むせる空気。

 まとわり付く赤い髪。

 ぬめる手から、滴り落ちる赤いしずく。

 考えることなど、何もない。

「…………………」

「誰だっ…?!」
 走る足跡が近づいてくる。
 事を終え、瀬戸口はあの場所からは既に離れて、目的もなくただ歩いていた。
 芝村か…。
 瀬戸口はゆっくりと振り返る。
「…お前は誰だ?
 瀬戸口、なのか…?」
 彼女と目が合う。その怪訝な表情とぶつかった。
 服の返り血を見て、舞の表情が更にこわばる。現状をどう判断すればいいのか、決めかねているようだ。
 だが、瀬戸口は芝村には用がない。彼女を無視して再び歩き始める。
 さきほどの心地いい感触を反芻しながら…。
「おい!瀬戸口、待て」
 再び声を掛けられる。
「何があった? その格好は一体…」
 そう言いながら、舞は視線を瀬戸口の左手に移す。絡みつく大量の長い髪に気づいた。
 漆黒の張りのあるそれ。
 舞は、幾通りもの状況から、最悪を導き出すしかなかった。
「…瀬戸口。壬生屋をどうしたのだ?」
 拳を震わせ、舞は瀬戸口の返答しだいでは彼を殺す勢いで問うた。
「どう…って?」
 まだ人間の言葉が話せる自分に驚きながら、瀬戸口はにやついた。
「答えろ…」
 低く、ゆっくりと。
 舞が身構える。
「うまかった…」
 瀬戸口はそう言って、大きな口を開けた。壬生屋の血に濡れる口内を自慢げに見せる。
「瀬戸口…! 貴様ぁっ!」
 涙目で舞が叫んだ。

 何を!

 何を!

 何を…!!

「瀬戸口っ…!!」
 舞は彼に飛び掛る。
 瀬戸口は彼女が繰り出してきた拳をかわし、その手首を握った。飛んできたもう片方も。
 そして掴んだままの腕を伸ばす。身長差で舞が宙に浮いた。
「くっ!」
 舞は必死にもがいて離れようとするが、鬼の力には敵わない。
「貴様は、許さぬ…っ!」
 血を吐くような声を上げ、空いている足で瀬戸口の胸を蹴る。何度も。
 が、びくともしない。長い髪が振動で揺れるだけ。
 息が上がり、自分の身体の限界が近づくまで、舞は攻撃を止めなかった。
 だが、瀬戸口の笑みは消えず…。

 頃合に、瀬戸口が舞を離した。
 折れた左腕をかばいながら、舞はひらりと降りて距離をとる。
「何故っ…」
 右手首と袖にこびりついた壬生屋の血に、舞は再度問うた。
 どうしてこんなことをしたのだ…?
 舞の問いには答えず、鬼は髪を風になびかせながら立ち去った。

 その後、必死の捜索の末に、壬生屋が発見された。
 己の刀で串刺しにされた、もう帰らぬ姿になった壬生屋を。
 

 あの後の瀬戸口がどこへ行ったのか、誰もわからない。
 ただ、足跡だけが、今も残っていた。

 誰かが気づいた。ブータがどこにもいないことを。
 猫も、姿を消していた。

 そんな、千年の終わり…。