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鉾八幡宮 奉祀(ほうし)祭神
☆大鞆別命(おおともわけのみこと)(応神天皇)
☆息長足媛命(ながたらしひめのみこと)(神功皇后)
☆玉依媛命(たまよりひめのみこと)(女性神)
鎮 座 天正6年(1578)橘城主大平伊賀守国秀建立
由 緒 財田三郷の御神体の鉾を祀る
鉾の由来 古事記より「天の沼矛」の記・・・生成発展の根源
神 宝 銅鉾:3剣、木造狛犬:1対(邪気除け・守護)
社 殿 神明造り(銅板屋根)
鳥 居 八幡鳥居
例 祭 10月第一土、日曜
境内末社 高良社 宝田宮社 稲荷社
境 内 地 49,940u(15,040坪)
御鎮座の由緒
財田三郷とよばれていた財田上、財田中、財田西にはそれぞれ御神体として鉾がお祀り(まつり)されていた。
天正六年(1578)時の橘城主大平伊賀守国秀が、現在の七尾山に社殿を建天正六年(1578)時の橘城主大平伊賀守国秀が、現在の七尾山に社殿を建立。財田郷鎮護の神として、この三郷の鉾を合わせ祀り、伊予国三島宮神主 宮崎大和守を祀官として迎え、以来財田郷総氏神として祭事を継承現在に至る。
鉾の由来
鉾は矛・鋒・或いは穂木(ほこ)等の字で現されている。古くは武器であったものが、平安時代以降、皇宮祭儀の儀仗、或は神事芸能の(執)物として使われて来たものである。神代の昔、天神は伊邪那岐、伊邪那美の二神に「天の沼矛」を授けて国作りを命じられ、二神はその矛の先よりしたたり落ちる潮が凝り固まりて出来た島に降り立ち国生みがなされた(古事記)即ち、矛は生成発展の根源を成すものであり、神と人、人と人との仲をとり結ぶ絆として尊び、時として神の宿る御神体として祀り、或は神宝として神前に飾り「まつり」の御道具として用いられている。財田郷総氏神は郷土の安泰と生成発展の願いをこめて、鉾を御信宝として祀られている。
鉾八幡宮では、御神体が鉾であることから鉾八幡宮と奉称されている。
毎年10月第1土・日には例大祭が開催され11頭の獅子舞による
一斉点検は一見の価値があります。
本 殿 | |
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石灯籠 |
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拝 殿 |
手水舎 | |
社務所 | |
摂 社 左側:高良舎 中央:神輿蔵 右側:宝田宮 |
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高良社(こうらしゃ) 祭神:竹内宿禰/鎮座:文亀2年(1502)慶安4年(1651) 社殿:神明造り その他:石積 |
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宝田宮(たからだぐう) 祭神:日清・日露26柱/大東亜戦争283柱 合祀祭神:大久保甚之丞、正木美隣、岩崎直太 社殿:明治40年財田町建立 例祭:4月第一日曜 |
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第15代目 宮崎康平宮司 顕彰碑 節を守里 真を求める |
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第16代目 宮崎康定宮司 顕彰碑 |
御旅所 | |
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鳥 居 |
本 殿 拝 殿 |
宮坂稲荷神社 祭神 宇迦之御魂神 佐田彦神 大宮能売神 鎮座 昭和9年京都 伏見稲荷より勧請 (当時商工会長小野 勘三郎による) 例祭 1月第一日曜 |
掲示板 林倉建一氏作製 2016.12.18完成 |
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