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財田郷総氏神。鉾八幡宮です。

お問い合わせはTEL.0875-67-2028

〒769-0401 香川県三豊市財田町財田上2336

豆知識(ナレッジ)knowledge

地鎮祭(じちんさい)について

地鎮祭とは、土木工事を行う際や建物を建てる際に、工事の無事や安全と建物や家の繁栄を祈る儀式のことを言います。「じちんさい」と読むほか「とこしづめのまつり」と読むこともあります。「鎮」の字にはしずめる、落ち着かせるといった意味があります。
工事の着工にあたり、神職をお招きして神様にお供え物をし、祝詞をあげ、お祓いをして浄め、最初の鍬や鋤を入れ、工事の無事を祈ります。地鎮祭は地域によりお祭りの仕方が異なる場合もありますが、基本的な祭儀の流れは神社の祭儀とほぼ同様です。そのなかでも特徴的なこととして三つの行事がおこなわれます。
一つは祓(はらい)の行事であり、四方祓(しほうはらい)の儀と称して、祭場四方の敷地を大麻で祓ったり、半紙と麻を切って作った切麻(きりぬさ)などを撒き、祓い清めます。
二つ目は起工の行事であり、刈初(かりぞめ)の儀・穿初(うがちぞめ)の儀と称して、施主・施工者が忌鎌(いみかま)・忌鍬(いみくわ)・忌鋤(いみすき)などにより、草を刈り、地を穿つ(掘る)所作をおこない、神様に工事の開始を奉告します。
三つ目は供物の行事であり、鎮物(しずめもの)埋納の儀と称して、神霊を和め鎮めるために鎮物の品を捧げて、工事の無事安全を祈念します。土地の神に敬意をはらい、使用の許しを得て、工事の安全と生活の平安を祈願するという祭りの意味は、まさに日本人の生活習慣における伝統や信仰に基づいたものといえます。


家庭のおまつりについて

神棚はご家庭をお守りいただく神さまをおまつりする場所ですから、家の中で最も清らかな場所を選び、出来れば南向き、または東向きに設けることが好ましいでしょう。家庭におけるおまつりは毎日欠かさず、丁寧に心を込めてされることが大切です。大事なのはまつる人の心で、絶対にこうでなければならないといった窮屈で堅苦しいものではありません。この心が基になって、永年の間に自然と形や作法が整ってきたのです。神棚は家庭の中心となり、家族の心のよりどころとなるものですから、家を新築される場合や結婚して新しい家庭を営む際にはぜひ神棚を設けられ、神々のお守りをいただいて明るく健やかな生活をいたしましょう。

お神札(ふだ)のまつり方
神棚にはお伊勢さまのお神札(神宮の大麻)を中心にして、氏神様、また信仰する神様のお神札をおまつりします。神棚の中にお神札を横に並べておまつりするときには、中央に天照皇大御神、豊受大御神のお神札、向って右に氏神さま、左に崇敬される神社のお神札をおさめて下さい。また縦に重ねておまつりする場合は、一番前が天照皇大御神、豊受大御神のお神札で、つぎが氏神さま、その後方へ他の神社のお神札をおさめて下さい。 なお、祖先や親族の霊舎は神棚より下った位置におまつり下さい。また身内に不幸があった場合は、神棚に半紙を貼って毎日のおまつりを中断します。地方によって違いはありますが、概ね50日過ぎるとおまつりを再開します。その間は神社へのお参りも遠慮します。

      
          三社造りの場合             一社造りの場合
 中央に神宮大麻、向かって右に氏神さま、 一番手前に神宮大麻、次に氏神さま、
    左に崇敬する神社のお神札を。     その後ろに崇敬する神社のお神札を。

日々のおまつり
神棚には毎朝、洗米(飯)と塩と水をお供えします。洗米は土器(皿)に山形に盛り、塩は土器に小量を、水は水玉という器かコップに入れ(器にふたがあればとる)お供えし、三方または折敷にのせます。(三方や折敷は、縁にとじ目のある方を自分に向けてお供えするのが作法です)
国の祝日、神宮の神嘗祭(10月17日)や土地の氏神さまの祭礼や家庭の慶事、あるいは記念すべき日などには、神酒、野菜、果物等を加えてお供えをするなどして、家族そろって感謝のお祈りをしましょう。お祈りの作法は、二拝二拍手一拝です。なお、季節の初ものやめずらしいものは先ず神棚にお供えし、それをお下げして家族でいただくことが神さまの御心にかないますし、明るくなごやかな家庭もその中から築かれるものです。神棚はご家庭にとって最も神聖な場所ですから、いつも清らかである事が大切です。常にお掃除をおこたらず、月末や年末には特にていねいに掃除いたしましょう。お飾りの榊はいっも緑を保つようにし、榊のない地方では、これにかわるものとして椿、杉といった常緑樹を用います。

お神札のおむかえ
伊勢の神宮のお神札をはじめ、氏神さまのお神札は、新しい年の始めに新たにお迎えするのが昔からの習わしです。自分自身も家族も社会も、日々年々いのち新たに更なる発展を生む“ちから”は、新しいお神札をお迎えすることから生まれます。なお、古いお神札は氏神さまや近くの神社でお焚き上げしていただけますが、神宮へお持ちいただいても結構です。

神宮大麻について
全国に頒布される神宮のお神札を「神宮大麻」といいます。
本来は「おおぬさ」と読みますが、「ぬさ」とは木綿、麻など。大麻とはお祓いに用いられる用具「祓串」のことです。


神社のお祭り

「まつり」の語源は、動詞の「まつる」からきています。「まつる」とは、@神さまのお出ましを「待つ」A神さまに供物などを「献(たてまつ)る」B神さまに従う「服(まつろ)う」などが考えられます。これを全部合わせると「神さまをお迎えして、神さまに物を捧げて、心から神さまに従う」という意味になります。このように、神さまにお仕えすることがお祭りの本義なのです。お祭りは、一年を通じ数多く斎行されています。毎日行われる日供(にっく)祭を始め、恒例の例祭や臨時に行われるお祭りなど、それぞれ意味をもち厳修されています。

例祭(れいさい)神社で行われる最も大きなお祭り
例祭は、神社で行われる最も重要で盛大なお祭りです。年に一回行われる祭典で、一般に例大祭ともいわれています。例祭では、神さまの御神徳を称え、皇室のご安泰、氏子・崇敬者の繁栄、五穀豊穣などが祈られます。二月に行われる祈年祭(きねんさい)、十一月に行われる新嘗祭(にいなめさい)とともに三大祭の一つに定められています。例祭の期日は、神社によってそれぞれ異なりますが、おまつりされている御祭神に関係のある日や、神社が創祀(そうし)された日など、御祭神や神社に特別にゆかりの深い日が選ばれています。この日、境内では流鏑馬(やぶさめ)・相撲(すもう)などの神事や、御神楽(おかぐら)・獅子舞(ししまい)などの芸能が行われる神社もあります。参道には露店が並び、境内は大勢の参拝者でにぎわいます。また、神輿渡御(みこしとぎょ)が行われる神社もあり、ふだんはご本殿にお鎮まりになっている神さまが、お神輿にお乗りになり、親しく氏子近くにお渡りになります。


祝詞(のりと)について

神主が神前で神々にむかって言上するときの言葉。地鎮祭、結婚式、葬場祭、解体(建物を解くこと)時、新車清祓、ほか、色々な行事の際に祝詞をあげる。神主は場合に応じ祝詞を作文する。
祝詞(のりと)の語源は「のりとごと」(宣之言・宣処言・宣呪言)であるとする説が従来もっとも一般的であったといえる。神職などの奉仕者が祭神に祭祀の意義や目的を奏上する言葉(人間が神に対してみずからの祈願するところや、神を称えるこころを表現するために記した文章)を意味するものであるが(奏上体)、古くは祭祀の場に参集した人々に宣り下される言葉でもあった(宣命体)。「のりと」の「のり」には「宣り聞かせる」という意味が考えられることから、宣命体の祝詞が本義を伝えるものであると考えることもできる。


大祓(おおはらえ)について

「大祓(おおはらえ)」は遠く平安の昔から、毎年6月30日と12月31日の夕刻、宮中をはじめ、全国の神社でおこなわれるお祓いの行事である。祓物(はらえつもの)を出して、祓戸の神の神威によって罪穢を解除(げじょ)する儀式であり、半年毎に恒例のものとしておこなわれるので「二季の祓」と称する。
大祓式で唱えられる祝詞が「大祓詞」(おおはらえのことば)。送り仮名として使われている漢字は万葉仮名で、約900字の漢字で成り立っている。「祓」の行事は神話にも語られており、もっと以前からおこなわれていたが、大祓詞の成立は平安期以前といわれている。大きく二段に分かれていて、前段は豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)、つまり日本国の成り立ちが語られ、後段では「祓」をおこなうと罪穢がどのように消滅するかが語られている。
日本人は「清浄」を尊ぶ民族である。人間はこの世に神から命を授かり、神の子として生まれてくる。神の心は「清らか」だが、この世に生を受け、現世の世俗の生活の中で知らず知らずのうちにいろいろな罪穢に触れゆく。悪事を働くことだけが罪穢ではない。嘘をついたり、人を憎んだり、怒り、嫉みなども罪穢となる。罪穢が体に溜まってくると、これは良いはずがない。身体の中の氣力とか元氣の元である「氣」が衰えてくる。「氣」は、まさに生命のエネルギーそのもの。
【「氣」が枯れる】これが「穢(けがれ)」の語源である。それを祓い清めることによって、枯れた「氣」をよみがえらせる。そうして清らかな氣持ちで、活力あふれる生活を再開する。それが「大祓」の意義である。



恒例祭について

神宮のお祭りは、恒例祭(こうれいさい)と臨時祭(りんじさい)に分けることができます。恒例祭とは、毎年定められた日時に行われるお祭りでその内、神嘗祭(かんなめさい)と6月・12月の月次祭(つきなみさい)は古来、三節祭(さんせつさい)といわれ、重要なお祭りです。また、これに祈年祭(きねんさい)と新嘗祭(にいなめさい)を加えて、五大祭と呼ぶこともあります。臨時祭とは、皇室・国家に重大事があったとき、臨時に行われるお祭りです。

  参考:神宮のお祭りと行事 恒例祭


神饌(しんせん)について

神に供える飲食物の総称。御饌(みけ),供物ともいう。新鮮で清浄な,海川山野の産物や,酒,塩,水などを常に供える。
神饌は神様に捧げるお供え物です。四季おりおりの新鮮な物を選ぶことが大切です。お祭りの規模によっても量が変わりますが三方(供える台)5台から7台程度準備することが必要です。(1台は大皿一盛程度)尚野菜の中には、ニオイの強い物(ニンニク・ネギ等)は除くようにします。

お米は1升ほど準備して下さい。
そのままお供えすることもありますが、よく洗って供えることも
あります。
酒は1升ほど準備して下さい。祭典後の直会(なおらい)にも
用います。
タイがよろしいが、その他の魚(頭付)でも結構です。
小さい場合は2匹準備して下さい。
海 菜 こんぶ・寒天・のり・ひじき・わかめ等、5種類程度。
野 菜 大根・人参・ナス・キュウリ・ホウレン草等。
色どりを考えて季節のものを5種又は7種類程度。
果 物 りんご・みかん・ぶどう・なし・バナナ等季節の物を5種類程度。
塩・水 塩1合、水1合 程度

直会(なおらい)について

神祭りの終了後,司祭者と氏子のおもだった者が神供を降ろして共同飲食することをいう。相嘗 (あいなむ) るの意のナムリアイがナウリアイとなまり,さらにナオライに転じたという説もあり,これによれば神人がともに食事をすることに本義が求められる。直会とは、祭りの終了後に、神前に供えた御饌御酒を、神職をはじめ参列者の方々で戴くことをいいます。古来より、お供えして神々がお召し上がりになられたお供え物を人々が戴くことは、その妙なる恩頼(みたまのふゆ)を戴くことができると考えられてきました。この供食により神と人が一体となることが、直会の根本的意義であるということができます。簡略化されたものとして、お酒を戴くことが一般的な儀礼となっていますが、これは御酒が神饌の中でも米から造られる重要な品目であり、また調理をせづにその場で直接戴くことができるため、象徴的におこなうものとなりました。神々にお供えした物を下げて戴くということは、天皇陛下にあらせられましても、毎年の新嘗祭の際に、親しく新穀を神々に捧げ、また御自らも聞こし召されるという儀礼に見ることができ、「神人共食」という祭りの根本的意義が示されています。
直会の語源は、「なおりあい」とする説があります。神職は祭りに奉仕するにあたり、心身の清浄に努めるなど、斎戒を致します。神社本庁の斎戒に関する規程には「斎戒中は、潔斎して身体を清め、衣服を改め、居室を別にし、飲食を慎み、思念、言語、動作を正しくし、汚穢、不浄に触れてはならない」とあるよう、通常の生活とは異なるさまざまな制約があり、祭りの準備から祭典を経て、祭典後の直会をもって全ての行事が終了し、斎戒を解く「解斎」となり、もとの生活に戻ります。「なおらい」の語源は、「戻る=直る」の関係を示して直会の役割を述べたものであり、直会が祭典の一部であることを指しています。 直会が神事として一般の宴とは異なるのも、こうした意義をもっておこなわれているからなのです。



出産と育児に関する神事について

妊娠と戌の日
戌の日(いぬのひ)とは十二支の11番目で、12日に1度めぐってきます。戌の日の祝いとは妊娠5ヶ月目に腹帯を巻いて安産祈願のお参りをすることです。犬は多産なのにお産が軽いことに、あやかっています。現在では妊婦さんのだいたい半分程度の人が戌の日祝いをしているようです。
戌の日のといっても、聞いたことがあるだけで妊娠するまで知らなかったという女性の方や、男性の方では全く知らないという方もいらっしゃるかと思います。そもそも戌の日は、十二支の戌に当たる日のことです。妊娠5ヶ月目に腹帯(岩田帯)を巻いて安産祈願をするのが主流となっています。
戌の日に安産祈願をするのは昔から伝わる風習で、昔は妻の実家から代々受け継がれた腹帯を使用するというのが普通でしたが、最近では、お参りの日に腹帯(岩田帯)を購入する方もいらっしゃるなど、実家から受け継ぐ風習はうすくなってきているようです。また、安産祈願はほとんどの神社で行われています。

安産祈願
出産後も新生児に対するさまざまな行事がおこなわれます。生後三日目(地域により相違あり)に浴びせる湯のことを産湯といいます。産湯とは産土さまがお守りくださる土地の水のことで、産湯で子供の身体を清め、発育を願います。この湯に塩や酒を入れると風邪をひかないともいわれています。

お七夜
赤ちゃんの生後7日目が「お七夜」です。昔は生後すぐの死亡率が高かったため、1週間たてば一安心と、盛大にお祝いを行ったようです。法律上は、生後14日間のうちに赤ちゃんの名前を届け出ればOKです。
赤ちゃんが生まれた家の当主は、親戚などを招き、一族の長老に「名付け親」をお願いして「命名式」を行ったあとに祝宴を開きます。祝い膳は、赤飯と尾頭付きの魚、刺身などで、魚はおめでたい鯛が使われることが多いのですが、大きくなるにつれて名前が変わる、ブリやボラなどの「出世魚」も好んで用いられました。現代では、母子の「退院祝い」として、両家の両親を呼んで、または夫婦だけで祝うケースが多いようです。
命名書の書き方は、奉書紙または半紙を横二つ折りにし、さらに縦3等分で左右から折りたためるよう折り目をつけて開きます。三つ折した真ん中右側に小さく「父親の氏名・続き柄(長男など)」・真ん中中央に「命名した名前」・真ん中左側に小さく「生年月日」を、左側の右側に「命名式の日付」と「親の名前」(名付け親がいる場合はその左側に「命名者 ○○○○」)、右側に「命名」と記入し、神棚か仏壇に供えます。役所に出生届を出したら下げて、奉書紙で包んだへその緒と一緒に箱に収め、水引をかけて保存しておきます。
略式では、市販の命名書や半紙を使用し、中央に「命名 ○○」と書き、左側(命名書は右側もあり)に生年月日を記入します。神棚などがなければ鴨居や壁、ベビーベッドや赤ちゃんの枕もとの壁ど、目立つ場所にはればよいでしょう。

初宮参り
子供が初めて神社にお参りする初宮参りは、氏神さまに誕生の奉告と御礼をし、氏子として今後の健やかな成長を神さまに見守ってもらうようにと祈願するものです。一般的に男の子は三十一日目、女の子は三十三日目に行われていますが、地域によって異なることもあります。子供の体調や天候などにも気を使い、一般的にはこれらの期日の前後で、最良の日を選んでお参りをします。

お食い初め
生後百日を過ぎると、食べ物に一生困らないようにとの願いから、お膳を用意し食べる真似をする儀式を行います。これを「お食い初め」といい、ちょうど百日目にお祝いをすることから「百日(ももか)の祝い」とも呼ばれます。お膳には赤飯や鯛などを載せ、また地域によっては、歯が丈夫であることを祈り、お膳に小石を一緒に載せるところもあります。

神前結婚式について

昔ながらの伝統スタイルが、逆に新鮮で魅力的!
思わず姿勢を正したくなる厳かな神前式

古くさい、和装が似合わない、親族しか列席してもらえないなど、先入観で敬遠されがちだった神前式。実はかわいい和装も多く、会場の広い神社などでは友人や知人が列席可能なことも。近頃は伝統を重んじるスタイルが逆に新鮮!と神前式は静かなブーム。

神前式を挙げる場所は、本格式なら神社で、式場やホテルの神殿でも・・・
本格的な神前式は神社で行う挙式だが、式場やホテルでも館内神殿での挙式が可能。神前式は親族しか列席できないものと思われがちだが、スペースの関係で40名ほどの収容人数となってしまうことが多いホテルや式場の神殿が理由のよう。収容人数が多ければ友人や知人の列席もOK。

おもてなしを考え、一般に浸透した神前式
神前式の起源って?現在のような神社で行う形に整えられたのは、1900(明治33)年に行われた大正天皇のご成婚が最初。ただし一般に広まったのは第二次世界大戦後。それまでは新郎の自宅に身内の者が集まり、床の間に祭られた神様の前で行うスタイルだった。

三々九度 三度を三度重ねることで、縁起の良い数といわれる陽数、一、三、五、七、九の数の中で最も大きな数である九になり、幾久しく幸せな家庭が続く
ようにといった願いが込められています。


厄払いについて

厄年・厄払いについて知っていますか?

日本には古来から厄年という風習があります。
詳しく調べていくとどうも陰陽道に起源があり、平安時代のころから言われていたことらしいのですが、その科学的な根拠や由来についてははっきり分かってはいません。厄年は人生の中で3回訪れます。まったく厄が訪れる年があるなんて迷惑な話です。男女でその年齢は違っており、男性の場合25歳・42歳・61歳。女性の場合は19歳・33歳・37歳が挙げられます。(いずれも数え年)その内男性では42歳、女性では33歳の厄年を大厄と呼び、最も大きな災厄を呼びやすい年齢と言われています。科学的な根拠もないのに信じられている理由として、これらの年齢では男女ともに人生に転機を迎えやすい時期であるからではないでしょうか。19歳と25歳は高校から大学、大学から社会へと進み環境の変化が大きくストレスもかかりやすいこと、また青春期の問題にもぶち当たる可能性が高いと言えます。
女性は30代に2回訪れますが、これは現代女性の場合結婚出産を迎え体調の変化を起こしやすいこと。さらに親世代が60歳を超えていることが多いため、介護などの問題が出てくることからトラブルが起きやすいものです。男性の最後の厄年である61歳は現代であればそろそろ定年という時期に当たります。体力も衰え病気にかかるリスクも高まる上に自分の人生に対する不安も出やすい時期です。トラブルが起きやすい時期と言えるでしょう。

厄年は前厄・本厄・後厄という分け方がある

まったくもって厄介なのが厄年なんです。その年齢だけが運が悪いならなんとか乗り切る事ができるというものですがその前後の年も災厄が訪れる事があるというからほんとにどうにかならないものかと思ってしまいます。厄年の分け方:本厄は前項にある年齢ですがその前後1年も厄年の一部として考えるのです。女性の場合30代はほとんど厄年でトラブルに注意しなければならないなんて長すぎる!と考える人もいるかもしれません。その年齢の頃は肉体精神ともに変化が訪れやすい時期とも言えます。そのため自分の生活を見直し悪い部分は改めるきっかけにしてみると良いですね。また神社やお寺でお祓いや厄除けに行くことも良いでしょう。

鏡餅の飾り方

 門松やしめ飾り、そして鏡餅といった正月飾りは歳神様をお迎えする準備として飾るもので それぞれに飾る意味を持っています。「鏡餅」の意味や飾り方さらに、お飾りの持つ意味について説明します。

鏡餅を飾る意味
お正月を迎えるために飾る飾りというイメージの強い鏡餅ですが本来は、歳神様を迎えるために供えるお供物です。鏡餅が丸い形は円満を、2つ重ねるのは、かさねがさねを表しています。つまり、円満に年を重ねるという意味です。
お餅は、古くから神様に供える食物の1つで古い時代のお正月には、毎年平たい丸い餅をお供えしていました。年に一度訪れる歳神様にお年玉を与えてもらうためでした。お年玉は「お年魂」で、一年を力強く生きていくために必要な力の源です。また、鏡餅には、お正月の間歳神様が宿るとも言われます。供えていた鏡餅を、鏡開きの日に皆で食べることでそこに宿った力を分けていただくと共に一年間の健康や幸せを願います。
鏡餅を飾る場所
鏡餅を飾る場所は、●一番大きくて立派なものを床の間あるいは玄関先に
●それより少し小さいものを仏壇や神棚に ●さらに台所やご家族の部屋などの大事な場所に小さなものを飾るというのが一般的な風習です。床の間の無いご家庭では、お茶の間やダイニングに飾るといいでしょう。日本では、古くから家の中にも神様がいると信じられてきました。今でも、家の中の様々な場所に小さな鏡餅を飾るご家庭があるのではないでしょうか。どうしてこんなところに?と、思うかもしれませんがその場所にいる神様を祀るという意味があります。それぞれの神様と、その神様に応じた鏡餅を飾る場所をご紹介します。
竈神(かまどがみ)・荒神(こうじん)
かまどや囲炉裏の近くに祀られる火の神様です。マッチやライターが無い時代かまどや囲炉裏の火を絶やさないというのは主婦の大事な仕事の1つでした。一方、火は火事などの災いの元でもありました。火を扱いながらも災いが起きないようにと、神様を祀ったといわれています。鏡餅は火を取り扱う台所に飾りましょう。
納戸神(なんどがみ)
納戸に祀られる神様です。納戸というと物置を思い浮かべるかもしれませんが昔は夫婦の寝室、衣類やお米の収納場所、 赤ちゃんを産む産室として利用される大切な部屋でした。鏡餅は寝室に飾りましょう。
厠神(かわやがみ)
この神様が、トイレの神様です。昔から、厠神は安産や子育てに関わる神様として大切にされてきました。お正月にはご馳走を供えたり、 産まれた子供の健康を願って厠にお参りをする風習もあります。鏡餅を飾る場所は、もちろんトイレです。
水神(すいじん)
井戸や水汲み場に祀られる水の神様です。日常生活に必要な水は、昔も今も変わらずとても大切なものです。キッチンなどの水廻りにも、小さな鏡餅を飾りましょう。
鏡餅は、いつからいつまで飾ればいいか
鏡餅は一般的に12月28日に飾るものとされています。これは、8という数字が末広がりで縁起がよいとされているからのようです。さらに29日は9が「苦しむ」を連想させるため、避けられています。
そして、備えた鏡餅を下げるのは1月11日とされています。こちらはぞろ目で縁起がよいから、というのが理由のようです。ちなみにこの鏡餅を下げる日の事を「鏡開き」と言い、下げるだけではなく家族で食べるのがよいとされています。神様から力を頂ける縁起物ですので、是非、お雑煮やお汁粉にして食べましょう。
鏡餅の飾り方
時代によって移り変わってきた鏡餅の飾り方。地域によっても違いが見受けられます。鏡餅の正式な飾り方は白木の三宝(三方)に半紙を敷き重ねた丸もちを載せその周りに橙(だいだい)、裏白、昆布、ゆずり葉などと縁起物の海の幸、山の幸を飾ります。ご家庭で飾る場合は、基本を抑えておけばこの通りでなくとも大丈夫です。
【基本の飾り方】
1.三宝の上に紙(半紙や四方紅)の端が三宝から垂れるように敷きます。
2.裏白の葉の白い方を前に向けて乗せます。
3.その上にお餅(2段重ね)を乗せます。
4.お餅の上に橙を載せます。
それぞれの名前は、
●お餅を乗せる台が三宝
●お餅の下に敷く赤い縁取りの紙は四方紅(しほうべに)
●緑の葉っぱが裏白(うらじろ)
●紅白で稲妻状に折られている紙は御幣(ごへい)
●お餅のてっぺんには橙(だいだい)
●その後ろにあるのが扇になります。
ご家庭で、三宝が無い場合はお盆でもいいですし橙が無い場合は、みかんで代用しても大丈夫です。また、昆布や串柿(干し柿を串にさしたもの)海老などを飾る地域もあります。
お飾りとその意味
鏡餅のお飾りにも、それぞれに意味があります。 主なお飾りについて、1つずつ見ていきましょう。

橙は、その年になった実を落とさずに次の年にも、また次の年にも新しい実をつけます。一度なった実はおおよそ4〜5年は落下しません。何代もの橙が1つの木についているところを家族にたとえ家系代々の長寿や繁栄を願う縁起物として飾ります。

扇の形は末広がりに通じるとされ末永く繁盛しますようにという願いが込められています。
串柿
柿は「嘉来(かき)」(喜び幸せが来る)に通じる縁起のいい長寿の木です。幸せをかき集めるという意味があります。通常10個(外側に2個、内側に3個と放して指したものが2つ)飾られていますが、これは「外はにこにこ、仲むつまじく」という語呂合わせになっています。
御幣
御幣の赤い色は、魔除けの意味があります。また、白一色のものは、四手(しで)と呼ばれます。四方に大きく手を広げ、繁盛するようにと願うものです。
海老
海老の姿かたちになぞらえて腰が曲がるまで長生きするようにと祈るものです。
四方紅
四方を紅で縁取ることで、天地四方の神を拝し災いを払い、一年の繁盛を祈願するものです。
裏白
裏白は常緑樹のシダで、葉が左右対称に生えるので対になっているとことから、夫婦円満を意味します。また、古い葉が落ちずに新しい葉が出てくることから
橙と同じように家族の繁栄を願う気持ちも込められています。さらに、裏白の葉は、表が緑で裏が白いことから心に裏表が無い「清廉潔白」を表すとともに白髪になるまでの長寿を願うものです。
昆布
喜ぶの語呂合わせ そして、子生(こぶ)(子供が生れる)の意味があります。
 

身内のご不幸と神社参拝

古くから日本では家族や親族に弔事があった場合、故人を偲び哀悼の意を表します。
また自身の深い悲しみと辛さを乗り越える一定の期間を設けます。この期間のことを「服忌」(ぶっき)と呼びます。「服」とは故人への哀悼の気持ちを表す期間(喪中)、「忌」とは故人の祀りに専念する期間(忌中)といわれます。
古くから日本には、家族や親族に「弔事」があった場合、故人のご冥福をお祈りするとともに、心の痛みを拭い去り不幸を乗越える節目として、一定の期間喪に服し、行動を慎む慣習があります。地域により差異がありますが、歴史的な習慣や現代生活を検討し、神社本庁では下記のようにまとめておりますのでご参照下さい。

忌中(きちゅう)と喪中(もちゅう)

忌中
故人の死を悼み、御霊(みたま)を鎮める期間
神事や結婚式、公の行事への出席や派手な行いを控え、慎んだ生活を送ります。
(お祝い事やお宮参りなどの神事は忌明け後に延期します)
※同居家族の場合≪忌明け≫は50日(仏教では49日)
※忌服期間の目安


故人との関係  忌中期間
父母  50日
配偶者  50日
祖父母  30日
兄弟姉妹  20日
子ども  20日
 10日
叔父叔母  20日
従兄弟従姉妹  1〜3日


忌中の行動
忌中は故人を偲ぶことに専念する期間ですので、神社への参拝やお祭り、結婚式やお祝い事への出席は控えるようにします。神棚があるご家庭では、神棚に白紙を掛けお参りを控えます。お正月をまたぐ場合は初詣も控え、神棚の御札は忌明け後に受けましょう。やむを得ず期間中に参拝する場合は、あらかじめ神社にご相談され、お祓いを受けてから参拝します。
忌中(最長50日)が過ぎれば、通常通り神社へ参拝や神棚のお参りをしていただいて差し支えありません。

忌中の神事について
お葬式を出された場合(ご家族が亡くなられた場合)
ご不幸があった場合は、神棚の正面に白紙を貼り拝礼を控え、忌明け後白紙を外し、平常通りお参りします。忌明け後であれば春祈祷などの神事や正月行事は通常通り行います。忌中に新年を迎えた場合は、忌明け後にご家族揃って神社にお参りして、新しいお札を受けます

親族にご不幸があった場合
(別居の)親族にご不幸があった場合<喪>に服しますが、家そのものは忌中とはなりませんので、神棚やお札は平常通りをおまつりします。
忌中であっても、近親者(親兄弟、子供、祖父母、孫)以外の場合は平常通り正月行事や神事を行います。

喪中
忌明け後、悲しみを乗越えて平常の生活に立ち返っていく期間
故人を神さま・ご先祖さまとして敬いの気持ちを持ってお参りします
※忌明け直後は、派手な宴席・慶事は控えますが、生活は普段通りに行ないます。
※神事や正月行事なども平常通り行います

喪中の期間
一般的には13ヶ月(約1年間)といわれていますが、故人との関係により変るようです。

喪中の行動
忌明け直後は、派手な宴席などへの出席は控えるべきでしょうが、忌中を過ぎれば神社への参拝、神棚のお参りなど、日常生活を営んでください。
もちろん近親者が亡くなるということは悲しむべきことであり、心の沈むことです。しかしいつまでも悲しみに暮れていてはいられません。日常に戻らなくてはいけません。

まとめ
身内にご不幸があるということは、誰しも悲しく辛く心が引き裂かれる思いをすることでしょう。この沈んだ気持ち、暗い気持ちで神様と接することは控えたほうがいい、私達のご先祖様はそうお考えになりました。この神様との関係を控える期間が「忌中」であり、過去も現在もおおよそ「50日」を最長と考えてきました。一方で、忌明けから段々ともとの生活に戻るため、少しずつ元気を取り戻すための期間が「喪中」です。これは約1年間かけて元通りの心に戻るための期間です。戻るための期間ですので、今まで控えていた神様との関係(参拝)も行ってよいのです。

その他

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