旧海軍飛行機プラモデル1ページ
旧海軍飛行機(艦上戦闘機)


零戦は日中戦争後期から第二次大戦の終戦まで(5年)改良され、闘い続けました。

ここの最新作は、一番下、48分の1スケール架空迷彩機 『零戦21型』です。

 中島 九〇式艦上戦闘機二型 (A2N1−2) 報国12・横須賀号
ファインモールド 72分の1 製品番号 FP−21 定価 1900円

 一型は、当時現用の三式艦戦開発者・吉田孝雄技師が携わっていましたが良い結果がだせず、主務者を
栗原甚吾技師に据えて新型エンジンの採用と機体の改修軽減に努めた結果、格段の性能向上が認められ昭和7年4月に九〇式艦戦として採用されています。(1932〜35)(35〜36と短命の九五式艦戦も存在ますが、プラモは無いです)

全幅 9.40m、 全長 6.183m、 全高 3.025m、
翼面積 19.74m、 全備重量 1.550kg、 最高速度 287km/h
武装 機首固定7.7mm銃x2挺、 30kg爆弾x2発
 三菱 九六式4号艦上戦闘機 (A5M4) 長崎県大村基地所属機
フジミ模型 72分の1 製品番号 C−SP 定価 1000円

 のちの零戦に多大な影響を与えた、航空力学の先鞭を就けた機体。(沈頭鋲、抵抗の少ない固定脚)設計主務は
堀越二郎技師で、欧米戦闘機性能を超える純国産戦闘機の誕生に貢献しました。空母搭載機では、速度も格闘性能も当時トップクラスでした。(1936〜40)

全幅 11.00m、 全長 7.565m、 全高 3.27m、
翼面積 17.8u、 全備重量 1.671kg、(単座)
最高速度 435.2km/h、 武装 翼内7.7mm機銃2挺
 三菱 零式艦上戦闘機21型 (A5M2b) 台南航空隊 報国号
長谷川製作所 72分の1 製品番号 AP157 定価 1000円

 昭和15年夏から終戦までの5年間、日本海軍の盛衰と共に闘い抜いた代表的戦闘機。これまでの戦闘機航続距離を覆す長距離飛行を可能としました。責めるに強いが(20mm機銃)守りに弱い(防弾板無し)日本刃の様な戦闘機。(1940〜42)


全幅 12.00m、 全長 9.05m、 全高 3.525m、
翼面積 22.438u、 全備重量 2366kg、(単座)(練習用副座も少数)
最高速度 533.4km/h、航続距離 3350km(増槽)、2222km
武装 胴体7.7mm機銃2挺、翼内20mm機銃2挺
 三菱 零式艦上戦闘機32型 (A6M3) 第204空所属機
長谷川製作所 72分の1 製品番号 AP16 定価 1200円

 艦載機特有の折り畳み部分、両翼端を50cm取り払い速度向上を図りますが、旋回性能、航続距離が落ちてしまいました。その為にラバウルの長距離攻撃が出来ないなど、問題点が多く早々と22型に切り替えられました。(1942〜43)

全幅 11.00m、 全長 9.060m、 全高 3.509m、
翼面積 21.54u、 全備重量 2.544kg、(単座)
最高速度 544.5km/h、 航続距離 2380km(増槽)、1800km
武装 胴体7.7mm機銃2挺、翼内20mm機銃2挺
 三菱 零式艦上戦闘機22型 (A6M3) 1943ラバウル航空隊
長谷川製作所 72分の1 製品番号 00377 定価 1200円

 昭和17年1月22日。夜半に上陸を開始した日本軍は、たいした抵抗も受けず東と西の飛行場を占拠します。最初は旧式の九六式艦戦が少数の配備でしたが、少しづつ零戦も増やし、4月中旬には台南航空隊本隊が進出して防備は強靭となりました。航空拠点ラバウルは、最初はポートモレスビー基地攻撃が主任務でしたが、昭和17年8月7日の米軍ガダルカナル島上陸により、
航空消耗戦へと引きずり込まれていきました。ルンガ泊地までの往復距離は約2100kmと遠く、進出後に上空での空戦は厳しい事であったろうと思われます。(緒元は下記と同じです)
 三菱 零式艦上戦闘機22型 (A6M3) 第261空所属機
長谷川製作所 72分の1 製品番号 AP15 定価 1200円

 航続距離が低く不評となった32型に代わり、翼端を12mに戻した型。航続距離も回復し、速度低下も予想ほどではなかったので、22型として採用されます。
性能的には最もバランスの取れたタイプで、主にソロモン方面で活躍しました。(1943〜45)

全幅 12.00m、 全長 9.060m、 全高 3.509m
翼面積 22.438u、 全備重量 2.679kg、(単座)
最高速度 540km/h、 航続距離 全力80分+1480km
武装 胴体7.7mm機銃2挺、翼内20mm機銃2挺
 三菱 零式艦上戦闘機52型 (A6M5) 第653空 瑞鶴指揮官機
長谷川製作所 72分の1 製品番号 AP22 定価 1200円

 大戦後半に主翼の折り畳み部分を再び取り払い、今回は
円形に整形して翼幅を11mとした機体。あまりに零戦の性能が優れていた為、次期戦闘機の開発が遅くなり、零戦の改良ばかりに人員が取られる悪循環が続きます。(54型丙、63型なども存在していました)(1943〜45

全幅 11.00m、 全長 9.121m、 全高 3.570m、
翼面積 21.30u、 全備重量 2743kg、(単座)
最高速度 559km/h、 航続距離 1550km(正規)
武装 胴体7.7mm機銃2挺、翼内20mm機銃2挺
 三菱 艦上戦闘機 烈風11型 (A7M2) 試作4号機
Finemolds 72分の1 製品番号 FP8x 定価 2800円

 零戦の後継機として昭和17年に試作が決定。再び
堀越チームが担当し、エンジンは中島の『誉』を使用しますが、試作機は要求性能に程遠いものでした。その後、機体設計に自信のあった堀越技師は、エンジンを自社A−20に換装し、世界最高水準を記録しました。(1945に8機生産のみ)

全幅 14.00m、 全長 10.984m、 全高 4.28m、
翼面積 30.86u、 全備重量 4.720kg、 (単座)
最高速度 628km/h、 実用上昇限度 10.900m
、武装 胴体13mm機銃2挺、翼内20mm機銃2挺、 爆弾30〜60kgx2個

開戦当初、海軍航空隊の名称は台南航空隊とか鹿屋航空隊など部隊名で呼ばれていました。
昭和17年11月1日の編制改正に伴い、三桁冠称(4桁)の部隊番号で呼ぶ事に統一されます。
たとえば有名な
第343航空隊は、下表の黄印になります。

 最初の数字は機種 偵察機 戦闘機 戦闘機 水上機 艦爆・攻 艦戦 陸攻 飛行艇 海上護衛
 中央数字は鎮守府 横須賀 横須賀 佐世保 舞鶴
 末尾は特設区分
 奇数が常設・偶数は特設
常設 特設 常設 特設 常設 特設 常設 特設 常設

この表に当てはまらない航空隊も存在しますが、御存知の方が居られましたら御教え下さい。
三桁冠称は、新人物往来社「航空隊戦史」近現代史編纂会・編より編集し、
参考比較には、
二見文庫『紫電改びっくりデータ99の謎』を読み、表にしました。

 三菱 零式艦上戦闘機21型 (A5M2) ジャングル迷彩
長谷川製作所 48分の1 (昔に製作したので、記憶に無し)

 これは
48分の1スケールですが、結構気にいっていたのでアップしました。製作したのは、かなり前(1990以前)で迷彩塗装の初期作品だと記憶しています。これは、雑誌に再生された『隼』の迷彩機が載っていて、妙なインパクトがあり、零戦で同じ様な塗装を塗ってみました。零戦の迷彩は、多くが上面は濃緑色・下面が明灰色が標準迷彩でした。少数の迷彩機も、史実ではこの様な塗装はしていないと思われます。


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