スクリーン上の幻獣を表す赤い点滅はすでに消え去って久しい。
小さなモニターに映し出される、鮮明な画像。戦場の士翼号。
今日の戦闘は確かに大勝だった。だが、戦闘としては最低だった。何十匹もの幻獣を葬り、幻獣の血にまみれ瓦礫の中に立ちつくす士翼号。
倒壊したビルのすき間から赤い西日が射し込み。黒々と浮かび上がる鉄骨のむき出しになったビルの残骸は、まるで墓標のように廃墟にそびえ立つ。
瀬戸口は指揮車の重いドアを開けると大地に降り立った。足下で砂埃が舞い上がる。戦場の乾いた風が瀬戸口の横をかけぬけていった。
夕焼けの空を、そこら彼処から緩やかにたちのぼるどす黒い黒煙が彩っている。鼻につく、焼けこげた匂い。
時間の止まったような静寂。
目の前に広がるのは、あまりに無惨で、そして、なぜか荘厳でさえある景色であった。
思わず嘔吐感がこみ上げてきて、瀬戸口は口を押さえた。だが、空っぽの胃袋から吐き出されるものは何もなく、ただ、苦い胃液が舌を刺激しただけだった。
胃を締め付けられるような感覚に、激しくせき込む。
気がつくと善行司令が隣に立って、同じ方向を見つめていた。
言葉はなく、その表情からは何の感情も読みとれない。
戦闘に勝利したというのに、誰もその事を喜ぼうともしない。言葉もなく、淡々と自分の仕事をこなしている。
目の前の出来事から目をそらすように。
「たかちゃん、怖い」
瀬戸口の腕に縋り付くように寄り添っていたののみがぽつりと呟いた。
他の隊員だって、口にこそ出さないが、明らかな畏怖を抱いていた。やがて、生まれる絢爛舞踊に。
戦闘のあとに、本日の戦果報告と今後の展望をかねた軽いミーティングがあった。
ホワイトボードを前に、司令が本日の戦闘での被害状況を報告している。
壬生屋は、別段大した興味もないので特に注意して聞いていなかった。
暇を持て余して、なにげに壬生屋は周囲の人間を見回してみるが、他の連中もやる気なさげに話を半分しか聞いていないようなのが殆どだった。
戦場の砂塵にまみれた髪がごわごわして、気持ち悪い。
『早く、熱いシャワーが浴びたい。それにしても、うっとしい髪』
バッサリと髪でも切ろうかしら、と取り留めのないことを考えていると、観察されるような視線を感じた。
視線の方向に顔を向けると、滝川と目があった。しかし、壬生屋と目が合うと気まずそうに滝川はすぐに視線を逸らしてしまった。
最近、滝川に限らず、似たような視線に晒されることが多い。みんな少なからず不安を抱いているのだ。
クスリと、壬生屋は苦笑する。
当然だと思う。
『わたくしだって、絢爛舞踊という名の化け物と同席なんてしたくもありません』
ヒーローと化け物は同義語であり、幻獣を倒す者は、そのもの自身が幻獣に成り果てる。300体近くもの幻獣撃墜数を誇る壬生屋は、すでに、人としての範疇を越えていた。過ぎた力は恐怖しか招かない。なぜなら、その力が、いつ何時、幻獣ではなく、人間自身に向けられるか、保証がないからだ。
5121部隊の中に静かに、けれども、確実に浸透していく不安感。
そんな中、特異といっても良いほど、芝村舞その人だけが、壬生屋に対する態度を変えなかった。相も変わらずその態度は尊大で、出会った頃とまるで変わらない。
それに、舞の場合、尊大な態度なのではなく、芝村という環境上、対人コミュニケーションが多少ちぐはぐになってしまっただけで悪意はまるでない。
限りなく純粋な舞は、あるべき未来の理想像をもち、それを実現するだけの信念を持っている。
そこが、自分との違いだ。
壬生屋にとって、舞の存在はある種の救いだった。
芝村らしからぬ芝村。
自分は所詮、幻獣を狩る犬に過ぎないけれど、犬には飼い主が必要だった。
飼い主を持たない猟犬は、狂犬に過ぎない。
『舞がいなくなってしまえば、わたくしは…』
「壬生屋、何をぼんやりしておる」
「え?」
ふいに、声をかけられる。ミーティングはすでに終了して、みんなバラバラと席を立って、会議室を出ていくところだった。
すぐ、そばに舞が立っている。
「大丈夫か?」
何が、とは言わない。でも、言葉少ないながらも、舞が的確に壬生屋の心情をつかんでいることに、壬生屋は舞の優しさを感じた。
「大丈夫です。舞」
壬生屋は柔らかく微笑んだ。
危うい笑顔、だと、舞は顔をしかめた。
プレハブ校舎に後付に建て増しされたシャワー室は、狭くて薄っぺらい壁の安普請な品物だった。昼夜の区別なく、5121部隊の隊員全員が無秩序に使用するので、いつでも、使い差しの感がある。
タイルの上につもった砂がザラザラと足の裏にあたる感触が嫌いだった。
コックをひねるとボイラの可動する低い轟音が外から響いてきた。さして、燃焼力の強くないボイラなので、初めの内は水しかでない。それでも、しばらく経つと、熱すぎるぐらいの水が注ぎだした。
コックを目一杯ひねって、熱い水を頭からあびる。
叩きつけるように降り注ぐ飛沫は、痛いくらいだ。
ただひたすら、水にうたれ続ける。狭いシャワー室は直ぐに、白い蒸気で煙ってしまった。
長い黒髪は体のラインに沿ってへばりつく、水は壬生屋の体を流れ落ちると、排水溝へと吸い込まれていった。
シャワーを浴びてしまうと、それから特にやることもなくなってしまったので、詰め所に入った。たとえ、する事がなくても家に帰る気にはならない。帰れない。
戦闘の後は、何もする気が起きなくなる。虚脱感ではなく、炎が燃えた後の残り火が燻るように、体の奥底で熱く疼くものがあり、何もする気がなくなる。
だから、壬生屋は戦闘の後は、常に一人っきりで自分を鎮めれる場所を求めていた。
『今のわたくしは、きっと飢えた獣のような顔をしているだろう』
詰め所のベットの上に腰掛けて、見るともなしに、天井を眺める。
雨漏りの跡か、板のすき間に沿って茶色くシミのついた天井。
夕刻の空は、暗くくれて、詰め所の中は、薄暗く陰ってきている。電気をつければよいのだが、立ち上がって、スイッチを入れるのもおっくうなので、そのままにしている。
飲むでもなく、ただ手にしていた缶紅茶はすでに冷えてしまった。舞が不機嫌そうな顔をして、壬生屋に押しつけたモノだった。掌の中で転がる。
缶を開き、一口口に含むと、口の中に柔らかな紅茶の匂いと、ほのかに甘い味が広がった。
その匂いの柔らかさに壬生屋は安堵した。
悲しくもないのに、涙がこぼれた。
胴衣の袖口に鼻を寄せ、匂いをかいでみる。汗と埃の匂い、硝煙と血の匂い。それらが入り交じった死臭。
いくらシャワーを浴びたところで、染みついた匂いは取れそうもない。なぜなら、それは自分自身から漂ってきているモノだからだと、壬生屋は思った。
「ふう…」
体が熱い。
「わたくしは、変だ」
壬生屋は、一人ごちた。
一人でいると、余計なことを考えてしまう。
なぜ、わたくしは、剣を手に取り、士翼号を操って幻獣と戦っているのだろう。
亡くなった兄の敵をとるため、とか、代々“あしきゆめ”を狩ってきた一族である壬生屋の名に恥じないため、とか。
しょせん、そうした思いは単純で分かりやすい大義名分にすぎない。いや、始まりは、確かに、そういった思いを抱いていた。
でも、今はどうだろう?ただ純粋に、幻獣を狩ることが楽しいのだ、と思う。
確たる信念もなく、なけなしの正義のかけらすら持たず。
ほんの数時間前の戦闘を壬生屋は反芻する。
弧を描く超硬度大太刀の白い軌跡。
幻獣の肉に刀を食い込ませ深くえぐり取る感触、骨が砕け散る、幻獣のかん高い断末魔の悲鳴があとを引き、赤く霧散して消えていく様子。
それに変わるほどの快楽を壬生屋は知らない。
おそらく、自分は、幻獣に近い。
壬生屋は、考える。
人類と幻獣は共生していくことが可能だろうかと。
否。
共生派が何と言おうと、壬生屋にとって、答えは否だった。
遠坂辺りが聞いたら、その狭量さを責められるかも知れない。
でも、なによりも、自身が幻獣に近いから分かる。
人類と幻獣は共生できない、と。
矛盾しているが、誰よりも多くの幻獣をその手で葬りながら、壬生屋は誰よりも幻獣を愛していた。
幻獣。
幻獣について。
幻獣の起源を誰も知らない。
半世紀前、天空にかかる黒い月とともにそれらは、ある日突然発生した。
それから、今に至るまで、人類と幻獣は互いの存亡を賭けて、戦いを繰り広げている。足下に、累々と屍の山を築きながら。
いつ終わるとも知れない、戦いに。
それでも、大人達は、自分たちのように年端のいかない若者を前線に送り出している。
どこの誰とも知らない未来の誰かのために、との幻想を胸に。たとえ、抽象的すぎるにしても、どこかの誰かの未来という、幻想を抱かなければ戦場で正気を保つことは出来なかった。
そして、その幻想を必要としない自分は既に狂っていると言ってもいいだろう。
誰のためでもなく、未来のためでもなく、自分のためでさえなく、本能のままに幻獣を狩り続ける。まるで、幻獣が人間を狩るように。
そもそも、なぜ、幻獣が人間を殺戮し、人間が幻獣を狩らねばならないのか。
それは、人間にとって幻獣が脅威だからだ。幻獣は容赦なく人間を殺戮し、全てを破壊し尽くす。
だが、戦ってみて分かったことだが、幻獣達は憎しみをもって人間を殺戮しているのではなかった。
例えば、人間の子供が戯れに虫や小動物を殺すように、行為そのものは限りなく残虐でありながらも、そこに悪意はなかった。
ただ、圧倒的な力の違い故に、幻獣は人間を殺める。人間と自らを同質のものとは考えていないのだ。人間がアリを踏みつぶすときに罪悪感を覚えるだろうか。
けれど、幻獣と人間は異質なモノではない。多分、その起源は人と同じもので、進化の過程で分化の道をたどっただけなのではないかと壬生屋は思う。
なぜなら、古き血を引く壬生屋は、小さな頃から、常に姿の見えぬモノ達の気配を身近に感じていたからだ。
あまりに、近すぎて、お互いの姿が見えなかっただけだ。それが、なぜ今になって具現化したのか理由は分からないけれど。
壬生屋は恐怖ではなく、懐かしさをもって戦場へ赴く、本来そうあるべき場所へと帰るように。
前へ前へと、戦場を駆け抜ける。ミノタウルスの爪をかわし、超硬度大太刀を叩きつける、怒り狂う幻獣の咆哮。返す切っ先で、背後に立ったミノタウルスの腹に太刀を突き立てる。
強力なGに体が圧迫され、呼吸が困難になる。
だが、呼吸さえ厭わしく思うように、腕を振り上げる。重くまとわりつく重力なぞ何の妨げにもなりはしない。
加速する時間は、静止の如く緩やかに流れる。
互いの命をかけて、ともに死の舞踊を舞う瞬間、幻獣との一体感を感じる。
高揚する精神に、全身が震える。
『み……ぶ…』
『………み……ぶや……それ…以上深………追いすす……する…な…………』
通信機から入るノイズが忌々しい。いっそスイッチを切ってやろうかと思うほどに。
『ああ、忌々しい、忌々しい、忌々しい。邪魔しないで、邪魔しないで、邪魔しないで、邪魔しないで』
『…………み………ぶ…ぶ…やややや………ややや……』
『……みぶや…それは、誰?わたくしは……』
『壬生屋』
確かに、自分の名を呼ぶ激しい怒りを含んだ怒声。
不意に、軽薄な色男気取りのオペレーターの顔が浮かんだ。
いつでも、そこで、無理矢理引きずり戻される。
『なぜ、止めるのです。貴方だって同じくせに』
攻撃の対象を奪われ行き場を失った欲求は、体内に蓄積される。
体が、疼く。
ドクリ。
体の芯が溶けて流れ落ちるのを感じた。
少し赤みがかった瞳が好きだった。幻獣と同じ。
そして、例え、人型をとっていても彼の本質は、幻獣に過ぎない。
でも、不思議なのは、彼は、その本質に関わらず、人間よりも遙かに人間臭いところだった。
人間のように哀しみ、人間のように怒り、人間のように喜ぶ。
初めは模倣に過ぎないと思っていた。
『だけど、遙かに、自分よりも、彼は…』
自分は、瀬戸口の事を愛している。それだけは唯一の真実。でも、多分これから先も、分かり合えることはないだろう。お互いに。
幻獣のような人間の女と、人間のような幻獣の男。
それは、同じ空間に存在しながら決して交わることのない、同一平面上の2本の平行線。
幻獣と人間のような。
「どちらが、幻獣なんだか」
自嘲的に壬生屋は呟いた。
詰め所の引き戸が開かれる。立て付けの悪い扉はガラガラとやけにでかい音を立てた。
その音に壬生屋は目覚めさせられた。
カラン…
手にしていた缶が滑り落ち、音を立てて床に転がった。
壁にもたれ掛かったまま、いつの間にか眠っていたらしい。無理矢理目覚めさせられた頭は、未だ夢と現の間をさまよい、ぼんやりとしている。
不機嫌そうに壬生屋は顔を上げた。どのくらい時間が経っているのだろうか?外はすでに暗く誰が入ってきたのか確認できない。
頭はシャンとしていなくても、武道をたしなむ壬生屋は、体が条件反射的に臨戦態勢をとってしまう。
相手も、壬生屋の気配を察したようで、戸口のとこで立ち止まり、部屋に踏み込もうとはしなかった。
「誰だ」
誰何の声と同時に、電気がつき、部屋を明るく照らした。
いきなり視界が眩しくなり、壬生屋は思わず目を細める。
会いたくない相手に会ってしまった。と、瀬戸口は露骨に嫌そうな顔をした。
これといった意味もなく、瀬戸口は壬生屋が苦手だった。
瀬戸口は容姿云々で女性を差別するような真似はしない。
というより、あまり、興味がないのだ。瀬戸口の中で、外観、容姿といった形はやがて移ろいゆくモノとの感覚が強い。やがて、移ろいゆくモノに対して、強い執着を見せるのは馬鹿馬鹿しいことだった。
自然、その軽薄そうな態度とは裏腹に、むしろ、軽薄な態度は瀬戸口の内面を覆い隠すためものでしかなく、瀬戸口は、精神や心といった、目に見えない形、変わらないモノに重きを置いていた。
それは、かつての自分が持っていなかった、綺麗なもの、美しいもの、純粋なものにたいする単純な憧れであった。
ならば、壬生屋の性格が悪いのかというと、多少あくが強いとはいえ、それがここまで、毛嫌いする理由とはなり得ない。
では、なぜと問われるのなら、瀬戸口自身、もう、相性が悪いとしかいいようがない。生理的な嫌悪感。
この説明の付かない居心地の悪さが、瀬戸口が壬生屋を苦手とする要因の1つをになっているに違いなかった。
「あ〜」
気まずげにボリボリと乱暴に頭をかきむしる。
大体、なんだって、電気もつけずに部屋の隅に座り込んでたりするんだと、ぼやきたくもなる。
「………何やってんだ」
とは、瀬戸口の第一声。
我ながら間抜けな台詞だと思った。調子が狂わされる。
壬生屋は壁に掛けられた時計を見た。すでに、時計の針は11時を回っており、それでは、自分は夕刻から5時間あまりも眠り込んでいたのかと驚かされる。
自覚がないにしろ、疲れているのかもしれない。無理な体勢で寝込んでいたため体の節々が痛んだ。
「瀬戸口さんこそ………珍しいですね。こんな時間まで。お仕事ですか?」
「俺が真面目に仕事してんのが珍しいとな」
「いえ、仕事熱心なのは良いことです」
「お前さんには、かなわんよ。絢爛舞踊様。顔色1つ変えずにあれだけの数の幻獣を葬りさるんだからな」
どうしても、数時間前の戦闘シーンが頭にこびりついて離れない。瀬戸口は話す口調が、自然、刺々しいモノになるのを自覚していた。
「……嫌みですか」
対する壬生屋はあくまでも、冷静だった。
瀬戸口が顔をしかめる。
「すまない」
それでも、素直に謝罪を口にする。自分の発言が理不尽であることは承知していたからだ。壬生屋を責めるのは筋違いだと。
だが、本当にそうだろうか?戦地から帰還した士翼号を下りる壬生屋の口元が微かに微笑んでいたのを瀬戸口は見逃さなかった。それとも、あれは、目の錯覚なのか。
あの時、視線を感じたのか、一瞬、壬生屋が瀬戸口の方を見やった、その時の、壬生屋の愉悦に歪んだ瞳。それを見たとき、心底、ゾッとした。
こいつは、殺戮を楽しんでいる。違うと思いたい。だが、その懸念をどうしても拭うことは出来なかった。
そんな瀬戸口の心情を見透かしたように壬生屋が問うた。
「わたくしが、恐ろしいですか?」
「恐ろしくないと言ったら嘘になるね」
「ですよね」
「だが、それはお前さんの所為じゃない。だから、お前さんが気に病む必要はない」
慰めの言葉は、あくまで言葉に過ぎず、瀬戸口が、そうは思っていないことは明らかだった。
「珍しいですね」
「何が?」
「瀬戸口さんが、わたくしに優しいなんて」
「俺はいつだって、女性には優しいさ」
「そうでしたね」
『私以外の』
とは、密かに心の中で付け加える。
「とにかく、用がないなら、家に帰れ。ちゃんと休んだ方がいい」
詰め所には、ファイルを取りに来たはずなのに、もうそんなことはどうでもよかった。瀬戸口はさっさとこの場を立ち去りたかった。
これ以上ここにいて、自分が正気を保っていられる自信がなかった。壬生屋は瀬戸口の負の部分を刺激する。
瀬戸口はデスクの方にツカツカと歩み寄ると、引き出しをあさった。目的のファイルとフロッピーはすぐに見つかった。ラベルを確認する。
よく考えれば、たいして重要な用事ではなかった気がする。だが、それもどうでもよかった。微かに指が震えた。
「じゃあ、俺はもう少し仕事が残ってるから」
なるべく、平常を装って、瀬戸口は壬生屋に軽く声をかけると、詰め所から去ろうとした。戸口に手をかける。
瀬戸口の背中に壬生屋が声をかける。
「瀬戸口さん…」
「なに?」
「抱いて下さい」
「はぁ…なんだって?」
予期せぬ壬生屋の発言に頭がついていかなかった瀬戸口は、間抜けなことに、思わず聞き返してしまう。それが、およそ壬生屋らしからぬ台詞だったからだ。
「抱いて下さい。と言ったのです。瀬戸口さん」
もう一度、ハッキリと同じ台詞を口にする壬生屋。
「本気かよ」
「冗談で、こんなこと言いません」
声の裏返る瀬戸口に対し、壬生屋の口調はあくまでも淡々としていて発言の重さとまるで一致しない。
「…………」
「…………」
「悪いが、俺は処女は抱かない主義だ」
つき合いきれない。
「わたくしが、処女?どうかしら」
壬生屋は可愛らしく、小首を傾げて答えた。その様子が酷く瀬戸口の癇に障った。
「お嬢さんの、戯言につき合ってる暇はないね。あいにくと。そんなに、欲求不満なら、バイブでもくわえてな。それに、俺にだって、相手を選ぶ権利ぐらいある」
ウンザリだ、といった様子で瀬戸口が返す。
「随分と酷いことを仰るんですね。でも、誰だって構わないんです。この熱を静めてくれるのなら」
壬生屋は腕を回し自身の体を抱きしめた。
「熱くて、熱くて、どうにかなってしまいそう」
独白に近い無感情な声。
「壬生屋?」
瀬戸口は、思わず手を伸ばしそうになってしまう自分を何とか押さえた。
動物的な本能が、警告を発している。触れてはならない、今すぐ逃げ出せ、と。
数メートル隔てて、対峙する二人。張りつめた冷たい空気。
先に、沈黙を破ったのは、壬生屋だった。
「まぁ、良いです。貴方にその気がないのなら」
「どうするつもりだ」
「貴方には、関係ありません」
「そうだ、俺には関係ないさ」
「言ったでしょう。誰でも構わないって」
元来、壬生屋は、駆け引きや、虚言を労して人を惑わすタイプの人間ではない。
その点、呆れるくらい、単純で直情型ではあった。
だから、壬生屋がそう言った以上、実際に実践するつもりであろう。
「馬鹿な女」
吐き捨てる。
「うふふふ」
「だって、本当に、もう、誰だって構わないんです」
残忍なくせに、縋るような。卑怯だと、瀬戸口は思った。
「瀬戸口さん」
自分の名を呼ぶ女の声に、瀬戸口は、耳をふさぎたくなった。
握りしめた拳に、食い込んだ爪が痛い。
壬生屋が一歩、二歩と二人の距離を縮める。ホントは一刻も早くこの場から逃げ出してしまうのがベストだと分かっていながら、瀬戸口は立ちつくしたまま、動くことが出来なかった。
壬生屋が、瀬戸口の体に腕を回す。頭をそっと、瀬戸口の胸に寄せた。
瀬戸口は、壬生屋を抱きしめることも、突き放すこともできないまま、ただ立ちつくす。
どうかしている。壬生屋の体温を胸に感じながら瀬戸口はそう思った。
胴衣は、肩からはだけて胸元まであらわになっている。
4月も終わりとはいえ、夜はまだ肌寒い。
それでも、夜の冷涼とした空気は火照った肌に心地よいと感じた。
詰め所に置かれた、仮眠用の簡易ベットの上。上半身起こした瀬戸口の上に壬生屋が膝を立てた状態でまたがっていた。
白色光の電灯が、詰め所の殺伐とした景色を明るく照らしている。
四角く無機的な部屋の中で、壬生屋の白い裸体だけが奇妙な艶めかしさを帯びていた。
壬生屋の肌を這いまわる、瀬戸口の手。
微かに聞こえる息づかい。
壬生屋が身じろぎするたびに、錆び付いたスプリングはギシギシと耳障りな音を立てた。
「あんたの中、熱いな」
「幻獣を狩ると興奮する…」
歌うような壬生屋の声。
「ここを濡らしながら、幻獣を狩ってるのかい?お嬢さん」
瀬戸口の指が、壬生屋の中を探る。熱く絡んだ壬生屋の淫液は瀬戸口の手を伝って、ポタリと落ちた。
「……んっ…」
堪え切れぬように頭を振ると、乱れた髪が、瀬戸口の上にサラサラとこぼれる。
壬生屋は顔を上げ、瀬戸口の赤みがかった瞳をのぞき込んだ。交差する視線。ビー玉のように蒼く透明な壬生屋の瞳。瀬戸口は、素直に懐かしいと思った。まだ、幼い頃の記憶。すでに、すり切れて、ひどくあやふやではあるが、確かに覚えている。
壬生屋は瀬戸口の頬に手を添えると、ゆっくり輪郭をなぞるように指を滑らす。
愛おしいものを撫でるように頬に触れる指先。ひんやりとした指先は思った以上に華奢で、とても、それが士翼号を操り何百もの幻獣を葬っている手と同じものとは思えない。
「瀬戸口さん、貴方は、幻獣と同じ匂いがします」
「だから、俺に抱かれようと思ったわけ?」
壬生屋を犯す指を増やす。
「どう…でしょう…」
分かりません、と壬生屋は続けた。
「俺に抱かれながら、幻獣に犯されている自分を想像してるのか」
「……そうですね…」
「…………否定しろよ…」
「事実…です」
「不潔だ」
「不潔です」
壬生屋が笑った。でも、その笑顔は、ひどく寂しげで、全てを拒絶した笑顔だった。そのことに瀬戸口は切なくなった。
「なあ、壬生屋」
そこで言葉に詰まる。そこまで声を発して、瀬戸口は、かけるべき言葉なんて何1つ持たないことに初めて気づいた。
壬生屋の苦しみは、全て彼女がパイロットで、幻獣を狩らなければならない立場にあることに端を発する。
ならば、彼女にパイロットなんて止めてしまえと言えばいいのか?
おそらく、彼女は聞き入れはしない。止められない。
殴り倒してでも止めればいいのか?
止められない。置いて行かれる、焦燥感。
壬生屋と自分を繋ぐものなんて何もなかった。そう、何もない。何も。
「…なん……ですか?」
突然動きを止め、黙り込んだ瀬戸口に対し、怪訝そうに壬生屋が尋ねる。
その言葉にさえ、言い知れぬいらだちを感じた。
心の奥底から、どす黒い衝動にじわじわと浸食されていくようだ。
壬生屋と一緒にいると、常に感じる不安感。自らの存在を否定されるような感覚。
だから、嫌いだ。
「なんでもない」
壬生屋というよりは、むしろ自身に言い聞かせるように声を発する。
瀬戸口は、壬生屋から指を引き抜くと、乱暴に体を押し倒した。
「え、あっ……いやっ」
壬生屋は、突然、自分に覆い被さってくる男から逃れようと、思わず腕を突っぱねる。例え、自らの指でもって、自分の体を慰めることはあっても、壬生屋自身は男を知らなかった。
ほとんど無意識に体が拒否反応を示していた。
宙を舞う壬生屋の腕は瀬戸口の頬をかすめ、爪が薄い皮膚を抉った。うっすらと血が滲み出る。
瀬戸口の顔が歪んだ。
「あっ…」
壬生屋は、自らも予期せぬ反応に少なからず動揺した。
「嫌?遅いよ、今更だろ。それに、誘ったのは あ・ん・た だ。俺じゃない」
そんな壬生屋を小馬鹿にしたような瀬戸口の台詞。
瀬戸口の紫色の瞳が赤く染まって見えた。瞳孔が収縮して猫の目のように細められている。限りなく残忍な光りをたたえた瞳。
自分が望んだこととはいえ、これから行われる未知への恐怖に、壬生屋は震えた。強がることも出来ずに、真剣に瀬戸口から逃れようとした。
瀬戸口は小さく暴れる壬生屋の細い腕をつかむと、無理矢理組み敷いた。
下から自分を見上げる瞳は、恐怖のためか大きく見開かれ、嗜虐心を煽られる。
瀬戸口は、もどかしげにベルトをゆるめるとジッパーを下げペニスを取り出した。堅く勃起したそれ。
壬生屋の足を抱え上げ大きく割り開かせると、瀬戸口は、壬生屋の秘裂に亀頭を押しつけた。
すでに十分に濡れそぼった其れは、グチャリといやらしい水音を立てた。
「!!」
ビクッ、壬生屋の体が微かに強ばる。目をそむけ、シーツに横顔を押しつける。きつく目を閉じた。
怯えた壬生屋の姿に、瀬戸口は口の端を歪めて薄く笑った。
「入れるぞ」
「…………」
答えはない。
それには、かまわず、一気に貫いた。
「あっ…」
其れは、あまりにもあっけなくて、壬生屋は瞬間自分の身に起こったことを認識することが出来なかった。
しかし、短い空白ののちに、すぐに体が裂かれるような激痛が押し寄せてきた。
「くっ……」
壬生屋の口から堪えきれない苦悶の声があがる。
熱く焼けるような内部は、確かに処女のそれで、きつく瀬戸口をくわえ込んだ。
瀬戸口は、最後まで納めきると、それから、乱暴に腰を打ちつける。
「……ぃ…っつ…ああぁ…ぁ…」
懸命に押さえようとしているが、とぎれとぎれに引きつった悲鳴があがる。
「感じるんだろ」
瀬戸口は、壬生屋の耳元に口を寄せ、わざと淫猥な台詞をささやいた。
そのまま、熱い舌でもって壬生屋の耳たぶを舐めあげる。唾液が糸を引いてたれた。
初めての行為に壬生屋が、痛みしか感じていないだろう事は分かっていた。
それでも、優しく抱く事なんてできないと思った。
そして、彼女自身そんなことを望んではいないだろう。
「…壬生屋」
荒い息の中、瀬戸口が壬生屋の名を呼ぶ。
『壬生屋?』
それは、壬生屋に戦場でいつも自分の名を呼ぶ瀬戸口の怒声を思い出させた。
それが、泣けるぐらい嬉しかった。
「……は…い」
壬生屋は苦痛に顔を歪めながらも、瀬戸口に笑顔を向けた。
手を伸ばし、そっと瀬戸口の頬に触れた。
「どうして欲しい?」
「…もっと、滅茶苦茶に…して…、下さい」
瀬戸口は目を見張る。
空虚な台詞は安っぽいAVのようだと、無性に哀しくなった。
「イカれてるよ。お前さん」
あきれたように瀬戸口が言った。
「…貴方、も」
「確かに」
苦笑する。
「イカれてなきゃ、あんたを抱こうなんて思わんね」
「ひど…い」
笑いながら、壬生屋が答えた。壬生屋の瞳に涙が光るのが見えたが、瀬戸口はあえて見ない振りをした。
互いに肉欲に過ぎない。意味なんて求めたくもなかった。二人とも、およそ快楽と呼ぶには、ほど遠い所に位置する快楽を貪った。