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『WIZARD』 『ICHI』 イチロー


イチロー
(Ichiro Suzuki)
鈴木 一朗

元 シアトル・マリナーズ。

1973年10月22日生まれ、愛知県出身。

身長180cm、体重71kg。
右投げ、左打ち。

『NPB履歴』
愛知工業大名電高。 (1991年ドラフト4巡目) 1992年〜2000年オリックス・ブルーウェーブ。
『MLB履歴』
(ポスティング制度) 2001年〜2012年シアトル・マリナーズ、 2012年〜2014年ニューヨーク・ヤンキース、 2015年〜2017年マイアミ・マーリンズ、 2018年〜2019年シアトル・マリナース。

『NPBタイトル、表彰、記録』
1994年、1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年パ・リーグ首位打者。 1995年パ・リーグ打点王。 1995年パ・リーグ盗塁王。 1994年、1995年、1996年パ・リーグMVP。 1994年、1995年正力松太郎賞。 2004年正力松太郎賞/特別賞。 1994年NPBシーズン210安打記録。 1997年NPB連続216打席無三振記録。 1999年NPB通算1,000安打達成(4.20日本ハム戦)。
『MLBタイトル、表彰、記録』
2001年ア・リーグ新人王。 2001年、2004年ア・リーグ首位打者(打率0.350、打率0.372)。 2001年ア・リーグ盗塁王(56盗塁)。 2001年、2004年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年ア・リーグ最多安打(242安打、262安打、224安打、238安打、213安打、225安打、214安打)。 2001年ア・リーグMVP(全米野球記者協会)。 2001年、2007年、2009年シルバースラッガー賞(外野手部門)。 2005年MLBコミッショナー特別表彰。 2004年8月ア・リーグ月間MVP。 2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年ゴールドグラブ賞。 2019年マリナーズ特別功労賞。 2021年マリナーズ球団殿堂入り。 2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年オールスターゲーム出場。 2001年MLB新人シーズン最多安打記録(242安打)。 2004年MLBシーズン最多安打記録(262安打)。 2004年MLBシーズン最多単打記録(225単打)。 2013年MLB通算2,000試合出場達成(7.14ツインズ戦)。 2016年MLB通算3,000安打達成(8.7ロッキーズ戦)。 2010年MLB新人から10年連続200安打達成(9.23ブルージェイズ戦)。 2016年MLB通算500盗塁達成(4.29ブルワーズ戦)。 2008年MLB新人から8年連続30盗塁達成(6.16マーリンズ戦)。

「MLBデビュー」
2001年4月2日アスレチックス戦(セーフコ・フィールド)“先発出場(1番・ライト)”。

「MLBデータ」
2001年MLB初安打(4.2アスレチックス戦)。 2001年MLB初打点(4.6レンジャーズ戦)“本塁打”。 2001年MLB初本塁打(4.6レンジャーズ戦)。 2003年MLB初満塁本塁打(7.18ロイヤルズ戦)。 2001年MLB初盗塁(4.15エンゼルス戦)。 2001年MLB初外野手補殺(4.11アスレチックス戦)。 2015年MLB初登板(10.4フィリーズ戦)。

「MLB通算記録」
2010年MLB10年在籍資格取得(4.5アスレチックス戦)。 2004年MLB通算500試合出場達成(5.5ツインズ戦)。 2007年MLB通算1,000試合出場達成(5.24デビルレイズ戦)。 2010年MLB通算1,500試合出場達成(6.26ブルワーズ戦)。 2013年MLB通算2,000試合出場達成(7.14ツインズ戦)。 2016年MLB通算2,500試合出場達成(10.2ナショナルズ戦)。 2015年MLB通算10,000打席達成(8.25パイレーツ戦)。 2010年MLB通算1,000得点達成(6.5エンゼルス戦)。 2003年MLB通算500安打達成(5.16タイガース戦)。 2005年MLB通算1,000安打達成(6.14フィリーズ戦)。 2007年MLB通算1,500安打達成(7.29アスレチックス戦)。  2009年MLB通算2,000安打達成(9.6アスレチックス戦)。 2012年MLB通算2,500安打達成(6.19ダイヤモンドバックス戦)。 2016年MLB通算3,000安打達成(8.7ロッキーズ戦)。 2017年MLB通算2,500単打達成(9.8ブレーブス戦)。 2005年MLB通算50本塁打達成(8.25レンジャーズ戦)。 2012年MLB通算100本塁打達成(7.30オリオールズ戦)。 2009年MLB通算500打点達成(8.9レイズ戦)。 2001年MLB通算50盗塁達成(9.25レンジャーズ戦)。 2003MLB通算100盗塁達成(6.8メッツ戦)。 2004年MLB通算150盗塁達成(8.21タイガース戦)。 2006年MLB通算200盗塁達成(5.7インディアンス戦)。 2007年MLB通算250盗塁達成(6.1レンジャーズ戦)。 2008年MLB通算300盗塁達成(6.11ブルージェイズ戦)。 2010年MLB通算350盗塁達成(5.9エンゼルス戦)。 2011年MLB400盗塁達成(6.15エンゼルス戦)。 2012年MLB通算450盗塁達成(9.23アスレチックス戦)。 2016年MLB通算500盗塁達成(4.29ブルワーズ戦)。 2012年MLB通算100外野手補殺達成(5.11ヤンキース戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2004年NPB-MLB通算1,500試合出場達成(6.30レンジャーズ戦)。 2007年NPB-MLB通算2,000試合出場達成(7.18オリオールズ戦)。 2010年NPB-MLB通算2,500試合出場達成(8.21ヤンキース戦)。 2013年NPB-MLB通算3,000試合出場達成(9.13レッドソックス戦)。 2017年NPB-MLB通算3,500試合出場達成(6.7カブス戦)。 2008年NPB-MLB通算1,500得点達成(7.3タイガース戦)。 2015年NPB-MLB通算2,000得点達成(8.31ブレーブス戦)。 1999年NPB通算1,000安打達成(4.20日本ハム戦)。 2001年NPB-MLB通算1,500安打達成(9.21アスレチックス戦)。 2004年NPB-MLB通算2,000安打達成(5.21タイガース戦)。 2006年NPB-MLB通算2,500安打達成(6.7ツインズ戦)。 2008年NPB-MLB通算3,000安打達成(7.29レンジャーズ戦)。 2010年NPB-MLB通算3,500安打達成(9.18レンジャーズ戦)。 2013年NPB-MLB通算4,000安打達成(8.21ブルージェイズ戦)。 2012年NPB-MLB通算500二塁打達成(5.20ロッキーズ戦)。  2004年NPB-MLB通算150本塁打達成(5.26インディアンス戦)。 2009年NPB-MLB通算200本塁打達成(9.12レンジャーズ戦)。 2009年NPB-MLB通算1,000打点達成(4.15エンゼルス戦)。 2001年NPB-MLB通算200盗塁達成(4.15エンゼルス戦)。 2001年NPB-MLB通算250盗塁達成(9.26レンジャーズ戦)。 2003年NPB-MLB通算300盗塁達成(6.8メッツ戦)。 2004年NPB-MLB通算350盗塁達成(8.28ロイヤルズ戦)。 2006年NPB-MLB通算400盗塁達成(5.8デビルレイズ戦)。 2007年NPB-MLB通算450盗塁達成(6.8パドレス戦)。 2008年NPB-MLB通算500盗塁達成(6.13ナショナルズ戦)。 2010年NPB-MLB通算550盗塁達成(5.12オリオールズ戦)。 2011年NPB-MLB通算600盗塁達成(6.15エンゼルス戦)。 2012年NPB-MLB通算650盗塁達成(9.28ブルージェイズ戦)。 2016年NPB-MLB通算700盗塁達成(6.2パイレーツ戦)。 2004年NPB-MLB通算100外野手補殺達成(8.14ヤンキース戦)。 2010年NPB-MLB通算150外野手補殺達成(4.11レンジャーズ戦)。


[イチロー、通算成績]

年 度 所 属 試 合 打 数 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 打 率
1992 オリックス    40     95    24   0    5   3 0.253
1993 オリックス    43     64    12   1    3   0 0.188
1994 オリックス   130    546   210  13   54  29 0.385
1995 オリックス   130    524   179  25   80  49 0.342
1996 オリックス   130    542   193  16   84  35 0.356
1997 オリックス   135    536   185  17   91  39 0.345
1998 オリックス   135    506   181  13   71  11 0.358
1999 オリックス   103    411   141  21   68  12 0.343
2000 オリックス   105    395   153  12   73  21 0.387
NPB通算   951  3,619 1,278 118  529 199 0.353
2001 マリナーズ   157    692   242   8   69  56 0.350
2002 マリナーズ   157    647   208   8   51  31 0.321
2003 マリナーズ   159    679   212  13   62  34 0.312
2004 マリナーズ   161    704   262   8   60  36 0.372
2005 マリナーズ   162    679   206  15   68  33 0.303
2006 マリナーズ   161    695   224   9   49  45 0.322
2007 マリナーズ   161    678   238   6   68  37 0.351
2008 マリナーズ   162    686   213   6   42  43 0.310
2009 マリナーズ   146    639   225  11   46  26 0.352
2010 マリナーズ   162    680   214   6   43  42 0.315
2011 マリナーズ   161    677   184   5   47  40 0.272
2012 マリナーズ    95    402   105   4   28  15 0.261
ヤンキース    67    227    73   5   27  14 0.322
シーズン計   162    629   178   9   55  29 0.283
2013 ヤンキース   150    520   136   7   35  20 0.262
2014 ヤンキース   143    359   102   1   22  15 0.284
2015 マーリンズ   153    398    91   1   21  11 0.229
2016 マーリンズ   143    327    95   1   22  10 0.291
2017 マーリンズ   136    196    50   3   20   1 0.255
2018 マリナーズ    15     44    9   0    0   0 0.205
2019 マリナーズ     2      5    0   0    0   0 0.000
MLB通算 2,653  9,934 3,089 117  780 509 0.311
日米プロ通算 3,604 13,553 4,367 235 1,309 708 0.322

<通算外野手補殺 NPB-66、MLB-123> <シーズン中途移籍 '12.7.23〜ヤンキース>

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
  オリックス              
NPB通算              
2015 マーリンズ 0−0 1.0/0 9.00
MLB通算 0−0 1.0/0 9.00
日米プロ通算 0−0 1.0/0 9.00

<通算ホールド NPB- 、MLB-0> <NPBでの登板なし('92〜'00)>




MLBルーキーシーズン最多安打記録
ジョー・ジャクソンの233安打を更新

('01.9.29 アスレチックス戦)



MLB2001年シーズン
“ア・リーグ最多盗塁”
(56盗塁 10.7 レンジャーズ戦)



MLB通算10,000打席達成
('15.8.25 パイレーツ戦)




MLB通算3,000安打達成までの節目
(左から:初安打'01.4.2アスレチックス戦、1,000安打'05.6.14フィリーズ戦、2,000安打'09.9.6アスレチックス戦、3,000安打'16.8.7ロッキーズ戦)



MLBシーズン最多安打記録
ジョージ・シスラーの257安打を更新

('04.10.1 レンジャーズ戦)



MLBシーズン最多262安打記録に
MLBコミッショナー特別表彰
(左から:262安打 '04.10.3 レンジャーズ戦、授賞セレモニー '05.4.22 シアトル)



MLBデビューから
10年連続200安打達成

('10.9.23 ブルージェイズ戦)



MLB通算500盗塁達成
('16.4.29 ブルワーズ戦)


 

MLBデビューから
10年連続ゴールドグラブ賞
('10.4.12 シアトル)



MLBオールスターゲーム
MVP
史上初のランニング本塁打
('07.7.10 サンフランシスコ)
 


NPB-MLB(日米プロ)
通算4,000安打達成
('13.8.21 ブルージェイズ戦)



NPB-MLB(日米プロ)
通算700盗塁達成
('16.6.2 パイレーツ戦)



NPB-MLB(日米プロ)
キャリア23年で初のマウンド
('15.10.4 フィリーズ戦)


 

NPB-MLB(日米プロ)
通算4,257安打達成
ピート・ローズのMLB記録を超える
('16.6.15 パドレス戦)



MLBマリナーズ球団殿堂入りセレモニー
('22.8.27 T-モバイル・パーク)


■1993年ハワイ・ウインター・ベースボールにオリックスから派遣選手として参加、チームはヒロ・スターズ。
■1994年9月11日NPB近鉄戦で1試合4二塁打を記録。
■1994年9月20日NPBシーズン200安打達成(ロッテ戦)。1994年シーズンは210安打で2010年Matt Murton(マット・マートン/阪神)が214安打を放ちNPB記録は更新された。
■1997年NPB連続打席無三振をロッテ戦(4.16)竹清剛治投手に喫してから日本ハム戦(6.25)下柳剛投手に喫するまで216打席記録。
■2000年8月27日ロッテ戦(グリーンスタジアム神戸)、3回裏の打席で3塁線ファールを打った際に右脇腹を痛め途中交代するアクシデント、残りシーズンを棒に振るNPB最後の打席となり、1軍登録抹消から47日ぶりのホームで行われた西武戦(10.13)に守備固めで出場(打席には立たず)、これがNPBでの最終試合となる。
■2000年11月ポスティング制度ではマリナーズが1,312万5,000ドルで落札、11月マリナーズと3年契約の総額1,400万ドルでメジャーリーグ契約。
■2001年4月11日アスレチックス戦でMLB初外野手補殺を記録。8回裏1死1塁でRamon Hernandez(ラモン・ヘルナンデス)のライト前ヒットを捕球して3塁にノーバウンドでストライク送球、1塁走者のTerrence Long(テレンス・ロング)を刺した。実況アナウンサーが信じられない強肩の送球を“レーザービーム”と表現して以来、代名詞として定着した。
■2001年7月10日オールスターゲーム(シアトル)に1番センターで先発出場、初出場の成績は3打数、1安打、0打点、1盗塁。1回裏1打席目にダイヤモンドバックス所属のRandy Johnson(ランディー・ジョンソン/ジャイアンツ)から1塁内野安打の後、2盗を成功させた。なお、マリナーズ所属時ランディー・ジョンソンも背番号51、俊足ルーキーとベースカバーのランディー・ジョンソンが1塁に駆け込む画像がスポーツ紙面を飾った。なお、オールスターゲーム・ファン投票の結果、2001年337万3,035票、2002年251万6,061票、2003年213万0,708票と3年連続でア・リーグ全体トップの得票だった。
■2001年MLBア・リーグ月間(4月、5月、8月、9月)最優秀新人。
■2001年MLB新人シーズン最多安打記録242安打達成はJoe Jackson(ジョー・ジャクソン/ホワイトソックス)が1908年デビューでルーキー資格の4年目、1911年クリーブランド・ナップス所属時に記録した233安打以来のMLB記録更新でMLB史上90年ぶりの快挙。
■2001年シーズンオフ、全米野球記者協会(BBWAA)の記者28人の投票でア・リーグ最優秀選手賞(MVP)の選考が行われ、@イチロー(マリナーズ)289得点(1位票11、2位票10)、AJason Giambi(ジェイソン・ジアンビ/アスレチックス)281得点(1位票8、2位票11)と僅か8得点の差で栄冠を手にした。3位以下はBBret Boone(バレット・ブーン/マリナーズ)259得点(1位票7)、CRoberto Alomare(ロベルト・アロマー/インディアンス)165得点(1位票2)、DJuan Gonzarez(フアン・ゴンザレス/インディアンス)156得点、EAlex Rodriguez(アレックス・ロドリゲス/ヤンキース)141得点と続いた。なお、ア・リーグ新人王とア・リーグMVPの同時受賞は1975年レッドソックスからデビューのFred Lynn(フレッド・リン/パドレス)に続きMLB史上2人目の快挙。
■2002年9月16日レンジャーズ戦で珍しいサヨナラ四球を記録。スコア5対5の延長11回裏2死満塁で打席に立ち、Rich Rodrignez(リッチ・ロドリゲス)投手からストレートの四球を選び押し出しのサヨナラ勝利。試合は9回に佐々木主浩がセーブ失敗、延長10回から登板の長谷川滋利が勝利投手。
■2004年MLBシーズン最多安打記録262安打(225単打、24二塁打、5三塁打、8本塁打)達成はGeorge Sisler(ジョージ・シスラー/ボストン・ブレーブス)が1920年セントルイス・ブラウンズ所属時に記録した257安打以来でMLB史上84年ぶりにMLB記録更新の快挙、Bud Selig(バド・セリグ)MLBコミッショナーから「コミッショナー特別表彰」“Commissoner's Historic Achievement Award/コミッショナー歴史的偉業表彰”を受けた('05.4.22)。また、マリナーズ球団筆頭オーナーの山内溥(任天堂社長)から自身保有の任天堂株を5,000株(5,800万円相当)ボーナスとして贈られた。なお、シーズン単打225本も1リーグ時代の1898年、Willie Keeler(ウィリー・キラー/ニューヨーク・ジャイアンツ)のMLB記録206本を106年ぶりに更新した。
■2004年シーズンオフ、全米野球記者協会(BBWAA)選考のア・リーグ最優秀選手賞(MVP)は獲得ポイントが伸びず受賞は逃した。@Vladimir Guerrero(ウラディミール・ゲレーロ/アナハイム・エンゼルス)354ポイントでア・リーグMVPを受賞。AGary Sheffield(ゲリー・セフィールド/ヤンキース)254ポイント、BManny Ramirez(マニー・ラミレス/レッドソックス)238ポイント、CDavid Ortiz(デビット・オルティス/レッドソックス)174ポイント、DMiguel Tejada(ミゲル・テハダ/オリオールズ)123ポイント、EJohan Santana(ヨハン・サンタナ/ツインズ)117ポイント、Fイチロー(マリナーズ)98ポイントと続いた。イチローは歴史的な記録を残すもチームがア・リーグ西地区で最下位(63勝99敗)に沈み、2001年にチームのポストシーズン進出(116勝46敗)に貢献した時とは違う評価になった。
■2005年6月14日MLB通算1,000安打達成(フィリーズ戦)の696試合目は1933年のChuck Klein(チャック・クライン/フィリーズ)683試合目、1932年のLloyd Waner(ロイド・ワーナー/パイレーツ)686試合目に続きMLB史上3位のスピード達成。同時にNPB-MLB(日米プロ)双方で1,000安打達成の快挙。
■2006年6月7日NPB-MLB(日米プロ)通算2,500安打達成(ツインズ戦)は1,808試合目、NPB最速達成記録は張本勲(ロッテ)の2,185試合目で超スピード達成。なお、年齢で32才シーズンまでの2,500安打達成はMLBでもTy Cobb(タイ・カッブ/フィラデルフィア・アスレチックス)のみ記録。
■2007年7月10日オールスターゲーム(サンフランシスコ)に先発出場、オールスターゲーム史上初のランニング本塁打を含む3打数、3安打、2打点の大活躍でMVP。
■2007年7月29日MLB通算1,500安打達成は1,060試合目の快挙、1931年Al Simmons(アル・シモンズ/フィラデルフィア・アスレチックス)の1,040試合目、1924年セントルイス・ブラウン所属時のGeorge Sisler(ジョージ・シスラー/ボストン・ブレーブス)の1,048試合目に次ぐMLB史上3位のスピード達成。なお1913年タイガース所属時のTy Cobb(タイ・カップ/フィラデルフィア・アスレチックス)は1,070試合目。
■2008年6月13日NPB-MLB(日米プロ)通算500盗塁達成(ナショナルズ戦)はNPBでも500盗塁達成者は福本豊(阪急)1,065盗塁、広瀬叔功(南海)596盗塁、柴田勲(巨人)579盗塁の僅か3人のみの快挙。なお、盗塁成功率0.832(NPB/0.858-MLB/0.816)は広瀬叔功0.829、福本豊0.781、柴田勲0.750を上回り盗塁刺の少なさの証。
■2007年7月マリナーズと5年契約('08〜'12)の総額9,000万ドル(契約ボーナス500万ドル含む)で契約延長。
■2008年7月10日アスレチックス戦8回表1死1、3塁で城島健司(カウント0-1)から初日本人同士の代打交代、スクイズを試みるも四球を選ぶ。
■2008年9月17日MLB8年連続200安打達成(ロイヤルズ戦)は1リーグ時代にWillie Keeler(ウィリー・キーラー/ニューヨーク・ジャイアンツ)が1894年から8年連続200安打を記録して以来107年ぶり、1900年以降の近代野球では初の快挙。2007年9月3日MLB7年連続200安打達成(ヤンキース戦)は1983年から7年連続のWade Boggs(ウエード・ボッグス/デビルレイズ)に並ぶMLB史上3人目の快挙。2006年9月16日MLB6年連続200安打達成(ロイヤルズ戦)。2005年9月30日MLB5年連続200安打達成(アスレチックス戦)は1929年からのChuck Klein(チャック・クライン/フィリーズ)、1929年からのAl Simmons(アル・シモンズ/フィラデルフィア・アスレチックス)、1933年からのCharlie Gehringer(チャーリー・ゲーリンジャー/タイガース)らMLB史上5人が達成。2004年8月26日MLBデビューから4年連続200安打達成(ロイヤルズ戦)はMLB史上初の快挙。2003年9月20日MLBデビューから3年連続200安打達成(アスレチックス戦)は1927年デビューのLloyd Waner(ロイド・ワーナー/パイレーツ)、1942年デビューでレッドソックス所属時のJohnny Pesky(ジョニー・ペスキー/ワシントン・セネターズ)とMLB史上3人が達成。2002年9月22日MLBデビューから2年連続200安打達成(エンゼルス戦)。2001年8月28日MLBルーキーイヤー200安打達成(デビルレイズ戦)。
■2008年9月26日MLB8年連続100得点達成(アスレチックス戦)。なお、MLB史上で8回の同一シーズン100得点、200安打達成はWillie Keeler(ウィリー・キーラー/ニューヨーク・ジャイアンツ)、Lou Gehrig(ルー・ゲーリック/ヤンキース)が記録。
■2009年4月16日NPB-MLB(日米プロ)通算3,086安打達成(エンゼルス戦)は張本勲(ロッテ)の持つNPB通算最多安打記録3,085安打を超える大記録。
■2009年9月6日MLB通算2,000安打達成(アスレチックス戦)は1,402試合目の快挙、Al Simmons(アル・シモンズ/フィラデルフィア・アスレチックス)の1,390試合目に次ぐMLB史上2位のスピード達成。
■2009年9月13日MLB9年連続200安打達成(レンジャーズ戦)はMLB史上、前人未踏の記録となる。
■2009年9月18日ヤンキース戦でMLBキャリア初のサヨナラ本塁打をMariano Rivera(マリアノ・リベラ)から放ち敗投手を付けた。2013年6月25日レンジャーズ戦で2本目のサヨナラ本塁打をTanner Scheppers(タナー・シェパーズ)から放ち、今度はMariano Rivera(マリアノ・リベラ)に勝投手を付けて義理堅い帳尻合わせとなる。
■2009年9月26日ブルージェイズ戦で5回に見逃し三振の判定を不服、Brian Runge(ブライアン・ルンギ)審判にボールのコースをバットで地面に示し、侮辱行為でキャリア初の退場処分。
■2010年新春恒例の歌会始の儀で常陸宮華子妃が「大記録なししイチローのその知らせ希望の光を子らにあたへむ」と詠まれた。
■2010年8月31日MLB通算500内野安打達成(エンゼルス戦)。この時点でMLB通算2,199安打の内、2割3分が内野安打はパワー重視のMLBでバッティング技術の高さ、俊足と特筆に価するプレイヤーを証明。
■2010年9月18日レンジャーズ戦でNPB-MLB(日米プロ)通算3,500安打達成は条件の相違あるも、MLBではPete Rose(ピート・ローズ/レッズ)4,256安打、Ty Cobb(タイ・カッブ/フィラデルフィア・アスレチックス)4,191安打、Hank Aaron(ハンク・アーロン/ブルワーズ)3,771安打、Stan Musial(スタン・ミュージアル/カージナルス)3,630安打、Tris Speaker(トリス・スピーカー/フィラデルフィア・アスレチックス)3,514安打の僅か5人が達成。
■2010年9月23日MLB10年連続200安打達成(ブルージェイズ戦)でシーズン200安打を10回記録したPete Rose(ピート・ローズ/レッズ)のMLB記録に達成回数でも並ぶ。
■2010年MLB各球団の監督、コーチの投票で選出するゴールドグラブ賞(外野手部門)を2001年から10年連続で受賞。ベテラン野球評論家10人の投票で選出する客観的データ重視のフィールディング・バイブル賞(最優秀右翼手)を2006年、2009年に続いて3度目の受賞と俊足と強肩を活かした守備を高く評価された。
■2011年9月8日NPB-MLB通算44本目の先頭打者本塁打(ロイヤルズ戦)を放ち福本豊(阪急)の持つNPB記録を更新。同時にNPB-MLB通算5,000塁打も達成、NPBで5,000塁打達成者は王貞治(巨人)5,862、野村克也(西武)5,315、張本勲(ロッテ)5,161の3人が記録。
■2011年9月8日、9日ロイヤルズ戦でMLBキャリア4度目の“2試合連続マルチ安打&マルチ盗塁”を記録。過去に@2001年5月17日ホワイトソックス戦、18日ヤンキース戦、A9月25日、26日レンジャーズ戦、B2007年5月18日、19日パドレス戦で記録している。
■2012年5月11日ヤンキース戦でMLB通算100外野手補殺(Outfield Assists)達成は1回裏2死2塁でライト前ヒットしたRobinson Cano(ロビンソン・カノー)が2塁走者Curtis Granderson(カーチス・グランダーソン)のホーム生還の間に2進を試みるのを補殺した。なお、MLB初外野手補殺は2001年4月11日アスレチックス戦の8回裏1死1塁でRamon Hernandez(ラモン・ヘルナンデス)のライト前ヒットで3進を試みた1塁走者Terrence Long(テレンス・ロング)を正確で矢のような送球で補殺、実況アナウンサーのRick Rizzs(リック・リズ)が「Holy smokes! A laser beam strike from Ichiro!」と放送したことで“レーザービームで補殺”との表現も一躍有名になる。
■2012年6月19日MLB通算2,500安打達成(ダイヤモンドバックス戦)で1,817試合目はAl Simmons(アル・シモンズ/フィラデルフィア・アスレチックス)1,784試合目、Ty Cobb(タイ・カッブ/フィラデルフィア・アスレチックス)1,790試合目、George Sisler(ジョージ・シスラー/ボストン・ブレーブス)1,808試合目に次ぎ、Paul Waner(ポール・ウェイナー/ヤンキース)1,825試合目を上回る1900年以降のMLB史上4番目のスピード達成。
■2012年7月23日ヤンキース若手2投手のD.J. Mitchell(DJ・ミッチェル)、Danny Farquhar(ダニー・ファークワー)にプラス金銭(年俸1,700万ドルの残り250万ドルを負担)で交換トレード移籍。ヤンキースでの背番号51は尊敬するBernie Williams(バーニー・ウイリアムズ/ヤンキース)に相応しく、重過ぎると遠慮した。セーフコ・フィールドで移籍会見の3時間後、ヤンキース先発メンバーが1番ショートストップDereku Jeter(デレク・ジーター)、3番サードAlex Rodriguez(アレックス・ロドリゲス)、8番ライトIchiro Suzuki(イチロー・スズキ)と発表され、MLB通算2,500安打以上達成者3選手が名を連ねマリナーズ戦に臨んだ。右翼外野席ファンの掲げる応援ボードが“AREA 51”(鉄壁の守備エリア)から“SPACE AVAILAB”(空き地)となるなど移籍を惜しまれた。そして、シーズンオフには“ICHI-METER”(イチローの安打数を表示)で有名な女性ファンのAmy Franz(エイミー・フランツ)さんにユニークで熱狂的な応援は常に刺激を受けたと感謝の手紙と小包(バット、スパイク)を贈るなどシアトルのファンを気遣う。
■2012年9月21日アスレチックス戦の3回裏1死走者なし(第1打席)で先発右腕Jarrod Parker(ジャーロド・パーカー)の初球を打ち返し、ワンバウンドした強い打球が投手のグラブを弾きユニホームの隙間から胸元に入り込み、取り出すのに手間取る間に1塁セーフとなる内野安打、MLBでも記憶にない珍事。
■2012年12月ヤンキースと2年契約('13〜'14)の総額1,300万ドルで再契約。
■2013年4月27日ブルージェイズ戦で珍しい外野手補殺を記録。4回表1死3塁で打者Brett Lawrie(バレット・ローリー)の飛球を捕り、右翼から正確に本塁ワンバウンド返球、捕手Chris Stewart(クリス・スチュワート)が3塁走者Edwin Encarnacion(エドウィン・エンカーナシオン)にタッチの際、ボールを溢して生還を許した。本塁セーフは捕手の失策として外野手補殺が記録された。そして、失策による得点で打者に打点(犠飛)が付かない珍しい記録となる。
■2013年7月14日ツインズ戦でMLB通算2,000試合出場達成。2,000試合出場達成時の安打数が2,696安打はTy Cobb(タイ・カッブ/フィラデルフィア・アスレチックス)2,796安打、George Sisler(ジョージ・シスラー/ボストン・ブレーブス)2,753安打、Al Simmons(アル・シモンズ/フィラデルフィア・アスレチックス)2,743安打、Rogers Hornsby(ロジャース・ホーンスビー/セントルイス・ブラウンズ)2,715安打、Paul Waner(ポール・ウェイナー/ヤンキース)2,707安打に続き1900年以降のMLB史上6番目の記録。
■2013年8月21日ブルージェイズ戦でNPB-MLB(日米プロ)通算4,000安打(NPB1,278-MLB2,722)達成は2,981試合目。2番ライト先発出場の第1打席(1回裏1死)、ブルージェイズ先発R.A. Dickey(ロバート・アラン・ディッキー)投手の1ボール、1ストライクからの3球目(ナックルボール)を打ち返し、打球が三遊間を抜けて左翼前安打となり偉業を達成。なお、MLB通算2,722安打はLou Gehrig(ルー・ゲーリック/ヤンキース)2,721安打の記録を超えた。NPB-MLB(日米プロ)合算での記録に賛否両論あるのも事実で、MLB公式サイトによるとMLB-MiLB(メジャーリーグ、マイナーリーグ)合算の記録ではPete Rose(ピート・ローズ/レッズ)4,683安打(MLB4,256-MiLB427)、Ty Cobb(タイ・カッブ/フィラデルフィア・アスレチックス)4,357安打(MLB4,191-MiLB166)、Hank Aaron(ハンク・アーロン/ブルワーズ)4,095安打(MLB3,771-MiLB324)、Jigger Statz(ジガー・スタッツ/ブルックリン・ロビンズ)4,093安打(MLB737-MiLB3,356)、Stan Musial(スタン・ミュージアル/カージナルス)4,001安打(MLB3,630-MiLB371)がプロ通算4,000安打の大台に乗ると伝える。
■2014年9月27日レッドソックス戦でNPB-MLB21年連続100安打達成。NPBでは王貞治(巨人)が21年('60〜'80)、張本勲(ロッテ)が20年('59〜'78)。MLBではPete Rose(ピート・ローズ/レッズ)が23年('63〜'85)連続100安打を記録。
■2015年マーリンズと1年契約の年俸200万ドル+出来高(280万ドル)で契約(1.27)。出来高は打席数が300打席で40万ドル、その後50打席ごとに40万ドルが加算され、600打席までで最大280万ドルになる内容。
■2015年4月25日ナショナルズ戦でNPB-MLB通算1,968得点達成、王貞治(巨人)のNPB記録1,967得点を更新。試合後のインタビューで「ただただ光栄です。監督(今でもそう呼ぶ)とは試合数が違うので全然比較できないと思う。(私の場合は本塁打も少なく)人に帰して貰う記録。今日だって(後続の本塁打で生還した)私は塁に立っているだけですから。(監督と私では)人として出来が違う。それは揺るぎない点として私の中に永遠に植えつけられている」と謙虚なコメント。NPB記録に並んだ時点(4.24ナショナルズ戦)でイチローの3,172試合、230本塁打に対して王貞治は2,831試合、868本塁打。
■2015年10月4日フィリーズ戦でMLB初登板を果たす(2,357試合目)。レギュラーシーズン最終戦、敵地シチズンバンク・パークで4点を追う(スコア2対6)8回裏にレフト守備から4番手で救援登板、投球回数1イニング0/0、被安打2、被本塁打0、失点1(自責点1)、与四死球0、奪三振0、防御率9.00、打者5、投球数18(ストライク11)、打球5(ゴロ1、フライ4)の内容で勝敗セーブの記録は付かず。球速は最速89マイル(143キロ)程でスライダーやチェンジアップを交えての投球だった。41才348日で同一試合に野手と投手をこなしたのはMLB史上最年長。
■2015年シーズンオフにマーリンズと1年契約の年俸200万ドル+出来高(300万ドル)で契約延長(10.6)。更にもう1年延長はオプション契約(選択権球団側)で行使の場合は年俸200万ドル、破棄の場合は違約金50万ドルトと異例の厚遇。出来高は打席数が250打席と300打席で各30万ドル、その後は50打席ごとに40万ドル加算され、600打席までで最大300万ドルとなる。
■2016年6月15日パドレス戦でNPB-MLB通算4,257安打達成でPete Rose(ピ-ト・ローズ/レッズ)のMLB通算4,256安打の記録を超えた。パドレス戦に1番・ライトで先発出場、1回表に内野安打(捕手前)、9回表に2塁打(右翼線)を放ち一挙に記録を達成した。記録にNPBでの1,278安打を加算することに賛否両論があり、メディアも“JAPAN/MLB”の注釈を付けて快挙を報じた。
■2016年8月7日ロッキーズ戦でMLB通算3,000安打達成はMLB史上30人目の金字塔。先発出場(6番・センター)した7回表1死走者なしの第4打席、ロッキーズ2番手Chris Rusin(クリス・ルーシン)投手の2ボールからの3球目(カットボール)を捉え、右翼フェンス直撃の3塁打で記録を達成、クアーズ・フィールドの観客40,875も偉業達成に酔った。3,000安打の内訳は単打2,444(内野安打677)、二塁打350、三塁打93、本塁打113。2,452試合での達成はRoberto Clemente(ロベルト・クレメンテ/パイレーツ)2,433試合に次いでMLB史上14番目。9,567打数での達成はHank Aaron(ハンク・アーロン/ブルワーズ)の9,566打数に次いでMLB史上10番目。達成年齢が42才9ヶ月は1897年達成のCap Anson(キャップ・アンソン/シカゴ・コルツ)45才3ヶ月に次いでMLB史上2番目の年長記録(1900年以降では最年長)。

“3,000 Hits Club” MLBで通算3,000安打達成者が会員資格を有し、その殆どが引退後にアメリカ野球殿堂入りを果たしている。MLB史上32選手が通算3,000安打の条件をクリアしている(〜'20)。

■2017年9月8日ブレーブス戦でMLB通算2,500単打(シングル・ヒット)達成はMLB史上6人目。
■2017年シーズンは136試合出場、代打での打席数109、打数99、安打27の成績を残した。シーズン代打の打席数でRusty Staub(ラスティー・ストウブ/メッツ)の94打席('83)、打数でLenny Harris(レニー・ハリス/フロリダ・マーリンズ)の83打数('01)の記録を更新、安打でJohn VanderWal(ジョン・バンダーウォル/レッズ)の28安打('95)の記録に1本差に迫った。シーズンオフにFAとなる。
■2018年マリナーズと1年契約の年俸75万ドル+出来高(125万ドル)で契約(3.7)。出来高は打席数が150打席で20万ドル、その後は50打席ごとに20万ドル、400打席で25万ドルが加算され、最大125万ドルとなる内容。
■2018年5月3日John Stanton(ジョン・スタントン)マリナーズ球団会長付特別補佐(Special Assistant to the Chairman)に就任、フロント・オフィス入りした。メジャー選手登録(40-Man Roster)から外れ、シーズン残りの試合出場は出来ないがチームに同行、選手をサポートする。Jerry Dipoto(ジェリー・ディポート)マリナーズGMは「前例のない役割だが、皆が教えを請いに行くという意味で彼はクラブハウスのダライ・ラマ(Dalai Lama)のような存在だ」と表現した。
■2019年マリナーズとマイナーリーグ契約(1.22)、内容はメジャー昇格で年俸75万ドルのスプリット契約。マリナーズ春季キャンプに参加、オープン戦で調整に苦しむもメジャー昇格(3.20)。海外遠征の選手登録枠(3人増枠)に入り、日本でのMLB開幕シリーズ2試合(3.20、21アスレチックス戦/@東京ドーム)に9番ライトで先発出場(5打数ノーヒット)、2試合を終えて現役引退を発表(3.21)、事実上の引退試合となった。なお、“国民栄誉賞”授与の打診を受けたが「人生の幕を下ろした時に頂けるよう励みます」と管義偉内閣官房長官に伝え、この度も辞退した(過去に2001年、2004年とも辞退)。
■2019年4月30日John Stanton(ジョン・スタントン)マリナーズ球団会長付特別補佐に再び就任、今後はJerry Dipoto(ジェリー・ディポート)GMのサポートや兼任の球団インストラクター(Instructor with the Major League and Triple-A clubs)として本拠地中心にマリナーズ選手、3Aタコマ選手の走塁、バッティング、外野守備のアドバイスや実践指導も行う。
■2019年マリナーズ球団から“特別功労賞”(Franchise Achievement Award/フランチャイズ・アチーブメント・アワード)を授与された(9.14)。なお、“引退セレモニー”が本拠地(T-モバイル・パーク)での3連戦(9.13〜9.15/ホワイトソックス戦)を“イチロー・ウイークエンド”と銘打って開催され、イチロー花火ナイト(9.13/花火とプレーハイライト放映のコラボショー)、イチロー首振り人形(9.14/20,000個)、イチローユニホームのレプリカTシャツ(9.15/15,000枚)などで盛り上げ、ファンと共に彼の偉業を称えた。
■2019年12月1日イチロー率いる草野球チーム「KOBE CHIBEN」と智弁和歌山の教職員チーム「和歌山智弁」が軟式野球で対戦(ほっともっとフィールド神戸)、イチローは背番号1を付け、9番・ピッチャーで先発出場、投手では9イニング0/0(球数131)、被安打6、奪三振16の完封劇(スコア14対0)、打撃では4打数、3安打、1打点の猛打賞と“二刀流”で草野球デビューを飾った。試合に智弁和歌山の藤田清司・理事長も監督兼4番DHで出場、名物のブラスバンド応援(OBチーム)もあり、親交を深めた(試合後、1時間も1人1人に感謝の握手をして回る)。
■2019年「学生野球資格回復制度」の研修会を受講(12.13〜3日間)、日本学生野球協会の審査を経て認可('20.2.7)されれば、レゼンドの指導を熱望する球児に応えることが可能となった。なお、現役引退を受け「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」も愛知県豊山町で開催された第24回が最後の大会となり、閉会式で(厳しく教育することが難しい風潮を背景に)「みんなが謙虚な気持ちで先生を尊敬し、自分自身を自分で鍛えて欲しい」と挨拶、エールを送った(12.22)。
■2021年「マリナーズ球団殿堂/Mariners Hall of Fame」入りが満場一致で決まる(11.17)。記念のセレモニーは2022年8月27日にマリナーズ本拠地球場(T-モバイル・パーク)で行われる。John Stanton(ジョン・スタントン)球団社長は「イチローが10年以上に渡りマリナーズのユニホームを着て、打撃と守備で魔法を見せた。その姿を見たマリナーズ・ファンは幸運だった。あの華々しいプレー、そしてプレーにのめり込む姿は、日本からメジャーにやって来た初めての野手としてアメリカのファンの心を掴んだ」とコメントした。
■2021年国学院久我山高(東京都)で野球部員に実践指導を行った(11.29/約3時間半)。続いて、千葉明徳高(千葉県)で2日間(12.2〜12.3/約4時間半)、高松商高(香川県)で2日間(12.11〜12.12/約4時間)野球部員に実践指導を時間を掛けて行った。野球部員の質問にも手本を見せて丁寧に説き、監督の強い熱意に応えて練習の真意、ポイントなども助言した。練習で使用した黒いバットを「皆んなのこと見てますから!監督のことも見てますよ!期待しています。有り難う」と絆の証としてプレゼントした。締めは、高校女子硬式野球選抜チーム(中島梨沙監督)とイチロー率いる草野球チーム「KOBE CHIBEN」のエキシビション・マッチが行われた(12.18)。イチローは9番・ピッチャーで先発出場、投手で9回を4安打、0失点、4四死球(2死球)、17奪三振で完封(スコア1対0)、打者で3打数、0安打(ピッチャー・ゴロ、セカンド・ゴロ、ファースト・ゴロ併殺)だった。試合は全日本女子野球連盟(WBFJ)と全国高校女子硬式野球連盟(JHGBF)の依頼で高校女子硬式野球選抜チーム強化プログラムの一環として実現した。イチローも「一切手加減なし、ガチンコ勝負」で応え、ストレートは球速84マイル(135キロ)を計測、寒さで8回途中に右脹脛痙攣を起こしながらも完投した(球数147球)。試合後に女子選手らの質問にも答え(約40分)親交を深めた。MLB公式サイトも「イチローが高校生相手に17奪三振/Ichiro strikes out 17 -- vs. high schoolers」の見出しで記事を掲載した。
■2022年8月27日マリナーズ球団殿堂入りセレモニーが本拠球場T-モバイル・パークで試合前(ガーディアンズ戦)に行われた。セレモニーで「What's up, Seattle?/シアトルの皆んな、調子どう?」と呼びかけ「今夜、この場に立てて光栄です。マリナーズに来て私の人生は変わりました。引退しても野球とマリナーズは決して心から離れませんでした。自分にとって野球は永遠の魂、これからもファンとマリナーズのために全力を尽し続けます」とファンや関係者とのエピソードを交えて感謝のスピーチをした。マリナーズ球団史上に語り継がれる人達、Alvin Davis(アルビン・デービス/内野手/'97)、Dave Niehaus(デイブ・ニーハウス/実況アナウンサー/'00)、Jay Buhner(ジェイ・ビューナー/外野手/'04)Edgar Martinez(エドガー・マルティネス/指名打者/'07)、Randy Johnson(ランディー・ジョンソン/投手/'12)、Dan Wilson(ダン・ウイルソン/内野手/'12)、Ken Griffey Jr(ケン・グリフィーJr/外野手/'13)、Lou Piniella(ルー・ピネラ/監督/'14)、Jamie Moyer(ジェイミー・モイヤー/捕手/'15)に続く10人目の栄誉。
■2023年MLB機構はコミッショナーによる「アンバサダー・プログラム」を新設、イチローを含む12人がメンバーに就任した(8.22)。野球界の発展を目的として、MLBの試合、国際的なイベント、コミュニティー活動、野球とソフトボールの発展プログラムに携わる。Rob Manfred(ロブ・マンフレット)MLBコミッシュナーは「将来的なメジャーリーグの成長に繋がるだろう」とコメントした。

「イチローMLBキャリア通算成績」
MLBキャリア年数19('01〜'19)<打撃>試合2,653、打席10,734、打数9,934、得点1,420、安打3,089、単打2,514(内野安打713)、二塁打362、三塁打96、本塁打117、打点780、盗塁509、盗塁刺117、犠打50、犠飛48、四球647(敬遠181)、死球55、三振1,080、併殺打92、打率0.311、塁打3,994、出塁率0.355、長打率0.402、OPS0.757、累計WAR60.0('01/WAR7.7、'04/WAR9.2)。<守備>試合2,366、守備回数20,040イニング1/3、守備機会5,183、刺殺5,022、捕殺123(ライト守備100、センター守備16、レフト守備7)、併殺28、失策38、守備率0.993。
「NPBデビュー」 1992年7月11日@ダイエー戦(平和台野球場)。
「NPBデータ」 1992年NPB初安打(7.12ダイエー戦)。 1993年NPB初本塁打(6.12近鉄戦)。 1992年NPB初打点(8.14日本ハム戦)。 1992年NPB初盗塁(7.26ダイエー戦)。

鈴木一朗(イチロー登録'94〜)のプロ初打席は1992年7月11日@ダイエー戦(平和台野球場)の2回裏から村上信一(6番・レフト)に代わって守備に付き、打席も回って来た。そのプロ初打席はダイエー先発投手の本原正治にセカンドゴロに討ち取られた。そして、イチロー(Ichiro Suzuki)のプロキャリア最終打席は2019年3月21日@アスレチックス戦(東京ドーム)に先発出場(9番・ライト)、8回表の4打席目にアスレチックス4番手投手のLou Trivino(ルー・トリビノ)にショートゴロ、懸命に1塁を駆け抜けるもアウトだった。日米プロ通算14,832打席(NPB4,098打席+MLB10,734打席)はプロ28年間の積重ねで、幾多の記録や伝説を残した。

「日本プロ野球名球会」 1992年7月12日NPB初安打(ダイエー戦)を起点に2004年5月21日NPB-MLB通算2,000安打達成(タイガース戦)で資格クリア、2004年入会。
「野球日本代表」 2006年WBC出場、優勝。 2009年WBC出場、優勝。 2006年、2009年WBC日本代表チームに紫綬褒章
「日本プロスポーツ大賞」 1994年、1995年、2001年大賞受賞。



 


新庄 剛志 


新庄 剛志
(しんじょう つよし)

元 ニューヨーク・メッツ。

1972年1月28日生まれ、福岡県出身。

身長181cm、体重76kg。
右投げ、右打ち。

 
『NPB履歴』
西日本短大付属高。 (1989年ドラフト5巡目) 1991年〜2000年阪神・タイガース、 2004年〜2006年北海道日本ハム・ファイターズ。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2001年ニューヨーク・メッツ、 2002年サンフランシスコ・ジャイアンツ、 2003年ニューヨーク・メッツ。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2004年NPB通算1,000安打達成(5.30西武戦)。 2006年NPB通算200本塁打達成(6.16広島戦)。

「MLBデビュー」
2001年4月3日@ブレーブス戦(ターナー・フィールド)“途中出場(代走@LF〜1番・レフト)”。

「MLBデータ」
2001年MLB初安打(4.3ブレーブス戦)。 2001年MLB初打点(4.5ブレーブス戦)。 2001年MLB初サヨナラ安打(5.20ドジャース戦)。 2001年MLB初本塁打(4.9ブレーブス戦)。 2002年MLB初満塁本塁打(5.17マーリンズ戦)。 2001年MLB初盗塁(5.4ダイヤモンドバックス戦)。 2001年MLB初外野手補殺(4.27カージナルス戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2005年NPB-MLB通算1,500試合出場達成(4.23オリックス戦)。 2001年NPB-MLB通算1,000安打達成(6.6フィリーズ戦)。 2004年NPB通算1,000安打達成(5.30西武戦)。 2006年NPB-MLB通算1,500安打達成(8.22楽天戦)。 2001年NPB-MLB通算150本塁打達成(6.7フィリーズ戦)。 2004年NPB通算150本塁打達成(4.21西武戦)。 2005年NPB-MLB通算200本塁打達成(6.5中日戦)。 2006年NPB通算200本塁打達成(6.16広島戦)。 2003年NPB-MLB通算100外野手補殺達成(5.8ドジャース戦)。


[新庄 剛志、通算成績]

年 度 所 属 試 合 打 数 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 打 率
1991 阪神    13    17     2   0   1  0 0.118
1992 阪神    95   353    98  11  46  5 0.278
1993 阪神   102   408   105  23  62 13 0.257
1994 阪神   122   466   117  17  68  7 0.251
1995 阪神    87   311    70   7  37  6 0.225
1996 阪神   113   408    97  19  66  2 0.238
1997 阪神   136   482   112  20  68  8 0.232
1998 阪神   132   414    92   6  27  1 0.222
1999 阪神   123   471   120  14  58  8 0.255
2000 阪神   131   511   142  28  85 15 0.278
2004 日本ハム   123   504   150  24  79  1 0.298
2005 日本ハム   108   380    91  20  57  5 0.239
2006 日本ハム   126   438   113  16  62  2 0.258
NPB通算 1,411 5,163 1,309 205 716 73 0.254
2001 メッツ   123   400   107  10  56  4 0.268
2002 ジャイアンツ   118   362    86   9  37  5 0.238
2003 メッツ    62   114    22   1   7  0 0.193
MLB通算   303   876   215  20 100  9 0.245
日米プロ通算 1,714 6,039 1,524 225 816 82 0.252

<通算外野手補殺 NPB-92、MLB-27>




MLBワールドシリーズ
初出場、初安打、初得点
('02.10.19 エンゼルス戦)
   
■1996年ハワイ・ウインター・ベースボールに阪神から派遣選手として参加、チームはヒロ・スターズ。
■1999年6月12日NPB巨人戦の延長12回裏1死1、3塁で槙原寛己の敬遠球2球目を打ち返し、打球が三遊間を抜くサヨナラ安打となる。
■2000年9月20日NPBダイエー戦でサヨナラ満塁本塁打がサヨナラ安打になる。9回裏2死満塁で投手の三瀬幸司から左翼席に本塁打も2塁付近で1塁走者の田中幸雄と抱き合い1回転(前走者を追い越し)アウト宣告、記録上安打となる。なお、アウト宣告前に走者が本塁に生還していて得点は認められサヨナラ安打となる。
■2000年シーズンオフにFA権を行使、阪神から好条件の提示を蹴って12月メッツと1年契約の総額50万ドル(年俸20万ドル)でメジャーリーグ契約。
■2001年6月17日ヤンキース戦に2番・センターで出場、「カミカゼ・スプリント/DL覚悟の全力疾走」でニューヨークの野球ファンの度肝を抜き、伝統あるサブウエイ・シリーズの語り草となる。8回裏(スコア2対7)の反撃に1死1,3塁(スコア7対5)で打席が回り、2塁ゴロ(遊撃手カバーで2塁封殺)、左太腿を痛めていたにも関わらず、DL覚悟の全力疾走にスライディングでダブルプレーを崩し、3塁走者を帰した。代走に託し、次打者Mike Piazza(マイク・ピアザ)の2点本塁打で逆転勝利した(スコア7対8)。案の定、肉離れを起こしDL入り。
■2001年8月3日ダイヤモンドバックス戦にMLBキャリア初の4番・ライトで先発出場。
■2001年MLB全30球団の監督投票による新人ベストナイン。新人両リーグ1位の外野手補殺12(CF-3、LF-8、RF-1)を記録、イチローの外野手補殺8(RF-8)を上回る。
■2002年5月11日エキスポズ戦で1点リード(スコア3対2)の8回裏1死1塁でFernand Tatis(フェルナンド・タティス)の右翼フェンス直撃の打球(クッションボール)処理に右翼手Marvin Benard(マービン・ベナード)が手間取り、中堅守備から駆け付けて本塁まで約90Mを強肩、正確なワンバウンド送球で走者Troy O'Leary(トロイ・オレアリー)を補殺。このスーパープレイ“ロケット・アーム”に相手エキスポズのFrank Robinson(フランク・ロビンソン)監督も絶賛、一部の観客が興奮してグラウンドに乱入する騒ぎになる。
■2002年MLBワールドシリーズに初出場、ワールドシリーズ初安打、初得点(10.19エンゼルス戦)を記録。
■2003年5月23日ブレーブス戦でサヨナラ外野手補殺を記録。1点リード(スコア6対5)の8回裏から守備で途中出場、9回裏2死1、2塁でJulio Franco(フリオ・フランコ)の中堅前打を処理、ワンバウンドで本塁にドンピシャ送球、2塁走者のChipper Jones(チッパー・ジョンズ)を補殺、ゲームセットとした。
■2004年〜2006年NPBパ・リーグでゴールデングラブ賞を受賞、1993年、1994年、1996年〜2000年セ・リーグでもゴールデングラブ賞を受賞、外野手として両リーグ受賞は名手の証明。
■2006年4月18日NPBオリックス戦でのインタビューに今季限りの引退を突然表明。その後は日を追うごとにファンサービスのパフォーマンス“新庄劇場”が熱気を増す。10月27日ソフトバンク戦で日本ハム移籍時の目標「札幌ドームを満員にする!」「日本一になる!」を達成できたと引退セレモニー、球団やファンの強い慰留も固辞、彼らしい美学を貫いた。
■2019年自身のインスタグラムで現役復帰計画を発表(11.12)、2020年の12球団合同トライアウトに挑戦を宣言した。日本ハムは任意引退選手から他球団とも復帰交渉が可能な自由契約選手に切り替えた(11.26)。
■2020年NPB復帰を目指し48才で12球団合同トライアウトに挑戦(12.7)、結果はオファーを出す球団は現れずNPB復帰を断念(12.13)。
■2021年シーズンオフ、日本ハム1軍監督の就任を発表(10.29)。勇退する栗山英樹監督の後任として秋季沖縄キャンプから指揮を執る。就任の記者会見に臨み(11.4)、整形の過去を自虐ネタに「顔を変えずにチームを変えたい」、決意を本心とは真逆のジョークで「優勝なんて一切目指しません」などの“新庄節”に会場が沸いた。
■2022年ニッポンハム・グループはコーポレートアンバサダーとしてCEO(Chief Entertaimennt Officer)の就任を要請、受諾したと発表(3.7)。いわゆる宣伝部長の役割も担うことになる。また、登録名を「BIG BOSS」にすることもNPBから認められた(3.24)。2023年から登録名を「SHINJO」に戻した。監督就任1、2年目はチーム成績がパ・リーグ最下位(Bクラス)に沈むも、1年ピッチで節目の3年目('24)はチーム成績をパ・リーグ2位(Aクラス)に押し上げ、CS(クラウマックス・シリーズ)に進出した。
■2024年シーズンオフ、日本ハム1軍監督の続投受諾を発表(10.24)。
「NPBデビュー」 1991年9月10日@巨人戦(東京ドーム)。
「NPBデータ」 1991年NPB初安打(9.10巨人戦)。 1992年NPB初本塁打(5.26大洋戦)。 1991年NPB初打点(9.10巨人戦)。 1992年NPB初盗塁(7.9大洋戦)。



 


野村 貴仁


野村 貴仁
(のむら たかひと)

元 ミルウォーキー・ブルワーズ。

1969年1月10日生まれ、高知県出身。

身長169cm、体重73kg。
左打ち、左投げ。

『NPB履歴』
高岡高宇佐分校、 三菱重工・三原。 (1990年ドラフト3巡目) 1992年〜1997年オリックス・ブルーウェーブ、 1998年〜2001年読売・ジャイアンツ、 2003年日本ハム・ファイターズ。
『MLB履歴』
(自由契約選手) 2002年ミルウォーキー・ブルワーズ。

「MLBデビュー」
2002年4月3日@アストロズ戦(ミニッツ・メイド・パーク)“救援登板(完了)”。

「MLBデータ」
2002年MLB初ホールド(4.10カージナルス戦)。 2002年MLB初奪三振(4.3アストロズ戦)。


[野村 貴仁、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1992 オリックス  27  1− 2  5  46.1/3  13  35  2.53
1993 オリックス  36  3− 3  8  70.2/3  12  83  1.53
1994 オリックス  29  3− 4  6  47.2/3  23  58  4.34
1995 オリックス  37  3− 1  2  36.2/3   4  43  0.98
1996 オリックス  54  4− 1  5  69.1/3  22  84  2.86
1997 オリックス  52  4− 5  8  65.0/0  26  76  3.60
1998 読売  24  1− 4  4  19.2/3  11  23  5.03
1999 読売  15  2− 0  0  13.2/3   2  16  1.32
2000 読売  24  1− 1  1  20.0/0  15  21  6.75
2001 読売  40  2− 1  0  37.0/0  19  34  4.62
2003 日本ハム   6  0− 0  0   5.1/3   7   3 11.81
NPB通算 344 24−22 39 431.1/3 154 476  3.21
2002 ブルワーズ  21  0− 0  0  13.2/3  13   9  8.56
MLB通算  21  0− 0  0  13.2/3  13   9  8.56
日米プロ通算 365 24−22 39 445.0/0 167 485  3.38

<通算ホールド NPB-0、MLB-2>



■1993年8月8日ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)で7回裏に1イニング4奪三振を記録、NPB史上2人目、パ・リーグ初の快挙。
■1995年シーズンオフ、オリックスとの契約更改(年俸)交渉で本人は年俸6,500万円を希望、対して球団側は年俸3,900万円を回答した。双方とも折り合わず、パ・リーグ初の参稼報酬調停(年俸調停)を申請('96.2.5)、調停委員会は球団側の主張を認め、年俸3,900万円の裁定を下し決着した('96.3.1)。
■1997年シーズンオフに木田優夫とのトレードで巨人に移籍、貴重な中継ぎとしてプレイ。
■2000年、2001年、選手登録名を野村空生(ノムラ・タカキ)に変更した。
■2001年シーズンオフに巨人の構想外となり自由契約選手、2002年1月ブルワーズのトライアウトを受け1年契約の年俸43万ドルでメジャーリーグ契約、4月3日MLBデビューを果たすも5月21日マーナーリーグ降格。
■2004年は台湾プロ野球、誠泰・コブラズでプレイ、その後引退して高知に戻るも、2006年10月31日に覚醒剤取締法違反で逮捕され、有罪判決を受ける不祥事を起こした。
■2016年に清原和博(オリックス)が覚醒剤取締法違反で逮捕(2.2)されたことに関して、日本TV系「情報ライブ・ミヤネ屋」の取材を受け、巨人所属時('98〜)に同チームの彼に覚醒剤を渡していたと明かした(2.9)。
「NPBデビュー」 1992年4月21日西武戦(グリーンスタジアム神戸)。
「NPBデータ」 1992年NPB初勝利(9.24近鉄戦)。 1992年NPB初セーブ(8.26ロッテ戦)。 1992年NPB初奪三振(4.21西武戦)。



 


小宮山 悟


小宮山 悟
(こみやま さとる)

元 ニューヨーク・メッツ。

1965年9月15日生まれ、千葉県出身。

身長188cm、体重88kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
芝浦工業大柏高、 早稲田大。 (1989年ドラフト1巡目) 1990年〜1999年ロッテ・オリオンズ(’92〜千葉ロッテ・マリーンズ)、 2000年〜2001年横浜・ベイスターズ、 2004年〜2009年千葉ロッテ・マリーンズ。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2002年ニューヨーク・メッツ。

『NPBタイトル、表彰、記録』
1997年パ・リーグ最優秀防御率。 2001年NPB通算100勝利達成(7.8巨人戦)。 2007年NPB通算1,500奪三振達成(8.29西武戦)。

「MLBデビュー」
2002年4月4日パイレーツ戦(シェイ・スタジアム)“救援登板(完了)”。

「MLBデータ」
2002年MLB初奪三振(4.4パイレーツ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2001年NPB通算100勝利達成(7.8巨人戦)。 1995年NPB通算1,000投球回達成(9.4オリックス戦)。 1998年NPB通算1,500投球回達成(7.15ダイエー戦)。 2001年NPB通算2,000投球回達成(9.15阪神戦)。 1998年NPB通算1,000奪三振達成(4.4近鉄戦)。 2005年NPB-MLB通算1,500奪三振達成(9.18西武戦)。 2007年NPB通算1,500奪三振達成(8.29西武戦)。


[小宮山 悟、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1990 ロッテ  30   6− 10   170.2/3  62   126 3.27
1991 ロッテ  29  10− 16   212.0/0  93   130 3.95
1992 ロッテ  29   8− 15   172.2/3  76   124 3.96
1993 ロッテ  27  12− 14   204.1/3  78   160 3.44
1994 ロッテ  14   3−  9    85.0/0  40    67 4.24
1995 ロッテ  25  11−  4   187.0/0  54   169 2.60
1996 ロッテ  25   8− 13   154.2/3  78    90 4.54
1997 ロッテ  27  11−  9   187.2/3  52   130 2.49
1998 ロッテ  27  11− 12   201.2/3  80   126 3.57
1999 ロッテ  21   7− 10   141.2/3  64    96 4.07
2000 横浜  26   8− 11   161.1/3  71   108 3.96
2001 横浜  24  12−  9   148.2/3  50    74 3.03
2004 ロッテ  18   3−  4    81.0/0  47    47 5.22
2005 ロッテ  23   0−  0    40.1/3  17    22 3.79
2006 ロッテ  24   0−  2    35.0/0  18    15 4.63
2007 ロッテ  41   3−  1    56.1/3  25    24 3.99
2008 ロッテ  33   3−  2    39.1/3  25    18 5.72
2009 ロッテ  12   1−  0    13.2/3  15     9.88
NPB通算 455 117−141 2,293.0/0 945 1,533 3.71
2002 メッツ  25   0−  3    43.1/3  27    33 5.61
MLB通算  25   0−  3    43.1/3  27    33 5.61
日米プロ通算 480 117−144 2,336.1/3 972 1,566 3.74

<通算ホールド NPB-7、MLB-0>


■2001年シーズンオフにFA権を行使、12月メッツと1年契約(1年延長オプション付)の年俸50万ドルでメジャーリーグ契約、2002年シーズンオフにメッツはオプション契約を行使せず自由契約選手、2003年は野球解説者、2004年古巣ロッテ(NPB)で現役復帰。
■2009年10月6日NPB楽天戦に9回2死2塁で引退登板、Fernando Seguignol(フェルナンド・セギノール)を1球で右飛に打ち取り、セーブを44才22日で記録。
■2019年母校の早稲田大学野球部監督に就任(1.1)。
「NPBデビュー」 1990年4月12日@日本ハム戦(東京ドーム)。
「NPBデータ」 1990年NPB初勝利(5.2近鉄戦)。 1990年NPB初セーブ(4.24ダイエー戦)。 1990年NPB初奪三振(4.12日本ハム戦)。



 


『KAZ』 石井 一久


石井 一久
(いしい かずひさ)

元 ニューヨーク・メッツ。

1973年9月9日生まれ、千葉県出身。

身長183cm、体重85kg。
左投げ、左打ち。

『NPB履歴』
東京学館浦安高。 (1991年ドラフト1巡目) 1992年〜2001年ヤクルト・スワローズ、 2006年〜2007年東京ヤクルト・スワローズ、 2008年〜2013年埼玉西武・ライオンズ。
『MLB履歴』
(ポスティング制度) 2002年〜2004年ロサンゼルス・ドジャース、 2005年ニューヨーク・メッツ。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2000年セ・リーグ最優秀防御率。 1995年セ・リーグ最優秀勝率。 1998年、2000年セ・リーグ最多奪三振。 1997年“ノーヒットノーラン試合”達成(9.2横浜戦)。 2008年NPB通算100勝利達成(3.29ソフトバンク戦)。 2011年NPB通算2,000奪三振1,967イニング2/3目達成(8.7ソフトバンク戦)。

「MLBデビュー」
2002年4月6日ロッキーズ戦(ドジャー・スタジアム)“先発登板”。

「MLBデータ」
2000年MLB初勝利(4.6ロッキーズ戦)“先発登板”。 2002年MLB初奪三振(4.6ロッキーズ戦)。 2004年MLB初完投、初完封(4.25ジャイアンツ戦)。

「MLB通算記録」
2005年MLB通算100試合先発登板達成(7.21パドレス戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2012年NPB-MLB通算500試合登板達成(5.19中日戦)。 2003年NPB-MLB通算100勝利達成(7.9カージナルス戦)。 2008年NPB通算100勝利達成(3.29ソフトバンク戦)。 2009年NPB-MLB通算150勝利達成(5.13オリックス戦)。 2000年NPB通算1,000投球回達成(9.28巨人戦)。 2004年NPB-MLB通算1,500投球回達成(4.20ロッキーズ戦)。 2007年NPB通算1,500投球回達成(9.5広島戦)。 2007年NPB-MLB通算2,000投球回達成(6.11楽天戦)。 2011年NPB通算2,000投球回達成(9.13ソフトバンク戦)。 2011年NPB-MLB通算2,500投球回達成(6.26楽天戦)。 2000年NPB通算1,000奪三振達成(7.5巨人戦)。 2003年NPB-MLB通算1,500奪三振達成(6.18ジャイアンツ戦)。 2007年NPB通算1,500奪三振達成(5.17中日戦)。 2007年NPB-MLB通算2,000奪三振達成(7.31阪神戦)。 2011年NPB通算2,000奪三振達成(8.7ソフトバンク戦)。 2012年NPB-MLB通算2,500奪三振達成(5.25ヤクルト戦)。


[石井 一久、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1992 ヤクルト  12   0−  0    28.0/0   13    22 4.18
1993 ヤクルト  19   3−  1    59.1/3   31    66 4.70
1994 ヤクルト  54   7−  5   108.0/0   49    98 4.08
1995 ヤクルト  26  13−  4   153.0/0   47   159 2.76
1996 ヤクルト   8   1−  5    31.0/0   18    26 5.23
1997 ヤクルト  18  10−  4   117.2/3   25   120 1.91
1998 ヤクルト  28  14−  6   196.1/3   72   241 3.30
1999 ヤクルト  23   8−  6   133.0/0   71   162 4.80
2000 ヤクルト  29  10−  9   183.0/0   53   210 2.61
2001 ヤクルト  27  12−  6   175.0/0   66   173 3.39
2006 ヤクルト  28  11−  7   177.2/3   68   170 3.44
2007 ヤクルト  28   9− 10   166.2/3   77   163 4.16
2008 西武  25  11− 10   135.1/3   65   108 4.32
2009 西武  22   9−  9   130.1/3   62   131 4.29
2010 西武  18   9−  6   104.2/3   43    93 3.70
2011 西武  23   6−  9   117.0/0   56    94 4.31
2012 西武  24  10−  5   132.1/3   49   74 3.33
2013 西武   7   0−  1     5.1/3    4    5 6.75
NPB通算 419 143−103 2,153.1/3  869 2,115 3.63
2002 ドジャース  28  14− 10   154.0/0   73   143 4.27
2003 ドジャース  27   9−  7   147.0/0   63   140 3.86
2004 ドジャース  31  13−  8   172.0/0   90    99 4.71
2005 メッツ  19   3−  9    91.0/0   52    53 5.14
MLB通算 105  39− 34   564.0/0  278   435 4.44
日米プロ通算 524 182−137 2,717.1/3 1,147 2,550 3.80

<通算ホールド NPB-4、MLB-0>


 

NPBセ・リーグで
“ノーヒットノーラン試合”達成
('97.9.2 横浜戦)
   

NPB-MLB(日米プロ)
通算150勝利達成
('09.5.13 オリックス戦)
■1997年9月2日“ノーヒットノーラン試合”達成は横浜戦(横浜スタジアム)でNPBセ・リーグ史上30回目の快挙、バッテリーは古田敦也。
■2002年1月ポスティング制度ではドジャースが1,126万4,055ドルで落札、2月ドジャースと4年契約(2年延長オプション付)の総額1,220万ドル+出来高(45万ドル)でメジャーリーグ契約。
■2002年MLBナ・リーグ月間(4月)最優秀新人。
■2002年9月8日アストロズ戦の4回表、打者Brian Hunter(ブライアン・ハンター)の打球を頭部に受け、頭蓋骨亀裂骨折の大怪我、救急車が直接マウンドに乗り入れ病院に搬送される。打球を受けた場所がボール1個分ずれていたら生命の危険もというアクシデント。翌シーズン4月3日パドレス戦で打球恐怖症を心理面でもクリア、無事復帰を果たす。
■2002年シーズン与四死球106でチームメイトの野茂英雄101、MLB全体でシーズン与四死球1位、2位を占めて“らしさ”が出た。
■2004年8月24日初の日本人のみの“継投、完投”をエキスポズ戦で記録。まず先発の石井一久が投球回数7イニング1/3、被安打7、被本塁打0、失点2(自責点2)、与四球1、奪三振6、打者29、投球数121(ストライク75)で勝利投手、救援の木田優夫が投球回数1イニング2/3、被安打1、失点0、与四球0、奪三振1、打者6、投球数23(ストライク15)でセーブは付かず(スコア10対2)。
■2007年5月17日NPB通算1,500奪三振達成(中日戦)1,413イニング目は江夏豊(西武)1,423イニング目、川口和久(巨人)1,679イニング2/3目、西口文也(西武)1,729イニング目を上回るNPB最速での達成、NPB初奪三振は1992年6月9日大洋戦。
■2010年5月19日NPBヤクルト戦でNPB全12球団から勝利投手となる快挙は史上9人目。
■2011年8月7日NPB通算2,000奪三振達成(ソフトバンク戦)1,967イニング2/3目は江夏豊(西武)2,072イニング目、川口和久(巨人)2,299イニング目、工藤公康(西武)2,373イニング目を上回る最速での達成、NPB通算2,000奪三振以上で奪三振数が投球回数を上回るのは唯一人。なお、杉内俊哉(巨人)が1,930イニング2/3目で達成('14.7.12阪神戦)、記録は更新された。
■2012年6月13日NPB阪神戦でNPB-MLB(日米プロ)を通して初の無四球完封勝利を記録。キャリア17年、506試合目で初記録は投球回数9イニング0/0、被安打2、失点0、与四球0、奪三振5、打者29、投球数108と堂々の内容で“らしさ”を返上(スコア2対0)。
■2013年9月24日シーズン終了後に引退すると表明。記者を前に「(野球で)向上心を持った多くの選手と知り合えたことが宝物です」「(野球の)現役に未練はない、取り戻せるものでもない。グチャグチャ考えるよりも忘れた方が良い」と清々しい表情の会見となる。引退後には吉本興業に就職(高卒一般社員)が内定していて「スポーツ推薦枠です」と架空の採用制度を披露するなど“天然キャラ”も健在。新たな人生スタートにも「社会人のスタートは18年ぐらい遅れているので、しっかり学びたい」「野球選手として甘やかされてきたので、自分を叱ってくれる人もいた方が良い」と前を見据えた言葉がでた。
■2018年NPB楽天の編成部門を統括するGMに就任(9.1)。
■2020年シーズンオフ、楽天の取締役GMと1軍監督を兼任する人事を発表(11.12)。
■2023年レギュラー・シーズン終了で楽天の1軍監督を退任(任期満了)、来シーズンは球団(楽天野球団)の取締役シニアディレクターに就任すると発表(10.12)。
「NPBデビュー」 1992年6月9日@大洋戦(横浜スタジアム)。
「NPBデータ」 1993年NPB初勝利(8.3阪神戦)。 1995年NPB初セーブ(7.6広島戦)。 1992年NPB初奪三振(6.9大洋戦)。



 


『SO』 田口 壮


田口 壮
(たぐち そう)

元 シカゴ・カブス。

1969年7月2日生まれ、兵庫県出身。

身長177cm、体重74kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
西宮北高、 関西学院大。 (1991年ドラフト1巡目) 1992年〜2001年オリックス・ブルーウェーブ、 2010年〜2011年オリックス・バファローズ。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2002年〜2007年セントルイス・カージナルス、 2008年フィラデルフィア・フィリーズ、 2009年シカゴ・カブス。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2000年NPB通算1,000安打達成(10.6西武戦)。

「MLBデビュー」
2002年6月10日@マリナーズ戦(セーフコ・フィールド)“先発出場(9番・センター)”。

「MLBデータ」
2002年MLB初安打(9.7カブス戦)。 2002年MLB初打点(9.17ロッキーズ戦)。 2003年MLB初本塁打(9.12アストロズ戦)。 2004年MLB初盗塁(4.17ロッキーズ戦)。 2002年MLB初外野手補殺(6.10マリナーズ戦)。

「MLB通算記録}
2007年MLB通算500試合出場達成(6.17アスレチックス戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2006年NPB-MLB通算1,500試合出場達成(7.14ドジャース戦)。 2000年NPB通算1,000安打達成(10.6西武戦)。 2008年NPB-MLB通算1,500安打達成(4.22ロッキーズ戦)。


[田口 壮、通算成績]

年 度 所 属 試 合 打 数 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 打 率
1992 オリックス    47   123    33  1   7   5 0.268
1993 オリックス    31    83    23  0   5   3 0.277
1994 オリックス   108   329   101  6  43  10 0.307
1995 オリックス   130   495   122  9  61  14 0.246
1996 オリックス   128   509   142  7  44  10 0.279
1997 オリックス   135   572   168 10  56   7 0.294
1998 オリックス   132   497   135  9  41   8 0.272
1999 オリックス   133   524   141  9  56  11 0.269
2000 オリックス   129   509   142  8  49   9 0.279
2001 オリックス   134   453   127  8  42   6 0.280
2010 オリックス    53   119    31  3  10   1 0.261
2011 オリックス    62   198    54  0  15   3 0.273
NPB通算 1,222 4,411 1,219 70 429  87 0.276
2002 カージナルス    19    15     6  0   2   1 0.400
2003 カージナルス    43    54    14  3  13   0 0.259
2004 カージナルス   109   179    52  3  25   6 0.291
2005 カージナルス   143   396   114  8  53  11 0.288
2006 カージナルス   134   316    84  2  31  11 0.266
2007 カージナルス   130   307    89  3  30   7 0.290
2008 フィリーズ    88    91    20  0   9   3 0.220
2009 カブス     6    11     3  0   0   0 0.273
MLB通算   672 1,369   382 19 163  39 0.279
日米プロ通算 1,894 5,780 1,601 89 592 126 0.277

<通算外野手補殺 NPB-75、MLB-17>


■1993年ハワイ・ウインター・ベースボールにオリックスから派遣選手として参加、チームはヒロ・スターズ。
■2001年シーズンオフにFA権を行使、2002年1月カージナルスと3年契約の総額300万ドルでメジャーリーグ契約、オープン戦で出遅れてマイナーリーグのメンフィス(STL-AAA)に降格、6月10日カージナルスに昇格しMLBデビュー。
■2003年9月12日アストロズ戦でセカンドの内野守備を経験。
■2004年、2006年、2008年MLBワールドシリーズに出場。2006年ワールドシリーズ制覇して優勝記念のチャンピオンズ・リング授与、2008年ワールドシリーズ出場選手登録25人枠でベンチ入り(出場機会なし)、チームがワールドシリーズ制覇して2度目(カージナルス所属時、フィリーズ所属時)の美酒。なお、1996年NPBオリックス所属時に日本シリーズを制覇、NPB-MLB(日米プロ)双方で感動を味わう。
■2005年5月25日オリオールズ戦で外野3ポジション(ライト〜レフト〜センター)の守備を1試合で経験。
■2005年8月23日パイレーツ戦にMLBキャリア初の4番・レフトで先発出場。
■2005年MLBナ・リーグ得点圏打率トップの0.407(OPS-0.936)を記録。MLB'02〜'09キャリア得点圏打率0.331(OPS-0.835)を記録。2007年MLBナ・リーグ代打打率トップの0.406(32打数、12安打)を記録。MLB'02〜'09キャリア満塁時の打率0.512(41打数、21安打)を記録など、適時打の多い打者(クラッチヒッター/Clutch hitter)としてファンを魅了。カージナルスのTony LaRussa(トニー・ラルーサ)監督がワールドシリーズ優勝パレード前のスピーチで一番に名前を挙げるなど、試合の重要な局面で結果の出せる切り札に「私は壮の虜だ」(I am the So-Man)と絶大な信頼を寄せた。
■2009年カブス傘下チーム、アイオワ(CHC-AAA)でのマイナーリーグ公式戦も終了、諦めかけた9月15日の夜に「A suprising call/サプライズ昇格」でカブスに40才2ヶ月で昇格。
■2015年オリックスの2軍監督に就任(10.1)、秋季キャンプから指揮を執る。2019年オリックス1軍総合兼打撃コーチ。2021年オリックス1軍外野守備・走塁コーチ。
■2024年シーズン限りでオリックスを退団(10.7)。
「NPBデビュー」 1992年4月4日@ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)。
「NPBデータ」 1992年NPB初安打(4.11近鉄戦)。 1992年NPB初本塁打(9.23近鉄戦)。 1992年NPB初打点(9.8ダイエー戦)。 1992年NPB初盗塁(5.1日本ハム戦)。

「野球日本代表」 2000年シドニー・オリンピック出場、4位。



 


『GODZILLA』 松井 秀喜


松井 秀喜
(まつい ひでき)

元 タンパベイ・レイズ。

1974年6月12日生まれ、石川県出身。

身長186cm、体重95kg。
右投げ、左打ち。

 

『NPB履歴』
星稜高。 (1992年ドラフト1巡目) 1993年〜2002年読売・ジャイアンツ。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2003年〜2009年ニューヨーク・ヤンキース、 2010年ロサンゼルス・エンゼルス、 2011年オークランド・アスレチックス、 2012年タンパベイ・レイズ。 (2013年ニューヨーク・ヤンキース )

『NPBタイトル、表彰、記録』
2001年セ・リーグ首位打者。 1998年、2000年、2002年セ・リーグ本塁打王。 1998年、2000年、2002年セ・リーグ打点王。 1996年、2000年、2002年セ・リーグMVP。 2000年日本シリーズMVP。 2000年正力松太郎賞。 2013年国民栄誉賞。 2018年野球殿堂博物館・競技者表彰(野球殿堂入り)。 2002年NPBシーズン50本塁打達成(10.10ヤクルト戦)。 2002年NPB通算300本塁打達成(7.9広島戦)。
『MLBタイトル、表彰、記録』
2009年ワールドシリーズMVP。 2007年7月ア・リーグ月間MVP。 2003年、2004年オールスターゲーム出場。 2006年MLBデビューから連続518試合出場記録(5.10レッドソックス戦)。 2010年MLB通算1,000安打達成(4.26インディアンス戦)。 2010年MLB通算150本塁打達成(6.26ロッキーズ戦)。 2008年MLB通算500打点達成(8.23オリオールズ戦)。 2005年MLB新人から3年連続100打点達成(9.3アスレチックス戦)。

「MLBデビュー」
2003年3月31日@ブルージェイズ戦(スカイドーム)“先発出場(5番・レフト)”。

「MLBデータ」
2003年MLB初安打(3.31ブルージェイズ戦)“適時打”。 2003年MLB初打点(3.31ブルージェイズ戦)。 2003年MLB初本塁打(4.8ツインズ戦)“満塁本塁打”。 2003年MLB初満塁本塁打(4.8ツインズ戦)。 2003年MLB初盗塁(8.15オリオールズ戦)。 2003年MLB初外野手補殺(4.5デビルレイズ戦)。

「MLB通算記録」
2012年MLB10年在籍資格取得(5.29ホワイトソックス戦)。 2006年MLB通算500試合出場達成(4.18ブルージェイズ戦)。 2010年MLB通算1,000試合出場達成(7.10アスレチックス戦)。 2005年MLB通算500安打達成(8.25ブルージェイズ戦)。 2010年MLB通算1,000安打達成(4.26インディアンス戦)。 2005年MLB通算50本塁打達成(4.8オリオールズ戦)。 2007年MLB通算100本塁打達成(8.5ロイヤルズ戦)。 2010年MLB通算150本塁打達成(6.26ロッキーズ戦)。 2008年MLB通算500打点達成(8.23オリオールズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2004年NPB-MLB通算1,500試合出場達成(6.23オリオールズ戦)。 2008年NPB-MLB通算2,000試合出場達成(5.30ツインズ戦)。 2012年NPB-MLB通算2,500試合出場達成(7.16インディアンス戦)。 2011年NPB-MLB通算1,500得点達成(5.1レンジャーズ戦)。 2000年NPB通算1,000安打達成(7.12広島戦)。 2003年NPB-MLB通算1,500安打達成(7.7レッドソックス戦)。 2007年NPB-MLB通算2,000安打達成(5.6マリナーズ戦)。 2011年NPB-MLB通算2,500安打達成(4.3マリナーズ戦)。 1998年NPB通算150本塁打達成(7.28ヤクルト戦)。 1999年NPB通算200本塁打達成(9.21阪神戦)。 2001年NPB通算250本塁打達成(4.12中日戦)。 2002年NPB通算300本塁打達成(7.9広島戦)。 2004年NPB-MLB通算350本塁打達成(4.23レッドソックス戦)。 2005年NPB-MLB通算400本塁打達成(9.7デビルレイズ戦)。 2009年NPB-MLB通算450本塁打達成(5.27レンジャーズ戦)。 2011年NPB-MLB通算500本塁打達成(7.20タイガース戦)。 2004年NPB-MLB通算1,000打点達成(4.18レッドソックス戦)。 2010年NPB-MLB通算1,500打点達成(5.8マリナーズ戦)。 2007年NPB-MLB通算100外野手補殺達成(6.20ロッキーズ戦)。


[松井 秀喜、通算成績]

年 度 所 属 試 合 打 数 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 打 率
1993 読売    57   184    41  11    27  1 0.223
1994 読売   130   503   148  20    66  6 0.294
1995 読売   131   501   142  22    80  9 0.283
1996 読売   130   487   153  38    99  7 0.314
1997 読売   135   484   144  37   103  9 0.298
1998 読売   135   487   142  34   100  3 0.292
1999 読売   135   471   143  42    95  0 0.304
2000 読売   135   474   150  42   108  5 0.316
2001 読売   140   481   160  36   104  3 0.333
2002 読売   140   500   167  50   107  3 0.334
NPB通算 1,268 4,572 1,390 332   889 46 0.304
2003 ヤンキース   163   623   179  16   106  2 0.287
2004 ヤンキース   162   584   174  31   108  3 0.298
2005 ヤンキース   162   629   192  23   116  2 0.305
2006 ヤンキース    51   172    52   8    29  1 0.302
2007 ヤンキース   143   547   156  25   103  4 0.285
2008 ヤンキース    93   337    99   9    45  0 0.294
2009 ヤンキース   142   456   125  28    90  0 0.274
2010 エンゼルス   145   482   132  21    84  0 0.272
2011 アスレチックス   141   517   130  12    72  1 0.251
2012 レイズ    34    95    14   2     7  0 0.147
MLB通算 1,236 4,442 1,253 175   760 13 0.282
日米プロ通算 2,504 9,014 2,643 507 1,649 59 0.293

<通算外野手補殺 NPB-68、MLB-41>




MLBデビューから
連続500試合出場達成
('06.4.18 ブルージェイズ戦)



MLB通算1,000安打達成
('10.7.10 アスレチックス戦)




MLB通算150本塁打達成
('10.6.26 ロッキーズ戦)




MLB通算500打点達成
('08.8.23 オリオールズ戦)




MLB新人から
3年連続100打点達成
('05.9.3 アスレチックス戦)

 

“国民栄誉賞”を
長嶋茂雄と共に授与
('13.5.5 東京ドーム)



2009年MLBワールドシリーズでMVPに輝く大活躍
(左:先制本塁打 11.4 フィリーズ戦Gm6、右:ワールドシリーズ表彰式 11.4 ヤンキースタジアム)



NPB-MLB(日米プロ)
通算2,500安打達成
('11.4.3 マリナーズ戦)



NPB-MLB(日米プロ)
通算500本塁打達成
('11.7.20 タイガース戦)

 

NPB-MLB(日米プロ)
通算1,500打点達成
('10.5.8 マリナーズ戦)

■1992年第74回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に星陵高から出場(4番・サード)、2回戦で明徳義塾高と対戦(8.16)、この試合で5打席連続敬遠され試合にも敗れた(スコア2対3)。馬淵史郎(明徳義塾監督)の指示でバッテリー(河野和洋 - 青木貞敏)は全ての投球(投球数20)をバットの届かない外角に外し敬遠した。日本高等学校野球連盟(高野連)も緊急会議を開くなど、高校野球の在り方について論議を呼び社会問題化した。
■2000年NPB日本シリーズMVP。
■2002年7月18日NPB横浜戦の7回裏、先頭打者(4番・センター)で横浜の森中聖雄のストレートを打ち上げ、打球は設計上では届かない高さの天井ドームのウレタン製の天井とその内側にあるガラス繊維のパネルの隙間に入り消えた。東京ドームの特別ルールで内野の天井に当たったと審判、ボールデッドで2進が与えられ2塁打(外野の天井なら本塁打)、想定外の大飛球は東京ドーム伝説になる。
■2002年10月10日ヤクルト戦でシーズン50本塁打達成。本拠地最終戦の8回裏1死走者無しでヤクルト投手、五十嵐亮太から左翼席に打ち込んで記録した。NPB史上8人目の快挙。
■2002年シーズンオフにFA権を行使、12月ヤンキースと3年契約の総額2,100万ドル+出来高(150万ドル)でメジャーリーグ契約。
■2003年4月23日レンジャーズ戦にMLBキャリア初の4番・レフトで先発出場。
■2003年MLBア・リーグ月間(6月)最優秀新人。2003年全米野球記者協会選出のグッドガイ賞。
■2003年MLBワールドシリーズに出場、ワールドシリーズ初本塁打、初打点(10.19マーリンズ戦)を記録。
■2005年7月28日MLBデビューから連続425試合出場(ツインズ戦)は1953年デビューのErnie Banks(アーニー・バンクス/カブス)が記録した424試合以来のMLB記録更新でMLB史上52年ぶりの快挙。
■2005年シーズンオフ、ヤンキースと4年契約('06〜'09)の総額5,200万ドルで契約延長。
■2006年5月10日レッドソックス戦の1回表、Mark Loretta(マーク・ロレッタ)の浅いフライにスライディング・キャッチを試みた際、グラブを芝生に取られ、左手首橈骨骨折の大怪我。連続試合出場の記録は途絶えたが、NPB-MLB(日米プロ)通算での連続1,768試合(NPB1,250試合、MLB518試合)出場はCal Ripken(カル・リプケン/オリオールズ)の2,632試合、衣笠祥雄(広島)の2,215試合、Lou Gehrig(ルー・ゲーリック/ヤンキース)の2,130試合に続く鉄人記録。NPB連続試合出場('93.8.22横浜戦〜'02/10.11広島戦)の1,250試合は衣笠祥雄(広島)2,215試合、金本知憲(阪神)1,766試合に続く記録。なお、9月12日デビルレイズ戦で大怪我から見事復帰を果たす。
■2007年5月6日マリナーズ戦でNPB-MLB(日米プロ)通算2,000安打達成は1,822試合目。6回裏1死走者なしの第3打席、Jarrod Washburn(ジャロッド・ワッシュバーン)から左翼に打ち上げた飛球は日差しの影響でRaul Ibanez(ラウル・イバネス)のグラブ前に落下、左翼手エラーが記録されたが次回の守備中に安打(2塁打)に記録訂正された。
■2009年MLBワールドシリーズで制覇を決めた6戦目(11.4)、5番DHで先発出場、フィリーズのPedro Martinez(ペドロ・マリチネス)から先制2ランを放つなど4打数、3安打、6打点と大活躍(ワールドシリーズ6試合、13打数、8安打、8打点、3本塁打、打率0.615、OPS2.027)で堂々のMVPに輝く。なお、2000年NPB日本シリーズでMVPを受賞、両シリーズでの受賞は史上初の快挙。
■2009年11月ニューヨーク日本総領事館に諸外国との相互理解および友好親善の促進に顕著な貢献をしたとして「在外公館長表彰」を受ける。
■2010年5月8日NPB-MLB通算1,500打点達成(マリナーズ戦)は2,216試合目の快挙。NPBでは王貞治(巨人)2,170打点、野村克也(西武)1,988打点、門田博光(ダイエー)1,678打点、張本勲(ロッテ)1,676打点、落合博満(日本ハム)1,564打点、清原和博(オリックス)1,530打点、長嶋茂雄(巨人)1,522打点、大杉勝男(ヤクルト)1,507打点と8人が達成。
■2011年8月29日NPB-MLB通算488二塁打達成(インディアンス戦)で立浪和義(中日)の持つNPB記録を更新。なお、マリナーズのイチローも3日遅れのエンゼルス戦(9.1)で同記録を更新。
■2012年は所属先が決まらぬままシーズンインとなり、ヤンキース所属時のJoe Torre(ジョー・トーレ)監督もヤンキースを離れていたが心配、名参謀のDon Zimmer(ドン・ジマー)ベンチ・コーチがレイズのシニア・アドバイザーに就任していた縁もあって、4月30日レイズとマイナーリーグ契約。レイズの延長キャンプ(extended spring trainig)や傘下のダーラム(TB-AAA)で試合感覚を取り戻す調整を行い、2ヶ月遅れの5月29日レイズに昇格。7月25日MLB選手登録40人枠を外され戦力外となる。
■2012年12月27日ニューヨーク、マンハッタンのホテルで「20年間に及ぶプロ野球人生に区切りをつけたい。今年はマイナーからスタートしてメジャーに上がり、試合ではチャンスを貰いながら、結果が振るわなかった。命懸けでプレーし、メジャーという場で力を発揮するという気持ちで10年間やってきたが、結果が出なくなったことで、1つの終わりを迎えたと思う。応援して下さったファンの皆様に感謝したい」と引退会見を行った。なお、ヤンキースのBrian Cashman(ブライアン・キャシュマン)GMは「ヒデキは誇りと規律と才能を持ってプレーした。彼の性格が自然と人々を引き付けた。真のプロだった」、Hal Steinbrenner(ハル・スタインブレナー)共同オーナーは「チームやファンに対する責任を進んで受け入れ、求められた時には最高のプレーを見せた。今後も“ヤンキースの家族”として愛される存在だ」と特別にコメントした。
■2013年“ミスタープロ野球”長嶋茂雄(巨人、終身名誉監督)と共に師弟で安倍晋三首相から国民栄誉賞を授与された。松井秀喜の受賞理由は日本シリーズMVP、ワールドシリーズMVP獲得などを踏まえ「日米を通じて20年間、常にチームの主軸を担い、日米の多くの国民に親しまれ、社会に大きな感動や喜びを与えた」と菅義偉官房長官が記者会見で説明。なお、授与式(記念式典)は背番号に因み5月5日に東京ドームで行われ、表彰状と記念品の金バット(純銀製に純金メッキ)を贈られて「私はこの賞をいただき、大変大変光栄ではありますが、同じぐらいの気持ちで恐縮もしております」と答えた。
■2013年7月28日“引退セレモニー”がヤンキース本拠地でのシーズン55試合目(レイズ戦)となる試合前に催され、ヤンキースと1日限定のマイナーリーグ契約(One-day Contract)を結びヤンキースの一員とし功績を称えられた。ヤンキースが他球団で引退した選手に“ヤンキースの家族”としてセレモニーを行うのは極めて異例で大変な栄誉。ヤンキースタジアム満員(Att.47,714)の観客に先着で18,000個の特製首振り人形(Bobblehead)がプレゼントされた。
■2014年5月24日アメリカ野球殿堂記念試合がニューヨーク州クーパーズ・タウンで30球団を代表する大リーグOB選手により行われ、ヤンキースOB選手として5番レフトで先発出場した。4回にブレーブスOB選手のSteve Avery(スティーブ・エイブリー)から右翼ポール際に本塁打を放つなど球場(ダブルディ・フィールド)を沸かした。
■2015年ヤンキースのBrian Cashman(ブライアン・キャッスマン)GMの特別アドバイザーに就任(3.10)。Gary Denbo(ゲーリー・デンボ)選手育成担当副社長のもとで傘下マイナーチームを巡回して監督、打撃コーチに協力して将来のスター選手候補(Top Prospect/若手有望選手)などに助言や打撃指導をする(任期は1年)。
■2017年アメリカ野球殿堂入り候補者にノミネートされ(11.20)、2018年度対象の候補者33人(前14、新19)に名を連ねた。2013年(2014年度対象)の野茂英雄(ロイヤルズ)に続いて2人目。2018年の投票(1.24)で4票を獲得したがアメリカ野球殿堂入りには届かなかった。得票率は0.9パーセント(4/422)、次年度の継続候補に残れなかった。
■2018年野球殿堂博物館・競技者表彰(プレーヤー表彰)に選出(1.15)される。候補1年目での選出は金本知憲(阪神)と同時選出なので史上5、6人目、野球殿堂入りが43才7ヶ月は野茂英雄(ロイヤルズ)の45才4ヶ月を抜く年少記録となる。
■2021年7月23日「東京オリンピック」の開会式(国立競技場)に聖火ランナーとして参加、日本プロ野球界スーパーレジェンドの王貞治、長嶋茂雄、松井秀喜が一緒になって聖火をオリンピック3大会連続金メダルの吉田沙保里(レスリング)、野村忠宏(柔道)から受け継ぎ、コロナウイルス感染対応医療従事者の大橋博樹(医師)、北川順子(看護師)に繋いだ。そして、最終ランナーの大坂なおみ(テニス)が聖火台で点火した。
■2022年Horece Wilson(ホーレス・ウイルソン/英語と数学教師)が“御雇外国人”としてアメリカから来日、1872年に教鞭を執る傍ら生徒に野球を伝えて150年の節目、これを記念してニューヨークの日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」から表彰され(6.21)、式典でプレゼンテーターを務めたJoe Torre(ジョー・トーレ)元ヤンキース監督は「ヒデキ・マツイ(松井秀喜)は2つの国の野球文化を代表する特別な存在の1人」と称えた。
「NPBデビュー」 1993年5月1日ヤクルト戦(東京ドーム)。
「NPBデータ」 1993年NPB初安打(5.1ヤクルト戦)。 1993年NPB初本塁打(5.2ヤクルト戦)。 1993年NPB初打点(5.1ヤクルト戦)。 1993年NPB初盗塁(9.2横浜戦)。

「日本プロ野球名球会」 1993年5月1日NPB初安打(ヤクルト戦)を起点に2007年5月6日NPB-MLB通算2,000安打達成(マリナーズ戦)で資格クリア、2007年入会。
「日本プロスポーツ大賞」 2000年、2003年大賞受賞。



 


『MIKE』 マイケル 中村


マイケル 中村
(Micheal Nakamura)
Micheal Yoshihide Nakamura/中村 吉秀


元 トロント・ブルージェイズ。

1976年9月7日生まれ、奈良県出身。
父親 日本人、母親 オーストラリア人。

身長178cm、体重78kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
(2004年ドラフト4巡目) 2005年〜2008年北海道日本ハム・ファイターズ、 2009年〜2011年読売・ジャイアンツ、 2012年埼玉西武・ライオンズ。
『MLB履歴』
ウェスレー・カレッジ高(オーストラリア)、 サウス・アラバマ大(アメリカ)。 (MLBドラフト外) 2003年ミネソタ・ツインズ、 2004年トロント・ブルージェイズ。

『NPBタイトル、表彰、記録』
2006年パ・リーグ最多セーブ。

「MLBデビュー」
2003年6月7日@パドレス戦(クアルコム・スタジアム)“救援登板(完了)”。

「MLBデータ」
2003年MLB初セーブ(6.7パドレス戦)。 2003年MLB初ホールド(6.11ロッキーズ戦)。 2003年MLB初奪三振(6.7パドレス戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2008年NPB-MLB通算100セーブ達成(9.10西武戦)。 2008年NPB通算100セーブ達成(9.13オリックス戦)。


[マイケル 中村、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
2005 日本ハム  32  3− 0   1  46.2/3  12  47 2.31
2006 日本ハム  64  5− 1  39  65.2/3  16  67 2.19
2007 日本ハム  56  1− 1  34  58.1/3  14  49 2.16
2008 日本ハム  46  2− 2  28  46.1/3  11  47 2.14
2009 読売  29  1− 2   0  27.2/3  19  28 6.18
2010 読売  37  1− 0   1  42.0/0   9  33 1.93
2011 読売   7  1− 0   0   8.1/3   4   3 4.32
2012 西武  17  0− 3   1  22.0/0   7  20 2.86
NPB通算 288 14− 9 104 317.0/0  92 294 2.61
2003 ツインズ  12  0− 0   1  12.2/3  11  14 7.82
2004 ブルージェイズ  19  0− 3   0  25.2/3  21  24 7.36
MLB通算  31  0− 3   1  38.1/3  32  38 7.51
日米プロ通算 319 14−12 105 355.1/3 124 332 3.14

<通算ホールド NPB-31、MLB-3>


■1997年12月ツインズとマイナーリーグ契約してプロデビュー、6年間マイナーリーグでキャリアを積み2003年ツインズに待望の昇格、6月7日MLBデビューの登板では投球回数1イニング1/3、自責点0、奪三振2と好投して初セーブと堅実にキャリアアップ。
■2004年ツインズからブルージェイズにウエーバー移籍(4.9)。傘下シラキース・スカイチーフス(TOR-AAA)でスタート、ブルージェイズに昇格(4.25)も昇格、降格の不安定なシーズンでマイナー降格(7.31)のままシーズンを終える(9.5)。シラキース(TOR-AAA)で31試合、3勝2敗4セーブ、投球回数55イニング0/0、自責点19、奪三振76、防御率3.11の成績を残した。シーズンオフ、日本プロ野球ドラフト会議で日本ハムに4巡目指名された。
■2006年4月15日“ノーヒットノーラン試合”成立(ソフトバンク戦)は延長10回までを新人の八木智哉、11回を武田久(勝利)、12回をマイケル中村(セーブ)と3人の継投での快挙(継投での個人記録は参考扱い)。
■2006年NPBシーズン39セーブはパ・リーグ記録で2002年、2003年に西武所属時の豊田清(巨人)が記録した38セーブを更新。
■2008年NPB通算100セーブ達成(9.13オリックス戦)の194試合目はドラフト入団選手ではNPB最速達成記録。小林雅英(ロッテ)222試合目、大塚晶則(中日)224試合目、佐々木主浩(横浜)240試合目を上回るスピード達成。
■2012年9月2日NPBロッテ戦でNPBキャリア初(287試合目)の先発登板を担い、投球回数4イニング0/0、被安打3、失点1(自責点0)、与四球0(与死球1)、奪三振1、打者16で勝敗は付かず。
■2012年シーズンオフ、現役引退を発表(10.2)。
■2018年オーストラリア代表チームのアシスタントコーチ就任を発表(2.19)。野球日豪代表チーム強化試合(3.3ナゴヤドーム、3.4京セラドーム)で来日、コーチキャリアをスタートさせた。
「NPBデビュー」 2005年3月29日西武戦(札幌ドーム)。
「NPBデータ」 2005年NPB初勝利(5.7阪神戦)。 2005年NPB初セーブ(5.3西武戦)。 2005年NPB初ホールド(5.25広島戦)。 2005年NPB初奪三振(4.13西武戦)。

「野球オーストラリア代表」 2000年シドニー・オリンピック出場、銀メダル。



 


『YOSSHAA !』 大塚 晶則


大塚 晶則
(おおつか あきのり)

元 テキサス・レンジャーズ。

1972年1月13日生まれ、千葉県出身。

身長182cm、体重90kg。
右投げ、右打ち。

『NPB履歴』
横芝敬愛高、 東海大、 日本通運。 (1996年ドラフト2巡目) 1997年〜2002年近鉄・バファローズ(’99〜大阪近鉄・バファローズ)、 2003年中日・ドラゴンズ。
『MLB履歴』
(ポスティング制度) 2004年〜2005年サンディエゴ・パドレス、 2006年〜2007年テキサス・レンジャーズ。

『NPBタイトル、表彰、記録』
1998年パ・リーグ最優秀救援。
『MLBタイトル、表彰、記録』
2004年ナ・リーグ最多ホールド(34ホールド)。

「MLBデビュー」
2004年4月6日@ドジャース戦(ドジャー・スタジアム)“救援登板(完了)”。

「MLBデータ」
2004年MLB初勝利(4.24ダイヤモンドバックス戦)“中継ぎ登板”。 2004年MLB初セーブ(4.30メッツ戦)。 2004年MLB初ホールド(4.8ジャイアンツ戦)。 2004年MLB初奪三振(4.6ドジャース戦)。

「MLB通算記録」
2005年MLB通算50ホールド達成(8.24アストロズ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2006年NPB-MLB通算500試合登板達成(8.27アスレチックス戦)。 2002年NPB通算100セーブ達成(7.17オリックス戦)。 2006年NPB-MLB通算150セーブ達成(6.2ホワイトソックス戦)。


[大塚 晶則、通算成績]

年 度 所 属 試 合 勝 敗 セーブ 投球回数 自責点 奪三振 防御率
1997 近鉄  52  4− 5   7  82.2/3  19 127 2.07
1998 近鉄  49  3− 2  35  55.1/3  13  74 2.11
1999 近鉄  25  1− 4   6  29.2/3   9  32 2.73
2000 近鉄  39  1− 3  24  41.2/3  11  49 2.38
2001 近鉄  48  2− 5  26  56.0/0  25  82 4.02
2002 近鉄  41  2− 1  22  42.1/3   6  54 1.28
2003 中日  51  1− 3  17  43.0/0  10  56 2.09
NPB通算 305 14−23 137 350.2/3  89 474 2.28
2004 パドレス  73  7− 2   2  77.1/3  15  87 1.75
2005 パドレス  66  2− 8   1  62.2/3  25  60 3.59
2006 レンジャーズ  63  2− 4  32  59.2/3  14  47 2.11
2007 レンジャーズ  34  2− 1   4  32.1/3   9  23 2.51
MLB通算 236 13−15  39 232.0/0  63 217 2.44
日米プロ通算 541 27−38 176 582.2/3 152 691 2.35

<通算ホールド NPB-0、MLB-74>


■2002年12月ポスティング制度では応札球団なしで不成立、近鉄と再契約後に金銭トレードで中日に移籍、2003年11月ポスティング制度ではパドレスが30万ドルで落札、12月パドレスと2年契約の総額185万ドルでメジャーリーグ契約。
■2004年ナ・リーグ最多ホールド34を記録、中継ぎ投手のタイトルに輝いた。2005年もホールド22を記録、バドレス勝利の方程式が大塚晶則からTrevor Hoffman(トレバー・ホフマン)にとなる活躍でチームに貢献。なお、トレバー・ホフマンとの親交は深く社会貢献活動にも一緒に参加する仲となる。
■2006年1月4日パドレス2選手とレンジャーズ3選手の交換トレードでレンジャーズ移籍。Francisco Cordero(フランシスコ・コーデロ)の不調でクローザー昇格の初戦、4月29日インディアンズ戦で移籍初セーブを記録。9月10日マリナーズ戦でシーズン32セーブを記録。その後は体調不良(頭痛)に悩まされ、9月19日マリナーズ戦がシーズン最終登板。
■2007年シーズンはEric Gagne(エリック・ガニエ)の加入でセットアッパーを担い好投を維持も、7月1日レッドソックス戦で1点リード(スコア2対1)の8回裏に救援登板、投球回数0イニング2/3、被安打2、失点0、与四球0、奪三振0、打者4、投球数15(ストライク10)の時点で右肘に違和感を訴え途中降板、右肘の状態は深刻で故障者リスト入りのままシーズンを終える。シーズンオフ、レンジャーズは契約延長のオプション行使せずFA(12.14)。
■2008年1月9日右肘の腱移植手術(Tommy John Surgery/トミー・ジョン手術)を受けてシーズンをリハビリに専念する。その後も2009年8月右肘内骨片除去手術、2010年1月22日2度目のトミー・ジョン手術、2011年9月右肘内骨片除去手術および神経移行手術、2011年10月右肘神経移行手術および腱再生手術と可能性を信じて何度も右肘にメスを入れる。
■2013年独立リーグのBCリーグ、信濃・グランセローズと契約(6.8)、6年ぶりの現役復帰で選手登録名も本名の大塚晶文に戻した。入団会見で王貞治(2006年WBC監督)の「野球に生命をかける大塚晶文君、頑張れ」とサインしたボールを渡されるサプライズに感激した。
■2014年独立リーグのBCリーグ、新潟アルビレックス戦(9.15)で引退試合、2007年7月1日(レッドソックス戦)以来のマウンドで打者1人を三振に仕留め、監督兼任の選手も現役を終えた。
■2015年NPB中日の2軍投手コーチに就任(1.17)。
「NPBデビュー」 1997年5月13日ダイエー戦(ナゴヤドーム)。
「NPBデータ」 1997年NPB初勝利(5.21ロッテ戦)。 1997年NPB初セーブ(5.24ダイエー戦)。 1997年NPB初奪三振(5.13ダイエー戦)。

「野球日本代表」 2006年WBC出場、優勝。 2006年WBC代表チームに紫綬褒章。



 


『KAZ』 松井 稼頭央


松井 稼頭央
(まつい かずお)
松井 和夫

元 ヒューストン・アストロズ。

1975年10月23日生まれ、大阪府出身。

身長177cm、体重83kg。
右投げ、両打ち。

『NPB履歴』
PL学園高。 (1994年ドラフト3巡目) 1995年〜2003年西武・ライオンズ、 2011年〜2017年東北楽天・ゴールデンイーグルス、 2018年埼玉西武・ライオンズ。
『MLB履歴』
(FA権行使) 2004年〜2006年ニューヨーク・メッツ、 2006年〜2007年コロラド・ロッキーズ、 2008年〜2010年ヒューストン・アストロズ。 (2010年コロラド・ロッキーズ)

『NPBタイトル、表彰、記録』
1997年、1998年、1999年パ・リーグ盗塁王。 1998年パ・リーグMVP。 2018年パ・リーグ功労賞。 2002年NPBスイッチヒッター初“トリプルスリー”達成(打率0.332、36本塁打、33盗塁)。 2002年NPBシーズン88長打記録(46二塁打、6三塁打、36本塁打)。 2000年サイクル安打達成(6.7近鉄戦)。 2015年NPB通算2,000安打達成(7.28ソフトバンク戦)。 2017年NPB通算200本塁打達成(4.22ソフトバンク戦)。 2015年NPB通算350盗塁達成(5.27阪神戦)。

「MLBデビュー」
2004年4月6日@ブレーブス戦(ターナー・フィールド)“先発出場(1番・ショートストップ)”。

「MLBデータ」
2004年MLB初安打(4.6ブレーブス戦)“本塁打”。 2004年MLB初打点(4.6ブレーブス戦)。 2004年MLB初本塁打(4.6ブレーブス戦)“新人、開幕戦、先頭打者、初球”。 2006年MLB初ランニング本塁打(4.20パドレス戦)。 2004年MLB初盗塁(4.27ドジャース戦)。 2009年MLB初ホームスチール(5.19ブルワーズ戦)。

「MLB通算記録」
2009年MLB通算500試合出場達成(10.1フィリーズ戦)。 2009年MLB通算500安打達成(4.28レッズ戦)。 2007年MLB通算50盗塁達成(8.8ブルワーズ戦)。 2009年MLB通算100盗塁達成(パイレーツ戦)。

「NPB-MLB(日米プロ)通算記録」
2007年NPB-MLB通算1,500試合出場達成(8.12カブス戦)。 2013年NPB通算1,500試合出場達成(8.30ソフトバンク戦)。 2012年NPB-MLB通算2,000試合出場達成(8.29ロッテ戦)。 2017年NPB-MLB通算2,500試合出場達成(7.27ソフトバンク戦)。 2001年NPB通算1,000安打達成(7.8オリックス戦)。 2011年NPB通算1,500安打達成(7.26ソフトバンク戦)。 2004年NPB-MLB通算1,500安打達成(6.16インディアンス戦)。 2009年NPB-MLB通算2,000安打達成(8.15ブルワーズ戦)。 2015年NPB通算2,000安打達成(7.28ソフトバンク戦)。 2014年NPB-MLB通算2,500安打達成(8.24オリックス戦)。 2003年NPB通算150本塁打達成(10.4千葉ロッテ戦)。 2012年NPB-MLB通算200本塁打達成(10.5日本ハム戦)。 2017年NPB通算200本塁打達成(4.22ソフトバンク戦)。 2015年NPB-MLB通算1,000打点達成(6.11DeNA戦)。 1999年NPB通算200盗塁達成(8.12福岡ダイエー戦)。 2001年NPB通算250盗塁達成(4.21福岡ダイエー戦)。 2003年NPB通算300盗塁達成(8.3日本ハム戦)。 2015年NPB通算350盗塁達成(5.27阪神戦)。 2007年NPB-MLB通算350盗塁達成(6.24ブルージェイズ戦)。 2009年NPB-MLB通算400盗塁達成(8.5ジャイアンツ戦)。 2015年NPB-MLB通算450盗塁達成(4.24ロッテ戦)。


[松井 稼頭央、通算成績]

年 度 所 属 試 合 打 数 安 打 本塁打 打 点 盗 塁 打 率
1995 西武    69   204    45   2   15  21 0.221
1996 西武   130   473   134   1   29  50 0.283
1997 西武   135   576   178   7   63  62 0.309
1998 西武   135   575   179   9   58  43 0.311
1999 西武   135   539   178  15   67  32 0.330
2000 西武   135   550   177  23   90  26 0.322
2001 西武   140   552   170  24   76  26 0.308
2002 西武   140   582   193  36   87  33 0.332
2003 西武   140   587   179  33   84  13 0.305
2011 楽天   139   538   140   9   48  15 0.260
2012 楽天   106   402   107   9   43  14 0.266
2013 楽天   125   448   111  11   58   1 0.248
2014 楽天   128   444   129   8   46   9 0.291
2015 楽天   126   445   114  10   48  14 0.256
2016 楽天    56  160    34   2   13   3 0.213
2017 楽天    44    76    16   2   10   0 0.211
2018 西武    30    39     6   0    2   1 0.154
NPB通算 1,913 7,190 2,090 201  837 363 0.291
2004 メッツ   114   460   125   7   44  14 0.272
2005 メッツ    87   267    68   3   24   6 0.255
2006 メッツ    38   130    26   1    7   2 0.200
ロッキーズ    32   113    39   2   19   8 0.345
シーズン計    70   243    65   3   26  10 0.267
2007 ロッキーズ   104   410   118   4   37  32 0.288
2008 アストロズ    96   375   110   6   33  20 0.293
2009 アストロズ   132   476   119   9   46  19 0.250
2010 アストロズ    27    71    10   0    1   1 0.141
MLB通算   630 2,302   615  32  211 102 0.267
日米プロ通算 2,543 9,492 2,705 233 1,048 465 0.285

<通算外野手補殺 NPB-8、MLB- > <シーズン中途移籍 '06.6.9〜ロッキーズ>




MLBデビューの開幕戦
先頭打者、初球、本塁打を記録
('04.4.6 ブレーブス戦)


NPB-MLB(日米プロ)
通算2,500安打達成
('14.8.24 オリックス戦)


NPB-MLB(日米プロ)
通算450盗塁達成
('15.4.24 ロッテ戦)
■1995年ハワイ・ウインター・ベースボールに西武から派遣選手として参加、チームはマウイ・スティングレイズ。
■1998年6月28日NPBダイエー戦で初回、先頭打者、ランニング本塁打を記録。
■2000年6月7日NPB近鉄戦でサイクル安打達成。
■2002年シーズン打率3割・30本塁打・30盗塁の“トリプルスリー”を達成。NPBでは岩本義行('50松竹/東映)、別当薫('50毎日)、中西太('53西鉄)、蓑田浩二('83阪急/巨人)、秋山幸二('89西武/ダイエー)、野村謙二郎('95広島)、金本知憲('00広島/阪神)に続いて8人目の快挙。
■2003年シーズンオフにFA権を行使、12月メッツと3年契約の総額2,010万ドル+出来高(90万ドル)でメジャーリーグ契約。
■2004年4月6日シーズン開幕初戦のブレーブス戦で1回表にRuss Ortiz(ラス・オルティス)の初球を先頭打者本塁打、ミラクルなMLBデビューとなる。2005年4月4日シーズン開幕初戦のレッズ戦で1回表の初打席(2番打者)にPaul Wilson(ポール・ウイルソン)からソロ本塁打。2006年4月20日シーズン開幕から15戦目のパドレス戦がシーズン初出場となり、3回表の初打席(8番打者)にJake Peavy(ジェイク・ピービー)からランニング本塁打。MLBで3年連続シーズン初打席本塁打はKen Griffey(ケン・グリフィー/レッズ)がマリナーズ所属時に1997年から記録して以来4人目の快挙。
■2004年6月23日レッズ戦でNPB-MLB(日米プロ)連続試合出場記録が体調管理(計画休養)のために1,213試合(NPB1,143試合、MLB70試合)出場で途切れた。Art Howe(アート・ハウ)メッツ監督は「記録は日本でのもの、長いシーズンを乗り切るには休養も必要」と割り切った。なお、NPB連続試合出場('95.7.22ロッテ戦〜'03.10.5ロッテ戦)の1,143試合はNPBパ・リーグ記録。
■2007年8月24日ナショナルズ戦で珍しいサヨナラ遊撃ゴロを記録。スコア5対5の9回裏2死満塁で打席に立ち、Jon Rauch(ジョン・ラウチ)投手からの3球目を弱い遊撃ゴロ、D'Angelo Jimenez(エンゲロ・ヒメネス)の失策で走者の生還を許してサヨナラ勝利になる。松井稼頭央の出塁は失策によるもので打点は記録されず。
■2007年MLBワールドシリーズに出場、ワールドシリーズ初盗塁(10.27レッドソックス戦)を記録。
■2009年5月20日ブルワーズ戦で第1打席、打順の誤りの規則違反でアウトとなる珍事。Cecil Cooper(セシル・クーパー)監督のミスでオーダー表に1番・Michael Bourn(ミッセル・ボーン)、2番・松井稼頭央とすべきを逆で提出、ボーンがヒットで出塁した時点でブルワーズのKen Macha(ケン・モッカ)監督が球審に指摘しミス発覚、野球規則で1番・誤打者のボーンの記録は取り消し、正打者の松井は打席に入る前にアウト(捕ゴロと記録)、改めて2番・ボーンの打席で試合続行となった。
■2009年8月15日ブルワーズ戦でNPB-MLB(日米プロ)通算2,000安打達成は1,720試合目、イチロー(ヤンキース)1,465試合目、川上哲治(巨人)1,646試合目、長嶋茂雄(巨人)1,708試合目に続くスピード達成。なお、スイッチヒッターでNPB通算2,000安打達成は柴田勲(巨人)が2,143試合目に達成。
■2009年9月ヒューストン日本総領事館に諸外国との相互理解および友好親善の促進に顕著な貢献をしたとして「在外公館長表彰」をで受ける。
■2011年7月26日NPB通算1,500安打達成(ソフトバンク戦)は1,233試合目、Alex Ramirez(アレックス・ラミレス/巨人)1,236試合目、Leron Lee(レロン・リー/ロッテ)1,237試合目、川上哲治(巨人)1,241試合目、長嶋茂雄(巨人)1,273試合目を超えるNPB史上最速で到達。
■2014年8月21日NPB日本ハム戦でキャリア初の外野守備(左翼)に就く。
■2014年8月31日NPBソフトバンク戦で同一試合に先頭打者本塁打とサヨナラ安打を記録。なお、Alonzo Powell(アロンゾ・パウエル/阪神)が中日所属時の1993年にヤクルト戦(10.13)で先頭打者本塁打とサヨナラ安打(本塁打)で、サヨナラ安打ではないが清水隆行(西武)も巨人所属時の2006年に西武戦(6.4)で先頭打者本塁打とサヨナラ犠飛で記録。
■2014年シーズンオフにNPB楽天と2年契約延長(11.29)、年俸1億6,000万円で選手登録は外野手。
■2017年シーズンオフに生涯選手に拘り、楽天コーチ就任の打診を固辞して退団、西武にテクニカルコーチ兼外野手として1年契約、年俸4,000万円で契約(11.17)。
■2018年シーズンオフ、来季から西部2軍監督が決まる(10.6)。NPBからパ・リーグ功労賞の表彰(11.12)。
■2021年シーズンオフ、西武の1軍ヘッドコーチに昇格(11.3)。
■2022年シーズンオフ、西武の1軍監督に就任すると発表(10.13)。
■2024年、チーム成績不振を理由に休養すると発表(5.26)、監督の代行は渡辺久信GMが兼務する。
「NPBデビュー」 1995年4月5日@近鉄戦(藤井寺球場)。
「NPBデータ」 1995年NPB初安打(4.9日本ハム戦)。 1995年NPB初本塁打(8.20近鉄戦)。 1995年NPB初打点(4.9日本ハム戦)。 1995年NPB初盗塁(5.7ダイエー戦)。

「日本プロ野球名球会」 1995年4月9日NPB初安打(日本ハム戦)を起点に2009年8月15日NPB-MLB通算2,000安打達成(ブルワーズ戦)で資格クリア、2009年入会。
「野球日本代表」 2003年アテネ・オリンピック、アジア地区予選(第22回アジア野球選手権)出場、'04アテネ・オリンピック出場権獲得(優勝)。 2013年WBC出場、ベスト4。




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