「見事な、宝貝をもっていますね」
初対面、じろじろと、おいらの体をくまなく眺めまわすと、開口一番に、述べた言葉がこれだった。
喜々として、嬉しそうに。

その頃のおいらは、騎獣が欲しくて欲しくてどうにもたまらず。懼留孫師父が西岐城下に赴いたのをいい事に、飛雲洞の秘宝、梱仙縄を無断に拝借し、下界へ騎獣を物色しにきていたのだ。
幾度も失敗した末、もうダメかと、悔しいが諦めかかっていたところで、崑崙山脈はふもとの棋盤山に大きな白いトラが寝そべっているのを見つけた。
その見事な白い毛並み、優美な体躯。一目見るなり、俄然おいらは、その白トラを手に入れたくなった。
早速、地中から白トラの背後に忍び寄ると、手にした梱仙縄を白トラの首にかけようと狙った。と次の瞬間、白トラの大きな長いしっぽが、弧を描いて飛んできた。しっぽはおいらの両足を締め上げるなり、ぴしゃりと岩上にたたきつける。
「痛い」
ふいをつかれたおいらは、思わず悲鳴をあげた。
間を入れずに、白トラの前脚が、胸にぐいっとかかる。巨大な爪が、やんわりと食い込むのを感じた。

申公豹は、珍しいものを見つけた子供のように、好奇心に満ちた顔でおいらの顔を眺めまわした。
おいらは、自分の美醜をそれほど気にかけた事はなかったが、他人がおいらのことを醜いと感じている事も十分に理解していた。
まだ人間界にいた頃、人々のさげずみと哀れみの混じった視線によく曝されたものだった。もっとも仙界へあがってからも同様の視線を感じる事が時々あったが。
だから、申公豹があまりにぶしつけにおいらの顔を眺めるのには、さすがに憮然とした。ただ、申公豹の視線には、不思議と邪気は感じられなかったし、申公豹があまりに美しい事で、おいらは、戸惑いを覚えた。
こんなにも美しいものならば、おいらのことを醜いと感じる権利があって当然かもしれない、と思った。
そう、申公豹は美しかった。おいらは、それまで、こんなにも美しいいものをみたことがなかった。
仙界にも、美女と呼ばれる仙女達はあまたいた。
例えば、鳳凰山の竜吉公主をはじめ、その女弟子に当たる、赤雲に、碧雲。
確かに、彼女達は、絶時絶世の美女で、傾国、傾仙の美女と呼ぶに相応しい、容姿をもっていた。
それらに比べても、けして見劣りしないほどに、申公豹は美しい。
が、正確には、美しいと呼ぶのは違うような気がした。
おいらには、うまく言葉にあらわす事はできない。
しかし、始めてみた時も、それからも、申公豹の美しさを思う時には、いつも漠然とした、哀しみがつきまとった。

「あなたのように、異常に発達した見事な宝貝の持ち主は、それだけの理由で仙骨がないとわかります」
と、申公豹は、意地悪く言った。
おいらがうなだれてしまうと、申公豹は、ちょっと困った顔をして、
「せっかく見事な宝貝を授かったのです。騎獣よりは、もっともっと楽しい乗り物を探すといいですよ」
と、言った。
「騎獣よりも楽しい乗り物?」
おいらが、首をかしげると、
「騎獣よりも楽しい乗り物ですよ」
申公豹は、いたずらっぽく笑いかけると、おいらに腕をまわした。

普段、申公豹が、どこにいるのか、又なにをしているのか、おいらは知らない。
いつも訊ねてくるのは、申公豹からだったからだ。
しかも、決まって訪れるのは、戦のあった日だった。
真夜中の兵舎、昼間の戦で、体はくたくたに疲れ、疲労困憊なのに、精神は、異様にさめきって、それでいて静かに高揚している。
そんな時、申公豹は、必ずおいらの兵舎を訪れた。
夜気の中、クチナシの匂いを嗅ぐように、その気配を感じる。
申公豹の姿を認めると、それまで萎えていた、おいらの体は、とたんにいきり立った。
申公豹は、喜んでそれを受け入れた。
「汗と、ほこりと、血」
申公豹が、おいらの腕の中で鼻をクンクンとならす。
「フフフ、なんて漢臭いんでしょうね」
申公豹は、おいらの胸元に、鼻ズラをこすりつけると、クスクスと笑った。

青空に白い弧を描いて、幾すじもの魂魄が、封神台めがけて飛んでいく。
その様子を、申公豹は、興奮した面持ちで眺めていた。
「ああ、なんて、かわいらしいんでしょうね。あんなにきりきり舞いして」
「天数に、殺戒、くだらないものに、みんなとらわれて」
「殺戒なぞなくとも、私は、殺したい時に殺します」
その澄み切った笑顔。
『化け物だ』
その瞬間、おいらの胸に、強烈で純粋な殺意が浮かび上がった。
気がつくと、おいらは、申公豹の首に手をかけ、グイグイと締め付けていた。
申公豹は、何の抵抗もしなかった。
ただ、おいらの顔を静かに見つめ、おいらのする事を、死を甘受していた。
それを見たとたん、おいらの手は動かなくなった。

人は誰でも何の理由もなしに、人を殺す事はできない。
憎しみ、悲しみ、怒り、
様々な感情が入り交じった上での殺意だ。
しかし、建前上、仙人はそんな感情は超越した存在だとされている。
だが、そんな事は出来ない。
たとえ、仙人であろうと、
いや、むしろ仙人だからこそ、情念に縛られている。
情念故の殺しでありながら、情念そのものがないものとされている。
だから、殺戒なんて概念を作り上げたのだ。
仙人と言えどもそんなに強くはない、殺戒と言う言葉がなければ、きっと狂ってしまう。
しかし、申公豹は違う。申公豹には、殺戒なぞ必要無い。
申公豹は、殺したいと思えば、何のためらいもなく殺してしまえるだろう。
穏やかな寝顔を眺めながら、おいらは思う。
『これは、本来、存在してはならないものに違いない。
おいらは、いつか、申公豹を殺すかもしれない。
いや、
許してしまうだろうか。
やはり、全て』

目をさますと、男の姿が、瞳に映る。
太い眉に、ぎょろりとむいた目。
不様にでかい鼻に、口。
そして、出っ歯。
醜男と言うほかに、形容のしようがない。
なのに、私は、男が、
こんなにも、愛おしくてたまらない。
男は、限り無く愚鈍で、純朴で、
男は、その愚鈍さゆえに、きっと最終的には、勝利者たりうるだろう。
私は、にっこりと男に微笑みかけると。
男に向かって、手をのばした。