日本に仏教が入る以前からある宗教。自然崇拝として、山、海、川、草木石までを崇拝し、また、先祖崇拝として、亡くなった祖先を崇拝したのが、神道の始まりで、それが現在の「八百万(やおおろず)の神」として、浅間神社、熊野大社(山)、住吉大社(海)などがあり、境内に御神木や御神石などがあり、また、人では武田神社、明治神宮など人を祀る神社があります。各地の神様(神社)の頂点となる所は、ご存知「伊勢神宮」で皇室の宗廟となっていて、内宮は日本書記等でかれている「アマテラスオオミカミ(天照大神)」が祀られています。神道自体、「各信仰」としてなっています。先ほどの山岳信仰の「熊野大社」は「熊野信仰」今大河ドラマで有名になった「諏訪大社」は「諏訪信仰」・・諏訪大社は大国主命の子・タケミナカタノカミを祀っています。学問で有名な「太宰府天満宮」などや各地の「菅原神社」は「天神信仰」・・もともっとは、火雷天神(怨霊の神)を静めるためのものが、菅原道真が亡くなって以後、世の中が飢饉、飢餓などや、当時の政治では皇太子の若い死で、道真の怨念とされ、それが火雷天神と結び付き、天神=道真となりました。大分県の「宇佐神宮」や鎌倉の「鶴ヶ丘八幡宮」や各地の「八幡宮」は「八幡信仰」・・八幡大神を祀る信仰で、八幡大神は応神天皇の事です。京都、「伏見稲荷大社」や各地、各家庭に祀っている「稲荷神社」「お稲荷さん」は「稲荷信仰」・・稲荷とはキツネの意味でなく、稲生り(いねなり)が語源で、五穀豊穣を祈願する信仰です。滋賀県「日枝大社」や各地の「日枝神社」は「日枝、山王信仰」・・琵琶湖一体を支配する祭神のオオヤマクイノカミが大社に祭られて、天台宗の最澄が、日枝山に入山、修行したことで「比叡山 延暦寺」が出来、天台宗の学問の中に、山王祠(さんのうし)があり、日枝信仰=山王信仰となりました。大阪「住吉大社」や各地の「住吉神社」は「住吉信仰」・・海の神である筒之男(つつのお)三神を祀っています。香川県「金毘羅宮」や「金毘羅神社」は大物主神(オオモノヌシノカミ)の「金毘羅信仰」先ほどの武田神社は武田信玄、明治神宮は明治天皇、昭憲皇太后を御祀りしています。ほかに、恵比寿信仰の西宮神社・美保神社、祇園天王信仰の八坂神社、宗像信仰の宗像大社・厳島神社などがあります。ですから、その地域その地域で生まれた信仰が、日本の神様となり、それが日本独自の宗教である神道となります。
「鳥居がない神社はまずない」ということや「地図記号でも鳥居が使われている」ということからも鳥居は神社にとって大切なものだということがわかります。神社のシンボルです。神社は神聖な場所なので、鳥居が外の世界との境界にあることで「ここから内側は汚してはいけない」ということを示しているのかもしれません。しかし、鳥居の起源は今のところ明らかになっていません。古代の神道において、柱状にそびえたつものを神さまが降りてくる時に目印としていたことから「神さまの目印」や古代信仰において鳥が神さまの乗り物だったことから、鳥居が「鳥の象徴」だという説もあるようですが、解明はされていません。
鳥居には数多くのバリエーションがあります。大別すると神明系と明神系の2系統があり、明神系のほうが、装飾性が強いのが特徴です。鳥居から社殿に続く道を参道と言いますがその中央は、正中といって神の通り道とされるので、避けて歩くのが作法とされています。
明神(みょうじん)型鳥居 神明(しんめい)型鳥居
神社の呼び方には「○○神社」また明治神宮のように「○○神宮」、そして「○○八幡宮」や「○○大社」「○○社」など様々な呼び方があります。はじめに明治神宮のように「○○神宮」と称するものには、そのほかに熱田神宮・香取神宮・平安神宮などがありますが、これらは古代から皇室と深いつながりを持つ神社、あるいは天皇を祭神とする神社です。また北海道神宮・英彦山神宮は戦後になって「○○神宮」を称しましたが、その際には特に御聴許を願い出た上で改称しています。そして「神宮」といった場合、これは伊勢の神宮を指します。「伊勢神宮」は通称で「神宮」が正式な名称です。
「○○宮」には鎌倉宮(護良<モリナガ>親王<後醍醐天皇の皇子>をまつる)のように親王(嫡出の皇子および嫡男系出の皇孫である男子の称号)を祭神とする神社のほかに筥崎宮のように古来から「○○宮」と称する神社があります。また東照宮(徳川家康をまつる神社)・水天宮(祭神は安徳天皇。舟人の守護神として尊信が篤い。全国水天宮の総本社)・天満宮(菅原道真をまつった神社の宮号)・八幡宮(大分県宇佐市に鎮座する宇佐八幡宮を全国八幡の総本社とする。一般に応神天皇・比売(ヒメ)~・神功皇后をまつる)のように伝統的な呼称(神仏習合時代に成立した呼称が多いようです)に基づくものもあります。
つぎに「○○大社」については、かつての官国幣社制度※7の下では出雲大社だけが「大社」を称しました。しかし、戦後になってからは住吉大社・春日大社・諏訪大社・三嶋大社・富士山本宮浅間大社などのように、「大社」の呼称が増加しています。この基準としては全国に多数ある同名の神社の中で宗社にあたる神社であって、旧社格が官幣大社・国幣大社であることを基本としています。いずれにしても今日では、これら呼称の違いは神社の格の上下を律するというより、由緒に定められているものといえます。「○○社」の称号は、大きな神社から御祭神を勧請した神社に用いられ、神明社(中世以降、伊勢神宮の神霊をまつった神社)や天神社(菅原道真)などがあります。
神さまが鎮座されている建物が本殿(正殿)で、参拝のための建物が拝殿です。しかし、すべての神社に本殿と拝殿があるのかというと必ずしもそうではありません。たとえば、奈良県の大神神社には本殿がありません。これは三輪山を神体としているためで、参詣者は拝殿からお山に向かって拝礼することになります。一方、小さな社では拝殿などはなく、神体を納める本殿だけというところも少なくありません。このように神社によって本殿・拝殿があったりなかったりするのは、社殿が造られるようになるまでの歴史が大きくかかわっています。
もともと神道の祭祀空間には常設の建物は建てられていなかったと考えられています。これは、神さまは神社のような場所に常住するとは考えられていなかったからです。こうした神道祭祀に変化をもたらしたのは、仏教の伝来でした。壮麗な建物を建立する外来の宗教の到来に対抗するには、「神社にも常設の社殿が必要だ」と祭祀者たちは考えました。しかし、当時の最先端技術を駆使した寺院建築とは対照に神道祭祀者たちはあえて古代の建築様式を神さまの館に選んだのです。
神社でわれわれを迎えてくれるのが狛犬。ときには愛嬌さえ感じますが、彼らにもちゃんと役割があります。悪しきものが入らないように見張っているのが狛犬。狛犬は犬の字はついているけれど本当に犬なのでしょうか?じつは狛犬と呼び慣わされているけれども、右と左は別の生き物だとする説があります。
頭に角があって口を閉じているのが狛犬で、角がなく口を開いているのが獅子だという説です(開口を「阿形(あぎょう)」、閉口を「吽形(うんぎょう)」ともいう)。狛犬は空想上の動物で、その名前も「高麗犬」つまり「外来の動物」と言えます。
正確な時期はよくわかっていませんが、狛犬は仏教と一緒に伝来したといわれています。聖域の入り口や神像の周囲などに守護の獅子像などを置くということは、西アジアを中心におこなわれてきました。こうしたものが朝鮮半島を経て日本に伝わったと思われます。一対を阿吽の組み合わせにするのは日本独特なもののようです。
ちなみに、神社の境内に鎮座している動物は獅子・狛犬だけではありません。稲荷社に行けば狐が社殿を守っています。一見、狛犬が狐に替わっただけのように見えますが、意味は少し異なります。狛犬が神の番犬であるのに対し、稲荷社の霊狐は神のお使いになります。これを神使(しんし)、または「つかわしめ」といいます。
神使はほかにもあります。有名なところでは、天満宮(天神社)の牛、日吉社(日枝社・日吉社)の猿、春日社・鹿島社・厳島社の鹿、熊野社・住吉社・羽黒社・諏訪社の鴉(からす)、八幡社の鳩、三峯社・宝登山社の狼などがあります。
全国の神社については、皇祖(こうそ)天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする伊勢の神宮を別格の御存在として、このほかを氏神神社と崇敬神社の二つに大きく分けることができます。氏神神社とは、自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を氏子(うじこ)と称します。元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、自らの祖神(親神)や、氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来し、この血縁的集団を氏子と呼んでいました。現在のような地縁的な関係を指しては、産土神(うぶすながみ)と産子(うぶこ)という呼称がありますが、地縁的関係についても、次第に氏神・氏子という呼び方が、混同して用いられるようになりました。これに対して崇敬神社とは、こうした地縁や血縁的な関係以外で、個人の特別な信仰等により崇敬される神社をいい、こうした神社を信仰する方を崇敬者と呼びます。神社によっては、由緒や地勢的な問題などにより氏子を持たない場合もあり、このため、こうした神社では、神社の維持や教化活動のため、崇敬会などといった組織が設けられています。氏神神社と崇敬神社の違いとは、以上のようなことであり、一人の方が両者を共に信仰(崇敬)しても差し支えないわけです。
神社のみならず、お寺さんでもよく見かける石燈籠は、日本的風景のアクセントでもあります。しかし、燈籠は仏教に起源をもつものなのです。仏教において燈明は重要な供物とされてきましたが、神道はむしろ闇を大切にする宗教でした。「くらやみ祭」といった名前が残っているように、お祭りの最重要な儀礼は深夜の浄闇のなかでおこなわれることが多かったのです。
しかし、闇を大切にする神道でも仏教の影響で燈籠が増えていきました。これは神仏の習合が進み、神社にも仏教的な建物が建てられたり、仏教的な儀礼がおこなわれるようになり、神社の境内にも燈籠が採り入れられるようになったためです。たとえば、奈良県の春日大社には多くの燈籠があるのですが、これは、万燈籠という仏教起源のお祭りをおこなうためなのです。ちなみに、境内における燈籠の立て方としては、堂・社殿の前に大きなものを一基だけ置くというのが古い形式です。