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『プール遊び』と『豆まき』

こども園から孫が持ち帰った“さくひんぶくろ”の中に目を見張る“おえかき”の作品が入っていました。こども園の行事に合わせて思い出の“おえかき”をしたみたいで、画題は<左側の絵>が「プール遊び」で丸いプールの中央に孫がいて、お友達も一緒にいます。<右側の絵>が「豆まき」で鬼さん役は先生で、画中の梨色(ネイプル・イエロー)の点々は豆と言うことです。画用紙はカラー画用紙を使用していて、“おえかき”にも時代の流れを感じます。“さくひんぶくろ”(A2サイズ)の中にはこの2枚の他に様々な絵や工作が入っていました。画用紙サイズは大きいのでカメラ接写(三脚、スピードライト使用)になりました。



 

2019年7月 クレヨン・マット水彩・色画用紙(4ツ切) 54.3x39.2cm
(カメラ接写、画像編集ソフト)
 

2020年2月 カラーペン・マット水彩・色画用紙(4ツ切) 39.2×54.3cm
(カメラ接写・画像編集ソフト)



『じいちゃん』

 <左側の絵>孫が大好きなイチゴと一緒に描いた「じいちゃん」の絵を持って来ました。“おえかきちょう”から絵を外す際に破いたらしく、その箇所を裏からセロテープで補修したり、画像編集ソフトを使用して1部を切り抜き、作品に仕上げたので縦位置になりました。 <右側の絵>孫が遊びに来て描いた「じいちゃん」の絵です。長らく使われないままのカラーペンは乾燥で掠れたり、色が欠けたりでしたが、B4サイズの“おえかきちょう”一杯に描いてくれました。嬉しくて、早速に縮小コピーしてスキャナーで取り込み、画像編集ソフトで仕上げました。



 

2019年6月 カラーペン・画用紙(B4) 25.7x36.4cm
(画像編集ソフト、1部を切り抜き)
 

2019年6月 カラーペン・画用紙(B4) 36.4×25.7cm
(縮小コピー、画像編集ソフト)






『脊板 可夫さんからの年賀状、暑中見舞い』

脊板可夫(1914年〜1991年)さんは私の“「絵画」大好き!”の原点ともいえる人です。彼は誰にも師事することはなく趣味で始めた油絵や水彩画ですが、その感性の鋭さ、表現力の豊かさは、もはや趣味の域を超えていたように思います。晩年には文人墨客画を好むようになり、その寂びた画風は独自の世界に達していたような印象でした。残念なことに1991年に頂いた年賀状が最後となりました。なお、表現手法で1986年の暑中見舞いは画仙紙(はがきサイズ)にパステル、他は水彩紙(はがきサイズ)に岩絵の具、水彩絵の具、墨、鉛筆など、自由自在に組み合わせています。1枚1枚が手書きの時代、心に響きます。



 

1986年 年賀状


 

1986年 暑中見舞い


1987年 年賀状


1987年 暑中見舞い


1988年 年賀状


1989年 年賀状


1990年 年賀状


1991年 年賀状







『河原 修平先生との出会い』

河原修平先生が倉敷市旭町にアトリエを構えていらした頃、私は一寸だけ、此処で石膏デッサンを習った事があります。「全ての制作の基本は素描からです。見えた通り、忍耐強く忠実に描いて行くことから、自分自身のフォルム(形式)が出来てきます」と教えて頂いたのですが、難しくて・・・。先生は私がデッサンで見間違い(骨格の歪みなど)に気付く様に「良く見て・・・、良く見て描きなさい」と何時も仰有って、更に「家でも、リンゴやレモンでデッサンは出来るので描いてみなさい」と課題(立体を光の陰影で掴む練習)も頂いた記憶があります。



 

1957年 自画像(油彩・キャンバス)
   河原 修平
(かわはら しゅうへい)
1915年 倉敷市土手町(現本町)で生まれる。
1933年 上京、川端画学校や太平洋美術学校で洋画を学ぶ。藤島武二に師事。
1938年 第6回東光展で東光賞を受賞。
1947年 倉敷素描絵画研究所を開設。
1949年 抽象画(キュビズム)の坂田一男と出会い心酔、師事。
1956年 燈仄会を主宰。
1974年 急性心不全で死去(享年59)。
2015年 河原修平生誕100周年記念展(岡山県立美術館)。




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