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三菱 九七式司令部偵察機1型(キ15−1) 独立飛行第18中隊機
有井製作所 72分の1 製品番号 53010 定価 600円
昭和10年7月、三菱に高速連絡機として内示が出され、開発に入ります。試作機は内示要求速度を30km/h上回る良好な成績で、15年5月制式採用が決定されました。試作2号機は東京・ロンドン間連絡飛行の大記録を樹立しています。(1937〜42)
全幅 12.00m、 全長 8.49m、 全高 3.34m、乗員2名
全備重量 2030kg、 最高速度 480km/h
武装 左翼7.7mm機銃1挺
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三菱 九九式爆撃機/軍偵察機(キ51) 飛行第44戦隊所属機
長谷川製作所 72分の1 製品番号 NP−8 定価 900円
昭和12年末、陸軍は敵飛行場や地上部隊強襲用の襲撃機の試作研究を指示します。九七司偵の実績を元に設計された為、昭和15年には早くも量産型の引き渡しが始まりました。戦争末期には250kg爆弾を抱いて特攻機にも使用されています。(1940〜45)
全幅 12.10m、 全長 9.21m、 全高 2.73m、乗員2名
全備重量 2798kg、 最高速度 424km/h
武装 翼内7.7mm機銃2挺、後席7.7mm機銃1挺
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立川 九九式高等練習機 (キ55) 高等練習機
フジミ模型 72分の1 製品番号 コバルトブルー@ 定価 350円
昭和12年以降、採用される新鋭機は全て金属製単葉機となり、複葉の九五式練習機からすぐ移るには危険を感じていました。その間の練習機として、昭和14年から、九八式直協機を複式操縦装置に改造した機体が直前練習機として採用されています。プラモ設計図には1983年と記載在り。(1939〜43)
全幅 11.80m、 全長 8.00m、 全高 3.64m、乗員2名
全備重量 1.721kg、最高速度 394km/h
武装 機首右側7.7mm固定銃1挺
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立川 九八式直接協同偵察機 (キ36)
フジミ模型 72分の1 製品番号 C−10 定価 1000円
日本軍初の直協偵察機とは、地上軍に直接協力して前線に配備され、偵察はもちろん簡単な対地攻撃まで遂行出来る機種の事です。戦後の残存機体は、戦勝国の中国、タイ、インドネシアなどに接収され長く活躍しました。(1938〜44)
全幅 11.80m、 全長 8.00m、 全高 3.60m、乗員2名
全備重量 1650kg、 最高速度 350km/h
武装 翼内7.7mm機銃2挺
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三菱 百式司令部偵察機U型 (キ46−U) 独立飛行第18戦隊
有井製作所 72分の1 製品番号 53014 定価 1000円
九七司偵の継続機として、速度600km/h、航続力2400kmという性能要求が出され、全くの新設計から開発を始めなければなりませんでした。昭和15年に制式採用し、日華事変末期から太平洋戦争全期で俊速偵察機としてだけでなく、防空戦闘機としても使用されています。(1940〜45)
全幅 14.70m、 全長 11.00m、 全高 3.88m、乗員2名
全備重量 5050kg、 最高速度 604km/h
武装 上後方7.7mm旋回銃
(防空戦闘機タイプは機首に20mm機関砲2門装備)
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三菱 百式司令部偵察機U型改 (キ46−U)
有井製作所 72分の1 製品番号 53016 定価 1000円
U型は、太平洋戦争初期から、全戦域でその高速を発揮して活躍しました。偵察機の中央の飛び出たコブに教官席を追加。しかし、練習機が製造されはじめたのは昭和19年4月〜6月と遅く、中古のU型を70機改造しました。これは本土防空が急務となった為の措置だとおもわれます。
全幅 14.70m、 全長 11.0m、 全高 4.13m、 乗員3名
全備重量 6000kg、 最高速度 604km/h
武装 無し、
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三菱 百式司令部偵察機V型 (キ46-V) 振武桜特別攻撃隊
LS 72分の1 製品番号 A302 定価 800円
昭和17年5月、U型の性能向上を図る陸軍の要求により、発動機の換装及び風防を段無しの流線型に改めた機体です。落下式燃料タンクなども変更され、スピード・航続距離・高々度性能は極めて良好となりました。しかし、戦局の悪化により本来の偵察任務以外にも転用を与儀なくされています。(1942〜45)
全幅 14.70m、 全長 11.00m、 全高 3.88m 乗員2名
全備重量 5724kg、 最高速度 630km/h
武装 無し
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