4(捨石でいい!)

 落選後、友人のすすめるとおりわたしは党大会決定を読み返しました。

 2年前の第14回大会(1977年10月)でした。宮本委員長(当時)は“ベトナム人民が世界最大の帝国主義アメリカを打ち破って全

面的勝利を勝ちとり、ベトナム社会主義共和国を建設した”と報告し、わが国でも自民党とその補完勢力と対決できる“強大なわが党の

建設をしよう。そのためにも分散主義、官僚主義に注意し、誠意、善意、努力の党風の確立をしよう”と強調していました。

 1977(昭52)年の党は高揚の時期であると同時に反共の動きの非常に強められている時期でもありました。社会党(当時)は共産党

と手を組み革新統一戦線をめざすのか、それとも自民党の側へ右傾化していくのか、との党内論争が行われていました。‘70年代のそう遅

くない時期に民主連合政府を!の目標に向かって努力中の80年まであと2年という時期の大会でした。党大会決定を読み、わたしはあ

る決意をしました。

 自民党の反撃で政局が大きく揺れ動いている時でした。決議の4、「国政革新の大局的展望と任務」の冒頭部分ですが、その頃の状

況がよくわかります。

 「わが党は、1970年の第11回党大会以来、“70年代のそう遅くない時期に民主連合政府を樹立する”という展望をかかげてきた。

各分野の危機の進行は、民主連合政府による国政革新をいよいよ切実な国民的課題としており、われわれは、危機を打開し、日本の

民主的再生を実現できるただ一つの道として、革新統一戦線と民主連合政府の旗を、いっそうの抱負と確信をもって高くかかげなければ

ならない。70年代をあと2年残すだけという今日の時点でなお革新統一戦線が未結成のままであり、自民党・財界の反攻の前に革新勢

力が国政選挙での後退を経験してきた現状のもとでは、民主連合政府の樹立をめざすこの闘争を、より長期的な視野で展望することが

必要となってきている。・・・・・。

 日本の進路をめぐる二つの道の政治的対決は、政治戦線では、自民党や反共「中道」諸党、新保守派などの体制擁護勢力と、革新

3目標を追求する革新勢力との対決を軸として、70年代から80年代にかけて展開されるだろう。

 すでに現在の政局には、小選挙区制強行で自民党の単独多数支配を復活させようとする日本型ファシズムへの底流とともに、反共野

党の“新与党化”による新たな多数派形成の動きが、具体的な姿であらわれており、今後この二つの流れがたがいに補完しあいながら革

新の潮流と対決し、自民党政治たて直しの力としてはたらくことは疑いない」

 続けて、「自民党と反共野党の連合政権ができることも予想されるが、それは“よりまし”ではなく、自民党政治を継続する“保補連合”

政権でしかないだろう」と結んでいます。

 わたしは「そうだ!ともかく前に進もう。わたしは捨石でいい」と思いました。

                                                                  つづく      
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