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名前をあげると“おれがでてないぞ”ということになりますからあえてあげませんがわたしの落選を泣いてくれる人もいま
した。「こんなわたしのためになんて有難いことでしょう」
でも、わたしは涙を見せないように明るく応じました。暗い時には、明るさと元気さが一番です。
これは泣き虫だった母の教えです。そしてわたしは選挙の内部事情は一切話さないと心に決めました。明るく元気でな
ければならなかったのです。但し、一言お断りをしておかなければなりません。
それは矢木氏及び森川氏を支援した陣営からのわたしへの非難はなかったということです。これはわたしにとっての救
いでした。そして、国鉄出身の故阿部祐造氏は長身を折り曲げてわたしをこう励ましてくれました。
「ケンチャン、ご苦労さん。辛い思いをさせたね。ぼくは矢木を当選させるのがやっとでケンチャンの応援はできなかった
けどゴメンナ。党が前進するための必要な陣痛だと思ってくれないかな。自民党などは、他の党も同じだが、わが党を
除いて通年選挙をしている。ところがわが党の方が安易な経験主義の選挙をしている。そこでこの前の党大会で“通
年選挙は各党派では当たり前。選挙の日時が切迫してから選挙闘争に取りかかるというこれまでの欠陥を大胆に改
める必要がある。一つの選挙が終わったら、ただちに次期選挙の候補者も決め、候補者も党組織も三つの任務(大
衆の要求に応える日常活動、不断の大衆宣伝、党勢拡大)にもとづく活動を系統的、計画的にすすめなければなら
ない”と決定している。ところが現実は方針どおりできてない。この弱点を克服するためにもケンチャンがんばってよ」と。
この大先輩の励ましは心にじんと響きました。もう一つ心に響いた忠告がありました。森山支部の小野原さんです。
この方もわたしの先輩です。「田畑さん。あなたはいつまで民商、民商と言っているのですか。あなたは日本共産党の
公認の候補者なのです。日本共産党なのです。民商から立候補するのではないのです。日本共産党の候補者とし
ての自覚を持ってがんばってください」これはこたえました。グーの音もでません。こうしてわたしは自分の弱さも知ること
ができました。本当に有難いことだと思います。
わたしもいつかこんな先輩のように心に響く励ましや忠告がいやみなくできるようになりたいなあと今でも思っています。
つづく