陸軍プラモデル1ページ

旧陸軍飛行機(戦闘機)


『陸軍機は海軍機より若干劣っていたのでしょうか?』

しかし、陸軍機から海軍に譲渡された機体も少なからず在りました。
航空機メーカーは同じなのですから、上層部の開発方針の違いと思えます。

 中島 九七式戦闘機 (キ27) 満州国軍航空隊所属機
長谷川製作所 72分の1 製品番号 00684 定価 1400円

 昭和10年、
九五式戦闘機の後継機として、川崎キー28、三菱キ33と熾烈な試作競争の結果、制式採用された九七戦は、昭和13年頃より中国大陸に進出。特にノモンハン事変におけるソ連製I−15/I−16との空戦では、得意の格闘戦で優位にたち、多くの戦果を記録しています。(1935〜42)

全幅 11.31m、 全長 7.53m、 全高 3.25m (単座)
全備重量 1.510kg、 最高速度 468km/h
武装 固定89式7.7mm機銃2挺
 中島 一式戦闘機 隼U型 (キー43) 飛行第20戦隊
長谷川製作所 72分の1 製品番号 AT01 定価 700円

 
陸軍の代表戦闘機と言えば、この隼になるでしょう。小さい頃には零戦と全く区別が付かなかったのは私だけでは無いはず・・・。T型との大きな違いは、プロペラのブレードが3枚になった点です。戦域は、中国、ビルマ、フィリピンの陸地の多い処が主戦場でした。(1941〜45)

全幅 10.84m、 全長 8.92m、 全高 3.09m (単座)
全備重量 2.642kg、 最高速度 515km/h
武装 翼内12.7mm機銃2挺
 川崎 二式複座戦闘機 屠龍丁型 (キ45改) 第4戦隊 回天隊
長谷川製作所 72分の1 製品番号 00051 定価 2400円

 双発複座戦闘機は、
後部銃座で攻撃できる利点と共に、単発機に比べてパワーに余裕が在るので重武装にする事も可能でした。本機は37mm機関砲を機首中央に装備している機種も在ります。もともと95式軽戦車の主砲として開発されていた物ですから当れば威力は絶大でした。他にも、夜戦用12.7mm上向砲を装備した機体など在り。(1942〜45)

全幅 15.02m、 全長 11m、 全高 3.70m (複座)
全備重量 5500kg、 最高速度 540km/h

武装 機首中央37mm機関砲1門、20mm機関砲2挺
 川崎 三式戦闘機 飛燕U型改 (キ61−U改) 試作17号機
長谷川製作所 72分の1 製品番号 AT03 定価 700円

 ダイムラーベンツエンジンの国産化した物を搭載した、国内で唯一実戦投入された
液冷式戦闘機。昭和18年6月に正式採用され、量産体制にはいるが武装が貧弱なのとエンジンの不調から改修されます。戦局の悪化で、エンジン工場が被弾し供給不足となり、空冷を取付けた機体(五式戦)も現れました。(1942〜45)

全幅 12m、 全長 8.74m、 全高 3.70m (単座)
全備重量 3270kg、 最高速度 591km/h
武装 胴体12.7mm機銃2挺、 翼内12.7mm2挺
 川崎 三式戦闘機 飛燕T型乙(キ61−T乙) 第244戦隊長機
長谷川製作所 72分の1 製品番号 AT03 定価 700円

 
上記と同じモデルですが、これは1990年以前に作った様な・・・。完成品をダンボールに入れていたのを引っ張りだして、撮影しました。塗装(クリア)も塗り直した為、キャノピーなど白化してしまいました。色なども、翼前部の味方識別カラーがオレンジで、今見れば「もっと上手に作れよ!」と言いたくなります。上モデルは配色が違うだけですが、引き締まって見えるのが不思議。
 中島 二式戦闘機 鍾馗 (キ44) 飛行47戦隊 震天制空隊
長谷川製作所 1/72 製品番号 AT02 定価 700円

 これも、1990年以前製作の物です。塗装もデカールも雑で、色も手塗り(下手糞)でギラギラしています。このデザインは、本土防空迎撃戦闘機部隊「明野教導飛行師団」のものです。同師団は、陸軍としてはB−29の撃墜数が最も多いと記録されています。機体は、他の単座戦闘機より一回り小振りですが、エンジンが大きいのでカウリングが目立ちます。これまで1/72は2機製作しましたが、いずれも満足いく出来上がりとはいえません。
 いつか、製作して写真を差し替えます。
 中島 二式戦闘機 鍾馗 (キ44) 飛行第85戦隊
長谷川製作所 72分の1 製品番号 AT02 定価 700円

 高速一撃離脱の思想を日本流に具現化した戦闘機。高出力のエンジンを積み、前部から絞り込んだ機体は陸軍飛行機の中では1番戦闘機らしい。太く短い主脚や、胴と翼の接合部の補強により、空中分解し難い頑強な機体だったようです。

全幅 9.45m、 全長 8.75m、 全高 2.90m (単座)
全備重量 2.766kg、 最高速度 605km/h
武装 機首機銃7.7mm2挺、 翼内機銃12.7mm2挺
 中島 四式戦闘機 疾風 (キ84) 飛行第47戦隊 旭隊所属機
長谷川製作所 72分の1 製品番号 AT04 定価 700円

 太平洋戦争が始まってすぐ、試作内示が出されました。当時の日本は既に物資の欠乏が始まっていた為、エンジン、機体などの材料を極限まで絞る必要がありました。そして、ハー45−2 2列18気筒(1860hp)の小さく強力なエンジンが開発されます。(日本軍最高速機)

全幅 11.24m、 全長 9.74m、 全高 3.39m (単座)
全備重量 3.890kg、 最高速度 624km/h
武装 機首機銃12.7mm2挺、 翼内機銃20mm2挺
 上記(飛行第47戦隊 旭隊 成増)と同じ疾風ですが、左のモデルは台湾に展開していた飛行第29戦隊 第2中隊所属機(プラモ箱絵と同じ)です。疾風の配備は、前戦が日本本土に近づいた昭和19年の夏でした。ハー45『誉』とも呼ばれ、小型高性能エンジンでしたが、小型化ゆえに無理をしていた部分もあり、取り扱いなどに気配りが必要だったようです。戦後の米軍による高オクタン価ガソリン使用のテストでは、最高速度680km/hなど、全部門総合評価で同時期のP−51より優れていた事が実証されています。
 三菱 試作特殊防空戦闘機 (キ109) 飛行第107戦隊 第2中隊
有井製作所 72分の1 製品番号 53023 定価 1500円

 戦争中期、B−29の出現とともに高々度戦闘機の必要性を痛感した日本陸軍は、当時の爆撃機の水準を上回る性能の
四式重爆『飛竜』の機首を改造し、B−29の防御砲火圏外から一撃で撃墜できる75mm高射砲を搭載しました。副操縦士が砲手となり、携行弾数は15発。昭和19年8月に完成し、合計22機が生産されています。(1944〜45)

全幅 22.5m、 全長 17.95m、 全高 5.8m (複座)
全備重量 10.800kg、 最高速度 550/h
武装 機首75mm砲1門、 尾部12.7mm1挺
 
 川崎 五式戦闘機T型甲 ファストバック(キ100−T) 第111戦隊
ファインモールド 72分の1 製品番号 FP3 定価 2400円

 昭和18年、飛燕の生産は液冷式エンジンの供給が追着かず、350機の首無し機体が在庫となっていました。陸軍では解決策として、
空冷金星エンジンを取り付けるよう改修を行ったところ、予想以上の性能向上が見られ、昭和20年4月から実戦部隊に配備されています。(1945)

全幅 12.00m、 全長 8.818m、 全高 3.75m (単座)
全備重量 3495kg、 最高速度 580km/h
武装 機首機銃20mm2挺、 翼内機銃12.7mm2挺
 川崎 五式戦闘機T型乙 水滴型風防(キ100−U) モデル無し
アオシマ文化教材社 72分の1 製品番号 大戦機01 定価 600円

 上記と同じく、液冷式エンジンの供給が追着かず、空冷金星エンジンを取付けるよう、改修を施した機体です。さらに
後方視界の向上を狙い、水滴風防としました。他にも、排気タービン過給機装備のU型も在りますが、試作機3機の生産にとどまりました。(1945)

全幅 12.00m、 全長 8.924m、 全高 3.75m (単座)
全備重量 3670kg、 最高速度 580km/h
武装 機首機銃20mm2挺、 主翼内12.7mm2挺
 中島 (キー201) 試作戦闘爆撃機 火龍 モデル無し
長谷川製作所 72分の1 製品番号 AP51 定価 1200円


 昭和19年、ドイツ軍のMe262の資料を入手した陸軍は、それを基にジェット戦闘機を中島に開発指示をしました。実用上昇限度12000m以上、航続距離1000km以上と、原型であるMe262を凌駕した計画でしたが、昭和20年6月に図面が完成。実機の完成を見ないまま終戦を迎えました。

全幅 13.70m、全長 11.50m、全高 4.05m
全備重量 7000〜8500kg、最高速度 812km/h
武装 機首機銃30mmx2門、主翼内20mmx2門、爆弾800kgx1発

試作戦闘機『火龍』
などは、陸・海軍も独自の開発をしていては能率が悪いので、
それまでの確執を乗り越え、最後は御互い技術提供をしたようです。
しかし、時すでに遅く、米軍の進撃速度は日本軍部の想像以上に早いものでした。