を忘れて「走るな!打たせろ!」と1塁走者を叱責、ベンチ指示に造反の結果はサードゴロ併殺打(1塁に全力疾走も怠る)。この言動はチームに重大な弊害を来すと1軍選手を外された。DeNAの高田繁GMと会談(9.23)、現役続行を希望も戦力外通告(10.3)。
■2021年シーズンオフ、中日の1軍打撃コーチ就任を発表(10.29)、新体制になった立浪和義監督をサポートする。
■2022年セ・パ交流戦(5.24〜)を前に中日は1軍打撃コーチ(中村紀洋)と2軍打撃コーチ(波留敏夫)を入れ替える人事を発表した(5.23)。
■2023年シーズン終了で中日2軍打撃コーチ退任を発表(10.6)。
「NPBデビュー」 1992年6月12日@ダイエー戦(平和台野球場)。
「NPBデータ」 1992年NPB初安打(6.18日本ハム戦)。 1992年NPB初本塁打(6.18日本ハム戦)。 1992年NPB初打点(6.18日本ハム戦)。 1996年NPB初盗塁(5.17西武戦)。

「日本プロ野球名球会」 1992年6月18日NPB初安打(日本ハム戦)を起点に2013年5月1日NPB-MLB通算2,000安打達成(ヤクルト戦)で資格クリア、2013年入会。
「野球日本代表」 2000年シドニー・オリンピック出場、4位。 2004年アテネ・オリンピック出場、銅メダル。



 


『JOH』 城島 健司


城島 健司
(じょうじま けんじ)

元 シアトル・マリナーズ。

1976年6月8日生まれ、長崎県出身。

身長182cm、体重90kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
別府大付属高。 (1994年ドラフト1巡目) 1995年〜2005年福岡ダイエー・ホークス(’05〜福岡ソフトバンク・ホークス)、 2010年〜2012年阪神・タイガース。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2006年〜2009年シアトル・マリナーズ。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2003年パ・リーグMVP。 2004年NPB通算1,000安打達成(6.1千葉ロッテ戦)。 2005年NPB通算200本塁打達成(6.2阪神戦)。

「MLBデビュー」
2006年4月3日エンゼルス戦(セーフコ・フィールド)“先発出場(7番・キャッチャー)”。

「MLBデータ」
2006年MLB初安打(4.3エンゼルス戦)“本塁打”。 2006年MLB初打点(4.3エンゼルス戦)。 2006年MLB初本塁打(4.3エンゼルス戦)。 2007年MLB初満塁本塁打(5.26ロイヤルズ戦)。 2006年MLB初盗塁(7.15ブルージェイズ戦)。 2006年MLB初盗塁刺(4.5エンゼルス戦)。 2008年MLB初ホームスチール(5.31タイガース戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2008年通算NPB-MLB1,500試合出場達成(9.17ロイヤルズ戦)。 2004年NPB通算1,000安打達成(6.1千葉ロッテ戦)。 2008年NPB-MLB通算1,500安打達成(4.15ロイヤルズ戦)。 2003年NPB通算150本塁打達成(10.3オリックス戦)。 2005年NPB通算200本塁打達成(6.2阪神戦)。 2008年NPB-MLB通算250本塁打達成(9.27アスレチックス戦)。 2011年NPB-MLB通算1,000打点達成(5.12広島戦)。


[城島 健司、通算成績]

年 度 所 属 試 合 打 数 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 打 率 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1995 ダイエー    12    12     2   0    1  0 0.167   3   2 0.400
1996 ダイエー    17    58    14   4    9  1 0.241   7   4 0.364
1997 ダイエー   120   432   133  15   68  6 0.308  65  31 0.323
1998 ダイエー   122   395    99  16   58  5 0.251  53  29 0.354
1999 ダイエー   135   493   151  17   77  6 0.306  78  38 0.328
2000 ダイエー    85   303    94   9   50 10 0.310  27  16 0.372
2001 ダイエー   140   534   138  31   95  9 0.258  57  35 0.380
2002 ダイエー   115   416   122  25   74  8 0.293  31  32 0.508
2003 ダイエー   140   551   182  34  119  9 0.330  47  35 0.427
2004 ダイエー   116   426   144  36   91  6 0.338  34  28 0.452
2005 ソフトバンク   116   411   127  24   57  3 0.309  38  25 0.397
2010 阪神   144   554   168  28   91  9 0.303  41  22 0.349
2011 阪神    38   132    25   5   13  0 0.189  11   9 0.450
2012 阪神    24    39     7   0    5  0 0.179
NPB通算 1,323 4,756 1,406 244  808 72 0.296 492 306 0.383
2006 マリナーズ   144   506   147  18   76  3 0.291  57  29 0.337
2007 マリナーズ   135   485   139  14   61  0 0.287  46  40 0.465
2008 マリナーズ   112   379    86   7   39  2 0.227  52  25 0.325
2009 マリナーズ    71   239    59   9   22  2 0.247  19  22 0.537
MLB通算   462 1,609   431  48  198  7 0.268 174 116 0.400
日米プロ通算 1,785 6,365 1,837 292 1,006 79 0.289 666 422 0.388


 

MLBでホームスチールを記録
('08.5.31 タイガース戦)
 
■1994年NPB(日本プロ野球)ドラフト会議でダイエーの1巡目指名は、駒沢大にスポーツ推薦枠で進学を決めプロ入り拒否も、翻意を根本睦夫ダイエー専務のフロントが読み、アマ球界との摩擦を避けたいコミッショナー事務局の警告を振り切り強行指名した。逸材獲得のウルトラC、“根本マジック”に賛否論争が起こり、これを機にプロ入り拒否者は指名しないというルールができた。
■1996年ハワイ・ウインター・ベースボールにダイエーから派遣選手として参加、チームはマウイ・スティングレイズ。
■2003年シーズン全イニング出場を捕手として達成は1963年野村克也(西武)の南海所属時の記録に続き2人目。また、捕手1,272守備機会、1,175刺殺はNPB新記録。
■2004年NPBパ・リーグで4年連続盗塁阻止率1位を記録、その強肩は鉄砲を超えてバズーカと称された。
■2005年シーズンオフにFA権を行使、11月マリナーズと3年契約の総額1,650万ドル+出来高(250万ドル)でメジャーリーグ契約。
■2006年MLBア・リーグ新人シーズン147安打は捕手としての最多安打記録。
■2007年100試合以上出場の捕手で盗塁阻止率0.465(許盗塁46、盗塁刺40)、守備率0.998(守備機会863、失策2)はMLB全体でトップと超1級の捕手を証明。
■2008年5月31日タイガース戦で初ホームスチールを記録。4回裏先頭打者で左翼に2塁打、次打者の内野ゴロで3塁に進み(1死3塁)、続くMiguel Cairo(ミゲル・カイロ)の打席でスクイズのサイン(カウント1-0)、タイガース投手Justin Verlander(ジャスティン・バーランダー)の2球目ショートバウンドを空振り、捕手Ivan Rodriguez(イワン・ロドリゲス)がボールを前に弾く間にホームに突入、スクイズ崩れでホームスチールが記録された。
■2009年シーズンはチーム若手Rob Johnson(ロブ・ジョンソン)との併用で試合出場機会が減少、シーズンオフにマリナーズとの3年(総額2,400万ドル)契約を2年残して「日本プロ野球界復帰に限り契約の途中解除を認める」特約条項を行使、10月マリナーズを退団し阪神と4年契約(年俸4億円+出来高)。
■2010年NPBシーズン168安打は捕手として古田敦也(ヤクルト)の持つセ・リーグ記録165安打を更新。2003年NPBシーズン182安打の捕手としてのパ・リーグ記録も併せて保持。
■2010年NPBセ・リーグでゴールデングラブ賞を受賞、1999年〜2005年パ・リーグでもゴールデングラブ賞を受賞、捕手として両リーグでの受賞は初の快挙。
■2010年シーズンオフに左膝半月板の縫合手術(11.9)、復帰まで6ヶ月の診断を受ける。
■2011年3月16日「東日本大震災」の被災者支援にと、個人で日本赤十字社を通じて義援金1,000万円を寄付した。「仙台にも東京にも阪神ファンがいて、その声援があってプレー出来ている。恩返しが野球だとは理解しているけれど、何もしないより、1人1人がやっていければ良いと思う」とコメント。
■2011年5月12日NPB広島戦でNPB-MLB通産1,000打点達成、捕手としてNPBでは野村克也(西武)1,988打点、田淵幸一(西武)1,135打点、古田敦也(ヤクルト)1,009打点と3人が達成。
■2011年シーズン途中に右肘を痛め選手登録抹消(6.10)され、右肘の内側側副靭帯損傷の診断を受ける。リハビリ中に左膝クリーニング手術(8.6)を受けシーズン中の復帰は絶望となる。
■2012年シーズンは選手登録捕手、暫定守備1塁手で試合出場も左膝と右肘の古傷の影響に加え、腰椎椎間板ヘルニアの手術(5.22)で拘わり続ける捕手復帰の目途が立たなくなり、阪神との契約を1年残し引退を決めた(9.28)。なお、阪神が引退試合を甲子園(1軍)での広島戦(9.29)を打診も相手チームの局面を踏まえ固辞、鳴尾浜(ファーム)でのオリックス戦(9.29)を最後とした。マリナーズ所属時に同僚のイチローは「1番が釣り、2番が野球、それでいてあれだけの実績を残すのは天才」と洒落を交え讃えた。
■2019年ソフトバンクの会長付特別アドバイザーに就任(12.20)。
「NPBデビュー」 1995年5月31日オリックス戦(福岡ドーム)。
「NPBデータ」 1995年NPB初安打(7.9ロッテ戦)。 1996年NPB初本塁打(9.10近鉄戦)。 1995年NPB初打点(7.9ロッテ戦)。 1996年NPB初盗塁(9.26近鉄戦)。

「野球日本代表」 2004年アテネ・オリンピック出場、銅メダル。 2009年WBC出場、優勝。 2009年WBC日本代表チームに紫綬褒章。



 


『SAMMY』 斎藤 隆


斎藤 隆
(さいとう たかし)

元 アリゾナ・ダイヤモンドバックス。

1970年2月14日生まれ、宮城県出身。

身長188cm、体重87kg。
右投げ、左打ち。

『NPB履歴』
東北高、 東北福祉大。 (1991年ドラフト1巡目) 1992年〜1996年、1998年〜2005年横浜大洋ホエールズ(’93〜横浜・ベイスターズ)、 2013年〜2015年東北楽天・ゴールデンイーグルス。
『MLB履歴』
(自由契約選手) 2006年〜2008年ロサンゼルス・ドジャース、 2009年ボストン・レッドソックス、 2010年アトランタ・ブレーブス、 2011年ミルウォーキー・ブルワーズ、 2012年アリゾナ・ダイヤモンドバックス。

『NPBタイトル、表彰、記録』
1996年セ・リーグ最多奪三振。 1998年セ・リーグ カムバック賞。 2001年NPB通算1,000奪三振達成(6.26ヤクルト戦)。
『MLBタイトル、表彰、記録』
2006年ナ・リーグ“救援部門”最多奪三振(107奪三振)。 2007年ナ・リーグ“救援部門”最優秀防御率(1.40)。 2007年8月MLB月間最優秀救援。 2007年オールスターゲーム出場。

「MLBデビュー」
2006年4月9日@フィリーズ戦(シチズンズ・バンク・パーク)“救援登板(中継ぎ)”。

「MLBデータ」
2006年MLB初勝利(4.18カブス戦)“完了登板”。 2006年MLB初セーブ(5.15ロッキーズ戦)。 2006年MLB初ホールド(4.10パイレーツ戦)。 2006年MLB初奪三振(4.10パイレーツ戦)。

「MLB通算記録」
2011年MLB通算300試合登板達成(7.20ダイヤモンドバックス戦)。 2007年MLB通算50セーブ達成(7.26ロッキーズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2008年NPB-MLB通算500試合登板達成(6.17タイガース戦)。 2009年NPB-MLB通算100勝利達成(6.11ヤンキース戦)。 2007年NPB-MLB通算100セーブ達成(8.9レッズ戦)。 1999年NPB通算1,000投球回達成(ヤクルト戦)。 2005年NPB通算1,500投球回達成(7.19広島戦)。 2001年NPB通算1,000奪三振達成(6.26ヤクルト戦)。 2008年NPB-MLB通算1,500奪三振達成(6.7カブス戦)。


[斎藤 隆、通算記録]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1992 大洋   6   0− 2   0    16.0/0  15    21 8.44
1993 横浜  29   8−10   0   149.0/0  63   125 3.81
1994 横浜  28   9−12   0   181.0/0  63   169 3.13
1995 横浜  26   8− 9   0   162.0/0  71   132 3.94
1996 横浜  28  10−10   0   196.2/3  72   206 3.29
1998 横浜  34  13− 5   1   143.2/3  47   101 2.94
1999 横浜  26  14− 3   0   184.2/3  81   125 3.95
2000 横浜  19   6−10   0   115.2/3  71    97 5.52
2001 横浜  50   7− 1  27    64.2/3  12    60 1.67
2002 横浜  39   1− 2  20    47.2/3  13    46 2.45
2003 横浜  17   6− 7   0   103.1/3  48    72 4.18
2004 横浜  16   2− 5   0    44.1/3  38    37 7.71
2005 横浜  21   3− 4   0   106.0/0  45    93 3.82
2013 楽天  30   3− 0   4    26.2/3   7    25 2.36
2014 楽天  31   1− 1   3    31.1/3   9    21 2.59
2015 楽天   3   0− 0   0     2.1/3   2     1 7.71
NPB通算 403  91−81  55 1,575.0/0 657 1,331 3.75
2006 ドジャース  72   6− 2  24    78.1/3  18   107 2.07
2007 ドジャース  63   2− 1  39    64.1/3  10    78 1.40
2008 ドジャース  45   4− 4  18    47.0/0  13    60 2.49
2009 レッドソックス  56   3− 3   2    55.2/3  15    52 2.43
2010 ブレーブス  56   2− 3   1    54.0/0  17    69 2.83
2011 ブルワーズ  30   4− 2   0    26.2/3   6    23 2.03
2012 D-バックス  16   0− 0   0    12.0/0   9    11 6.75
MLB通算 338  21−15  84   338.0/0  88   400 2.34
日米プロ通算 741 112−96 139 1,913.0/0 745 1,731 3.50

<通算ホールド NPB-14、MLB-40>


 

MLBインターリーグ(交流戦)で
“ノーヒット勝利試合”成立にセーブで貢献
('08.6.28 エンゼルス戦)
 

NPB-MLB(日米プロ)
通算100勝利100セーブ達成
('09.6.11 ヤンキース戦)
 
■2005年シーズンオフに横浜はMLB移籍を理解して自由契約選手、2006年2月ドジャースとマイナーリーグ契約、ドジャースの春季キャンプに招待参加してメジャー昇格を目指す、一旦はカット通告されるも4月6日ドジャースに昇格。
■2007年6月26日ダイヤモンドバックス戦でMLB初のセーブ機会から48回中45回成功はEric Gagne(エリック・ガニエ/ブルワーズ)のドジャース所属時の2002年からの記録(44/48)を上回るMLB新記録。
■2007年7月10日MLBオールスターゲーム(サンフランシスコ)にナ・リーグ7番手で救援登板、1点を追う(スコア3対2)7回表、投球回数1イニング0/0、打者3、被安打0、失点0、与四球0、奪三振0に抑えた。勝敗セーブなどの記録は付かず。
■2007年、2008年と2年連続でMLB公認データ専門会社(アライアス・スポーツ・ビューロー)によるメジャー格付けランキングでMLBナ・リーグ救援部門1位に格付けされる。
■2008年5月アジア・太平洋諸島系アメリカ人文化遺産継承月間にちなみロサンゼルス市から市民に希望を与えた個人を表彰する“Hope of Los Angeles Award”を授与。
■2008年6月28日エンゼルス戦(インターリーグ戦、フリーウエイ・シリーズ)で“ノーヒット勝利試合”成立にセーブで貢献。5回裏、先頭打者の6番Matt Kemp(マット・ケンプ)が投手Jered Weaver(ジェレッド・ウィーバー)の失策で出塁、2盗と捕手Jeff Mathis(ジェフ・マシス)の悪送球で3進、次打者Blake DeWitt(ブレイク・デウィット)の犠飛で生還、この1点をChad Billingsley(チャド・ビリングスリー/1〜7回-W)、Jonathan Broxton(ジョナサン・ブロクストン/8回-HLD)、斎藤隆(9回-SV)と3人の継投で守り切り(スコア0対1)、MLB史上8度目(1900年以降5度目)の快挙成立、バッテリーはRussell Martin(ラッセル・マーチン)。なお、エンゼルスは先攻で9回裏の守備を行わなかったため、規定でJered Wearer(ジェレッド・ウィーバー/1〜6回)、Jose Arredondo(ホセ・アーレドンド/7〜8回)による“ノーヒットノーラン試合”は公式には成立せず参考記録。
■2009年6月11日ヤンキース戦で勝利を記録してNPB-MLB通算100勝利100セーブ達成の“ダブル100”を記録。記録達成時に勝利とセーブの両方が日米プロ通算(NPB/87w-48sv、MLB/13w-83sv)なのは初の快挙。NPB単独では江夏豊(西武/206w-193sv)、山本和行(阪神/116w-130sv)、斉藤明夫(横浜/128w-133sv)、郭源治(中日/106w-116sv)、大野豊(広島/148w-138sv)、佐々岡真司(広島/138w-106sv)が達成。
■2011年MLBデビジョンシリーズで救援登板、初勝利(10.2ダイヤモンドバックス戦)。41才230日でのMLBデビジョンシリーズ勝利は史上5番目の年長勝利となる。ポストシーズンは6試合、1勝0敗0セーブ、投球回数7イニング0/0、自責点0(失点0)、奪三振5、防御率0.00、ホールド2の好投ながらチームはMLBワールドシリーズに進めず涙を呑む。
■2012年シーズンは右脹脛を痛め(4.3)リハビリ中、右上腕の炎症(6.30)を起こすなど調整が長引き、大幅に遅れてオールスターブレーク明けにブルペン入り(7.21)となる。
■2012年シーズンオフ、東日本大震災('11.3.11)に心を痛めて復興支援活動にも熱心なことから、生まれ故郷(仙台市出身)に本拠地を持つ楽天と契約(12.29)。野球で地元に恩返しとの思いで「地元チームと契約できて夢のような気持ち、仙台にチャンピオンフラッグが翻るよう、チームの一員として頑張りたい」とコメント。
■2014年7月11日ロッテ戦でセーブを記録、44才147日でのセーブは小宮山悟(ロッテ)の44才22日('09.10.6楽天戦)を上回るNPB年長記録となる。
■2015年シーズン限りで引退を表明(8.17)。ソフトバンク戦がラスト登板で打者1人(柳田悠岐)を三振で終える(10.4)。吉本興業に契約社員で就職(10.25)、インターンシップ(就業体験)でパドレスのフロント入り(11.18)、球団経営など学ぶ(1年間)。留学はパドレスのGM付シニアアドバイザーを務めるLogan White(ローガン・ホワイト)の縁などで実現した。
■2016年“侍ジャパン”(野球日本代表チーム)の投手コーチに就任(1.28)。
■2017年パドレスの球団アドバイザーに就任(1.1)。インターシップ(就業体験)での仕事ぶりが認められ、パドレスのRon Fowler(ロン・ファウラー)球団オーナーの誘いを受けて正式にフロント入りが決まる。球団編成部のA.J. Preller(AJ・プレラー)GMの直属として、“ベースボールオペレーション・アドバイザー兼パシフィックリム・アドバイザー”の肩書でフロント入り、日本を含むアジア、オーストラリアの環太平洋地域のスカウティングを担当、編成会議にも出席する。
■2019年シーズンオフ、ヤクルトの1軍投手コーチに就任(10.29)。
■2020年シーズン終了で契約満了、ヤクルトを退団(11.11)。投手陣の育成で、チームが求める唯一無二の投手になれと「適者生存/survival of the fittest」を教えた。
■2021年シーズンオフ、DeNAの1軍投手コーチに就任(11.3)。
■2022年DeNA沖縄キャンプ(宜野湾市)で軽い小脳の脳梗塞を発症(1.19)。食事中に不調を訴え検査入院も大事に至らず退院(1.26)。東京に戻り、経過観察を受けながら現場復帰(3.1)。
■2023年シーズン終了(セ・リーグCS)でDeNAの1軍投手チーフコーチ退任を発表(10.15)。
「NPBデビュー」 1992年4月7日広島戦(横浜スタジアム)。
「NPBデータ」 1993年NPB初勝利(4.29巨人戦)。 1998年NPB初セーブ(4.12巨人戦)。 1992年NPB初奪三振(4.7広島戦)。



 


『AKI』 岩村 明憲


岩村 明憲
(いわむら あきのり)

元 オークランド・アスレチックス。

1979年2月9日生まれ、愛媛県出身。

身長176cm、体重80kg。
右投げ、左打ち。

『NPB履歴』
宇和島東高校。 (1996年ドラフト2巡目) 1998年〜2006年ヤクルト・スワローズ(’06〜東京ヤクルト・スワローズ)、 2011年〜2012年東北楽天・ゴールデンイーグルス、 2013年〜2014年東京ヤクルト・スワローズ。
『MLB履歴』
(ポスティング制度) 2007年〜2009年タンパベイ・デビルレイズ(’08〜タンパベイ・レイズ)、 2010年ピッツバーグ・パイレーツ、 2010年オークランド・アスレチックス。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2006年NPB通算1,000安打達成(7.17広島戦)。 2005年NPB通算150本塁打達成(8.31巨人戦)。

「MLBデビュー」
2007年4月2日@ヤンキース戦(ヤンキー・スタジアム)“先発出場(6番・サード)”。

「MLBデータ」
2007年MLB初安打(4.2ヤンキース戦)。 2007年MLB初打点(4.6ブルージェイズ戦)“本塁打”。 2007年MLB初本塁打(4.6ブルージェイズ戦)。 2007年MLB初盗塁(4.7ブルージェイズ戦)。

「NPB-MLB通算成績」
2006年NPB通算1,000安打達成(7.17広島戦)。 2011年NPB-MLB通算1,500安打達成(6.29ソフトバンク戦)。 2005年NPB通算150本塁打達成(8.31巨人戦)。 2008年NPB-MLB通算200本塁打達成(6.24マーリンズ戦)。


[岩村 明憲、通算成績]

年 度 所 属 試 合 打 数 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 打 率
1998 ヤクルト     1     3     0   0   0  0 0.000
1999 ヤクルト    83   252    74  11  35  7 0.294
2000 ヤクルト   130   436   121  18  66 13 0.278
2001 ヤクルト   136   520   149  18  81 15 0.287
2002 ヤクルト   140   510   163  23  71  5 0.320
2003 ヤクルト    60   232    61  12  35  5 0.263
2004 ヤクルト   138   533   160  44 103  8 0.300
2005 ヤクルト   144   548   175  30 102  6 0.319
2006 ヤクルト   145   546   170  32  77  8 0.311
2011 楽天    77   175    32   0   9  0 0.183
2012 楽天    26    67    14   1   5  0 0.209
2013 ヤクルト    75   142    35   3  17  0 0.246
2014 ヤクルト    39    74    18   1  14  0 0.243
NPB通算 1,194 4,038 1,172 193 615 67 0.290
2007 デビルレイズ   123   491   140   7  34 12 0.285
2008 レイズ   152   627   172   6  48  8 0.274
2009 レイズ    69   231    67   1  22  9 0.290
2010 パイレーツ    54   165    30   2   9  3 0.182
アスレチックス    10    31     4   0   4  0 0.129
シーズン計    64   196    34   2  13  3 0.173
MLB通算   408 1,545   413  16 117 32 0.267
日米プロ通算 1,602 5,583 1,585 209 732 99 0.284

<シーズン中途移籍 '10.9.13〜アスレチックス>


■2006年11月ポスティング制度ではデビルレイズが450万ドルで落札、12月デビルレイズと3年契約(1年延長オプション付)の総額770万ドルでメジャーリーグ契約。
■2008年MLBワールドシリーズに出場、ワールドシリーズ制覇は成らずも球団創設以来初のワールドシリーズ進出の立役者“モヒカンヘア”の1番打者はレイズの象徴としてファンを熱狂させた。
■2009年5月24日マーリンズ戦の8回裏、2塁守備の際に1塁走者Chris Coghlan(クリス・コグラン)の激しいスライディングで左膝前十字靭帯断裂の大怪我。シーズン中の復帰を危ぶまれたが、8月29日タイガース戦で奇跡とも言える復帰を果たした。
■2009年シーズンオフにレイズとの契約延長のオプションはパーレーツにトレード移籍されたが、パイレーツがレイズとの契約を引き継ぎ行使された。
■2010年パイレーツでは打撃不振に悩み、Pedro Alvalez(ペドロ・アルバレス)の昇格に伴うDFA(割当指名およびウエーバー入り)行使され戦力外(6.16)。インディアナポリス(PIT-AAA)に降格(6.22)して残留、プレイしながら移籍先を探すことを選択もメジャー選手登録40人枠を外される(9.7)。9月13日アスレチックスにKevin Kouzmanoff(ケビン・クーズマノフ)の故障で急遽、残りシーズン終了(残り20試合)までの契約で移籍が決まる。レギュラーシーズン終了で自由契約(10.4)。
■2014年6月14日NPB日本ハム戦で1試合4二塁打を記録。日本ハム投手の中村勝から2回に右中間、藤岡好明から4回に左線、アンソニー・カーター(Anthony Carter)から6回に左中間、宮西尚生から8回に右越えと自在に打ち分けた。
■2014年独立リーグのルートインBCリーグ、福島・ホープスと契約、選手兼任監督に就任(11.27)。2015年シーズンオフ、球団代表に就任(11.1)。2017年シーズンで選手としての現役引退。
■2018年シーズンオフ、運営会社が経営難でチーム存続の危機になり、自ら新運営会社を立ち上げ社長に就任(11.21)。チーム名も福島・レッドホープスに変更した。
「NPBデビュー」 1998年5月19日@横浜戦(横浜スタジアム)。
「NPBデータ」 1999年NPB初安打(4.3横浜戦)。 1999年NPB初本塁打(5.22中日戦)。 1999年NPB初打点(5.15広島戦)。 1999年NPB初盗塁(4.3横浜戦)。

「野球日本代表」 2006年WBC出場、優勝。 2009年WBC出場、優勝。 2006年、2009年WBC日本代表チームに紫綬褒章。



 


『OKI-DOKI』 岡島 秀樹


岡島 秀樹
(おかじま ひでき)

元 オークランド・アスレチックス。

1975年12月25日生まれ、京都府出身。

身長186cm、体重88kg。
左投げ、左打ち。

『NPB履歴』
東山高。 (1993年ドラフト3巡目) 1995年〜2005年読売・ジャイアンツ、 2006年北海道日本ハム・ファイターズ、 2012年、2014年福岡ソフトバンク・ホークス。 2015年横浜DeNA・ベイスターズ
『MLB履歴』
(FA権行使) 2007年〜2011年ボストン・レッドソックス。 (2012年ニューヨーク・ヤンキース) 2013年オークランド・アスレチックス。 (2016年ボルチモア・オリオールズ)

『MLBタイトル、表彰、記録』
2007年オールスターゲーム出場。

「MLBデビュー」
2007年4月2日@ロイヤルズ戦(カウフマン・スタジアム)“救援登板(中継ぎ)”。

「MLBデータ」
2007年MLB初勝利(6.2ヤンキース戦)“中継ぎ登板”。 2007年MLB初セーブ(4.20ヤンキース戦)。 2007年MLB初ホールド(4.21ヤンキース戦)。 2007年MLB初奪三振(4.2ロイヤルズ戦)。

「MLB通算記録」
2008年MLB通算50ホールド達成(9.23インディアンス戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2007年NPB-MLB通算500試合登板達成(9.5ブルージェイズ戦)。 2014年NPB通算500試合登板達成(4.8西武戦)。 2010年NPB-MLB通算100ホールド達成(6.8インディアンス戦)。 2014年NPB-MLB通算150ホールド達成(7.6楽天戦)。


[岡島 秀樹、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1995 読売   1  0− 0  0   5.0/0   1   9 1.80
1996 読売   5  1− 0  0  12.2/3   1   8 0.71
1997 読売  25  4− 9  0 109.1/3  42 102 3.46
1998 読売  14  3− 6  0  62.1/3  30  54 4.33
1999 読売  37  4− 1  0  69.2/3  23  77 2.97
2000 読売  56  5− 4  7  72.1/3  25 102 3.11
2001 読売  58  2− 1 25  62.0/0  19  70 2.76
2002 読売  52  6− 3  0  55.2/3  21  58 3.40
2003 読売  41  2− 3  0  38.2/3  21  29 4.89
2004 読売  53  4− 3  5  46.2/3  16  53 3.09
2005 読売  42  1− 0  0  53.0/0  28  56 4.75
2006 日本ハム  55  2− 2  4  54.2/3  13  63 2.14
2012 ソフトバンク  56  0− 2  9  47.2/3   5  36 0.94
2014 ソフトバンク  44  4− 4  0  42.2/3  10  36 2.11
2015 DeNA  10  0− 2  0   7.1/3   7   7 8.59
NPB通算 549 38−40 50 739.2/3 262 760 3.19
2007 レッドソックス  66  3− 2  5  69.0/0  17  63 2.22
2008 レッドソックス  64  3− 2  1  62.0/0  18  60 2.61
2009 レッドソックス  68  6− 0  0  61.0/0  23  53 3.39
2010 レッドソックス  56  4− 4  0  46.0/0  23  33 4.50
2011 レッドソックス   7  1− 0  0   8.1/3   4   6 4.32
2013 アスレチックス   5  0− 0  0   4.0/0   1   1 2.25
MLB通算 266 17− 8  6 250.1/3  86 216 3.09
日米プロ通算 815 55−48 56 990.0/0 348 976 3.16

<通算ホールド NPB-74、MLB-84>


■1996年ハワイ・ウインター・ベースボールに巨人から派遣選手として参加、チームはホノルル・シャークス。
■1997年7月4日NPB阪神戦で1イニング4奪三振達成。3回裏に山田勝彦、竹内昌也(振り逃げ)、和田豊、桧山進次郎から奪三振。
■2004年7月27日NPB広島戦で1球勝利を達成。8回表、野村謙二郎を初球で1塁ゴロ併殺打に切り抜けて超省エネで達成。
■2006年シーズンオフにFA権を行使、11月レッドソックスと2年契約(1年延長オプション付)の総額250万ドルでメジャーリーグ契約。
■2007年MLBア・リーグ月間(4月)最優秀新人。2007年MLBア・リーグ前半戦新人王。
■2007年7月10日オールスターゲーム(サンフランシスコ)にインターネット最終ファン投票で“32番目の男、ラストマン”として選出(登板機会なし)。
■2007年MLBワールドシリーズ第2戦に初救援登板(中継ぎ)、初ホールド、初奪三振を記録(10.25ロッキーズ戦)。ワールドシリーズ4戦中3試合(WS-Gm2〜Gm4)に登板して3ホールドと獅子奮迅、3試合の投球内容は、投球回数3イニング2/3、被安打4、被本塁打2、失点3(自責点3)、与四球0(与死球0)、奪三振6、防御率7.36、ホールド3、打者15、投球数72(ストライク42)。ワールドシリーズ制覇して優勝記念のチャンピオンズ・リング授与。制覇チーム恒例のホワイトハウス招待('08.2.27)でJeorge W Bush(ジョージ・W・ブッシュ)大統領を表敬。なお、ポストシーズン初ホールドはア・リーグ優勝決定戦(ALCS)第7戦(10.21インディアンス戦)で記録。
■2007年MLB全30球団の監督投票による新人ベストナイン。2007年MLB公式ウエブサイトのファン投票による年間賞“This Year in Baseball voting (略称TYIB)”で最優秀中継ぎ賞。独特の投球フォーム“Non-looking delivery”でファンを魅了。
■2008年のアスレチックス戦(3.25東京ドーム)、2010年のヤンキース戦(4.4フェンウエイ・パーク)とレギュラーシーズンの最も早い開幕戦で救援登板(中継ぎ)して勝利投手になる。
■2011年5月19日レッドソックスはメジャー選手登録40人枠を空けるため、DFA(割当指名およびウエーバー入り/Designated for Assignment and put on waivers)を行使、事実上の解雇。契約年俸を担保するためマイナーリーグ契約に切り替えて残留の道を選択。シーズンオフにヤンキースとマイナーリーグ契約(12.28)。
■2012年ヤンキースは春季キャンプ(招待選手)前の身体検査で左肩の不安箇所を口実に契約解除(2.17)、チーム編成の過程で起こりうる事とはいえ残念な結果となる。
■2012年シーズン開幕から連続26試合無失点をリリーフ登板(4.4楽天戦〜6.26オリックス戦)で記録、27試合目(6.28オリックス戦)に失点1(自責点0)して記録が途切れる。登板時の状況や立場の違いがあるも、佐々木主浩(横浜)が1998年クローザー登板(4.4阪神戦〜6.30広島戦)で、山口鉄也(巨人)が2012年リリーフ登板(3.31ヤクルト戦〜6.3オリックス戦)でシーズン開幕から連続試合無失点を24試合記録。なお、シーズン開幕から連続46試合自責点0をリリーフ登板(4.4楽天戦〜8.26ロッテ戦)で記録、47試合目(8.30オリックス戦)で1死後に連打され失点3(自責点3)、記録も途切れる。
■2012年シーズンオフ、ソフトバンクがMLB復帰の意志を尊重して保留者選手名簿から外すことに同意(11.18)、自由契約(11.30)。
■2013年アスレチックスとマイナーリーグ契約(2.11)。アスレチックス春季キャンプに招待選手で参加もオープン戦で結果が出せず開幕メジャーを逃す。アスレチックス傘下チーム、サクラメント(OAK-AAA)で徐々に調子を取り戻してアスレチックスに昇格(5.17)。5月19日ロイヤルズ戦で2シーズン(741日)ぶりのメジャーマウンドを踏む。アスレチックスでの登板は5試合でメジャー選手登録40人枠に残るもサクラメント(OAK-AAA)に降格(6.14)、そのままマイナーリーグでシーズンを終えて自由契約(9.3)。シーズンオフ、ソフトバンクと契約(11.25)してNPBに再復帰。
■2014年4月22日NPB日本ハム戦でNPB通算50ホールド達成。日米のトップリーグ(NPB-MLB)双方で通算50ホールド達成は初の快挙。
■2014年9月25日NPB楽天戦の7回表、五十嵐亮太が1イニング4押出し(5与四球)で逆転(スコア8対6)を許した2死満塁で救援登板、島内宏明を遊ゴロに仕留めてピンチを切り抜けた。秋山幸二監督が投手交代をブルペンで準備をしていた岩嵜翔とすべきを間違ってコール(球審に通告)、突然のマウンドも見事に対応、そのまま8回表も無失点に抑えるベテランの味が光った。
■2014年シーズンオフ、ソフトバンクの方針(選手層の若返り)から戦力外通告を受け(10.31)、DeNAと1年契約(12.10)。
■2016年オリオールズとマイナーリーグ契約(2.3)、マイナーキャンプからスタート。キャンプ参加もメジャーでのオープン戦登板機会なくアピール出来ず戦力外(3.28)。現役引退を正式に発表(7.18)。
「NPBデビュー」 1995年10月6日@中日戦(ナゴヤ球場)。
「NPBデータ」 1996年NPB初勝利(5.7広島戦)。 2000年NPB初セーブ(5.16広島戦)。 2005年NPB初ホールド(8.18中日戦)。 1995年NPB初奪三振(10.6中日戦)。



 


『DICE-K』 松坂 大輔


松坂 大輔
(まつざか だいすけ)

元 ニューヨーク・メッツ。


1980年9月13日生まれ、東京都出身。

身長182cm、体重85kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
横浜高校。 (1998年ドラフト1巡目) 1999年〜2006年西武・ライオンズ。 (2015年福岡ソフトバンク・ホークス) 2016年福岡ソフトバンク・ホークス、 2018年〜2019年中日・ドラゴンズ、 (2020年〜2020年埼玉西武・ライオンズ) 2021年埼玉西武・ライオンズ。
『MLB履歴』
(ポスティング制度) 2007年〜2012年ボストン・レッドソックス、 (2013年クリーブランド・インディアンス) 2013年〜2014年ニューヨーク・メッツ。

『NPBタイトル、表彰、記録』
1999年パ・リーグ新人王。 1999年、2000年、2001年パ・リーグ最多勝利。 2003年、2004年パ・リーグ最優秀防御率。 2000年、2001年、2003年、2005年パ・リーグ最多奪三振。 2001年沢村栄治賞。 2018年セ・リーグ カムバック賞。 2021年パ・リーグ連盟特別表彰「功労賞」。 2006年NPB通算100勝利達成(6.16横浜戦)。 2005年NPB通算1,000奪三振達成(5.18阪神戦)。
『MLBタイトル、表彰、記録』
2012年MLB通算50勝利達成(8.27ロイヤルズ戦)。 2010年MLB通算500奪三振達成(8.15レンジャーズ戦)。

「MLBデビュー」
2007年4月5日@ロイヤルズ戦(カウフマン・スタジアム)“先発登板”。

「MLBデータ」
2007年MLB初勝利(4.5ロイヤルズ戦)“先発登板”。 2014年MLB初セーブ(4.24カージナルス戦)。 2014年MLB初ホールド(4.23カージナルス戦)。 2007年MLB初奪三振(4.5ロイヤルズ戦)。 2007年MLB初完投(5.14タイガース戦)“無四球”。 2008年MLB初開幕投手(3.25アスレチックス戦)。 2007年MLBワールドシリーズ初先発、初勝利(10.27ロッキーズ戦)。

「MLB通算記録」
2011年MLB通算100試合先発登板達成(4.11レイズ戦)。 2012年MLB通算50勝利達成(8.27ロイヤルズ戦)。 2010年MLB通算500奪三振達成(8.15レンジャーズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2006年NPB通算100勝利達成(6.16横浜戦)。 2010年NPB-MLB通算150勝利達成(6.7インディアンス戦)。 2004年NPB通算1,000投球回達成(9.7ダイエー戦)。 2007年NPB-MLB通算1,500投球回達成(6.22パドレス戦)。 2011年NPB-MLB通算2,000投球回達成(4.18ブルージェイズ戦)。 2005年NPB通算1,000奪三振達成(5.18阪神戦)。 2007年NPB-MLB通算1,500奪三振達成(8.4マリナーズ戦)。 2014年NPB-MLB通算2,000奪三振達成(4.20ブレーブス戦)。


[松坂 大輔、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1999 西武  25  16−  5   180.0/0  52   151  2.60
2000 西武  27  14−  7   167.2/3  74   144  3.97
2001 西武  33  15− 15   240.1/3  96   214  3.60
2002 西武  14   6−  2    73.1/3  30    78  3.68
2003 西武  29  16−  7   194.0/0  61   215  2.83
2004 西武  23  10−  6   146.0/0  47   127  2.90
2005 西武  28  14− 13   215.0/0  55   226  2.30
2006 西武  25  17−  5   186.1/3  44   200  2.13
2016 ソフトバンク   1   0−  0     1.0/0   2     2 18.00
2018 中日  11   6−  4    55.1/3  23   51  3.74
2019 中日   2   0−  1     5.1/3  10    2 16.88
2021 西武   1   0−  0     0.0/0   0    0  0.00
NPB通算 219 114− 65 1,464.1/3 494 1,410  3.04
2007 レッドソックス  32  15− 12   204.2/3 100   201  4.40
2008 レッドソックス  29  18−  3   167.2/3  54   154  2.90
2009 レッドソックス  12   4−  6    59.1/3  38    54  5.76
2010 レッドソックス  25   9−  6   153.2/3  80   133  4.69
2011 レッドソックス   8   3−  3    37.1/3  22    26  5.30
2012 レッドソックス  11   1−  7    45.2/3  42    41  8.28
2013 メッツ   7   3−  3    38.2/3  19    33  4.42
2014 メッツ  34   3−  3    83.1/3  36    78  3.89
MLB通算 158  56− 43   790.1/3 391   720  4.45
日米プロ通算 377 170−108 2,254.2/3 885 2,130  3.53

<通算ホールド NPB-0、MLB-3>


 

MLB通算50勝利達成
('12.8.27 ロイヤルズ戦)

  

MLBワールドシリーズ
初先発登板、初勝利
('07.10.27 ロッキーズ戦)


NPB-MLB(日米プロ)
通算150勝利達成
('10.6.7 インディアンス戦)
■1998年第80回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に横浜高から出場、京都成章高との決勝戦(8.22)でノーヒットノーラン試合を記録(スコア0対3、与四球3、奪三振11、失策0)。バッテリーは小山良男。
■2000年8月7日NPBオリックス戦の9回に代打(中前ヒット、打点2)で初打席、初安打、初打点を記録、パ・リーグ投手(DH制)では快挙。
■2004年9月17日NPBダイエー戦で1イニング4奪三振の快記録。
■2006年11月ポスティング制度ではレッドソックスが5,111万1,111ドルで落札、12月レッドソックスと6年契約の総額5,200万ドル+出来高(800万ドル)でメジャーリーグ契約。
■2007年8月4日NPB-MLB通算1,500奪三振達成は1,548イニング目、野茂英雄(ロイヤルズ)1,302イニング1/3目、石井一久(西武)1,419イニング目(NPB単独でも1,413イニング目達成)に次ぐスピード達成で伊良部秀輝(阪神)1,590イニング1/3目を上回る。
■2007年MLBワールドシリーズ第3戦(WS-Gm3)に初先発登板、初勝利を記録(10.27ロッキーズ戦)、打撃でも初安打“適時打”、初打点と活躍。投球内容は投球回5イニング1/3、被安打3、被本塁打0、失点2(自責点2)、与四球3(与死球1)、奪三振5、打者23、投球数101(ストライク65)で勝投手(スコア10対5)。また、3回表2死2、3塁(スコア3対0)にロッキーズ先発のJosh Fogg(ジョシュ・フォグ)から左翼前に2点適時打。ワールドシリーズ制覇して優勝記念のチャンピオンズ・リング授与。制覇チーム恒例のホワイトハウス招待('08.2.27)でGeorge W Bush(ジョージ・W・ブッシュ)大統領を表敬。なお、2004年NPB日本シリーズ(10.24中日戦)との両シリーズでの勝利は史上初の快挙。
■2008年3月25日アスレチックス戦(@東京ドーム)で開幕投手を務めた。投球回数5イニング0/0、被安打2、被本塁打1、失点2(自責点2)、与四球5(与死球1)、奪三振6、打者23、投球数95(ストライク51)と苦戦、勝敗の記録は付かず。なお、同点(スコア4対4)の9回裏に5番手で救援登板した岡島秀樹は投球回数1イニング0/0、被安打0、与四球1、奪三振1、打者4、投球数19(ストライク10)と無失点で守り、10回表のチーム勝越しで勝利投手となる(スコア6対5)。
■2010年6月7日NPB-MLB通算150勝利達成(インディアンス戦)は285試合目、日本プロ野球では1リーグ時代のVictor Starffin(ヴィクトル・スタルヒン/トンボ)236試合目、藤本英雄(巨人)265試合目、野口二郎(阪急)282試合目に次ぎ、2リーグ制以降では西口文也(西武)319試合目を上回るスピード達成。
■2011年トミー・ジョン手術(Tommy John Surgery)の権威、ルイス・ヨーカム医師(Doctor Lewis Yocum)の執刀で右肘の腱移植手術を受ける(6.10)。当時ドジャースのチームドクターのフランク・ジョーブ医師(Doctor Frank Jobe)が1974年靭帯を痛めたトミー・ジョン投手の肘にメスを入れ、腱の移植手術で見事復活させた事から由来する手術で、村田兆冶(ロッテ)、荒木大輔(ヤクルト)も同様の手術を受けた。
■2012年6月9日ナシュナルズ戦に先発登板して、2011年5月16日オリオールズ戦以来390日ぶりの復帰登板を果たす。
■2012年8月27日ロイヤルズ戦でMLB通算50勝利達成は2011年5月8日ツインズ戦以来477日ぶりの勝利で達成。なお、MLB通算50勝利達成112試合目は野茂英雄(ロイヤルズ)124試合目、黒田博樹(広島)134試合目、大家友和(横浜)179試合目を上回る。
■2013年インディアンスとマイナーリーグ契約(2.10)、メジャー昇格で基本年俸150万ドル(最大400万ドル)のスプリット契約。インディアンス春季キャンプに招待参加も出遅れて開幕メジャー25人枠(Active Roster)に入れず(3.18)、オプトアウト(Opt-out)しないでマイナーリーグ残留を選択。インディアンスが契約を一旦解除(3.24)、契約の内容を見直してマイナーリーグ再契約(3.26)。インディアンス傘下チーム、コロンバス(CLE-AAA)で19試合、5勝8敗0セーブ、投球回数103イニング1/3、自責点45、奪三振95、防御率3.92の成績を残すもメジャー昇格の機会を求めて契約解除を申し出て自由契約(8.20)。メッツとメジャーリーグ契約に漕ぎ着ける(8.22)。
■2014年メッツとマイナーリーグ契約の内容を見直し再契約(1.24)。メッツ春季キャンプでライバル候補と競う中でメッツがメジャー昇格の結論を先延し保有権維持のオプション(10万ドル支払)行使に合意、マイナーリーグ契約を延長(3.25)。開幕はラスベガス(NYM-AAA)スタートとなるも遂にメジャー昇格を果たす(4.16)。
■2014年4月20日ブレーブス戦でNPB-MLB通算2,000奪三振達成は330試合目、2,111イニング1/3目での記録。NPB-MLB通算での達成は野茂英雄(ロイヤルズ)1,766イニング0/0目、石井一久(西武)2,045イニング目0/0、黒田博樹(広島)2,693イニング1/3目で記録。
■2014年シーズンオフにNPBソフトバンクと3年契約の年俸総額12億円+出来高で契約(12.4)。
■2015年シーズンに向けた春季キャンプでインフルエンザ感染(3.18)、さらに右肩の筋肉疲労(3.29)などが重なり調整不足、シーズンインに間に合わず出遅れた。右肩関節を手術(8.18)、内視鏡手術で右肩関節唇および腱板クリーニング、ベネット骨棘切除、後方関節包解の手術を受けた。シーズンを1軍登板なく終えた。
■2016年シーズン最終試合(10.2楽天戦)で復帰登板、8回裏(スコア0対2)に4番手で登板、投球回数1イニング0/0、被安打3、被本塁打0、失点5(自責点2)、与四球2(与死球2)、奪三振2、打者10、投球数39と大乱調(スコア0対7)、勝敗は記録されず。日本プロ野球での1軍登板は2006年プレーオフ、ファースト・ステージ、初戦(10.7ソフトバンク戦)以来、3,648日(10年)ぶりで厳しい結果となる。
■2017年は1度も1軍登録されることなくシーズン終了。一世を風靡した“平成の怪物”も鳴りを潜めたまま、3年契約も終えた。ソフトバンクも来シーズン構想外を伝え、退団を発表(11.5)。
■2018年デニー友利結(中日編成部渉外担当)、森繁和(中日監督)らの縁で中日の入団テストをナゴヤ球場屋内練習場で受け合格、1年契約の年俸1,500万円で入団が決まる(1.23)。
■2018年NPBからセ・リーグ カムバック賞の表彰(11.12)。来季の年俸8,000万円+出来高で再契約(12.19)。
■2019年シーズンは右肩炎症で出遅れ、1軍登板はオールスターゲーム後の阪神戦(7.16)になった。また、調整中の2軍で練習日にゴルフに行くなど不適切な行動が発覚(5.16)、19年前(プロ2年目)の無免許運転・駐車違反で当時の西武球団広報課長の黒岩彰('88カルガリー冬季オリンピック銅メダリストで後に球団代表も務めた)が身代わり出頭した事件('00.9.13)にイメージが重なり、ファンの失望を招いた。
■2019年シーズンオフ、何かと庇ってくれた森繁和(中日監督)などの退団もあって、「私がいるべきで無い」と退団を球団に伝える(10.4)。古巣の西武が12球団合同トライアウト(11.12)後にオファーを出す見込みと分かる(11.9)。西武と1年契約の年俸3,000万円で正式契約(12.3)。
■2020年シーズン開幕が新型コロナウイルス(COVID-19)感染の影響で遅れた(6.19)のを機に、右手痺れ原因を取り除く脊椎内視鏡頸椎手術を受ける(7.5)。1軍登録ないままレギュラーシーズン終了(11.9)。後藤高志オーナーも残留を認め、年俸2,000万円で1年再契約(12.21)。
■2021年シーズン限りで引退する意向を渡辺久信GMに伝える(7.5)。引退試合(10.19日本ハム戦)を本拠地球場(メットライフドーム)で行い、2年前のDeNA戦('19.7.27)以来814日ぶりの1軍公式戦に登板した。先発登板の1回表、先頭打者の近藤健介(横浜高の後輩)に四球(全球ストレートで5球、球速116キロ〜118キロ)を与えて降板、“平成の怪物”、“松坂世代”と名を残した23年間のプロ野球現役を終えた。引退の記者会見で「諦めの悪い自分を褒めてあげたい」「不調な時、批判をバネにして頑張ってきたが、もう心が折れてしまった」「野球が好きです。好きなまま終われて良かった」と質問に答えた。サプライズで高級焼き肉店“叙々苑”の弁当セット(カルビ弁当2,900円+サラダ600円)を180食、報道陣に感謝を込めて差し入れた。西武ファンの集い「LIONS THANKS FESTA」がメットライフドームで開催され(12.4)、その最後に行われた「引退セレモニー」でイチロー(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)から花束を贈られた。
■2021年パ・リーグ連盟特別表彰「功労賞」を受賞した(12.6)。
■2022年日本学生野球協会の資格回復審査委員会で「学生野球資格回復」を認定される(2.2)。
「NPBデビュー」 1999年4月7日@日本ハム戦(東京ドーム)。
「NPBデータ」 1999年NPB初勝利(4.7日本ハム戦)。 2000年NPB初セーブ(5.9ロッテ戦)。 1999年NPB初奪三振(4.7日本ハム戦)。

「野球日本代表」 2000年シドニー・オリンピック出場、4位。 2004年アテネ・オリンピック出場、銅メダル。 2006年WBC出場、優勝、MVP。 2009年WBC出場、優勝、MVP。 2006年、2009年WBC日本代表チームに紫綬褒章。
「日本プロスポーツ大賞」 1999年大賞受賞。




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