第12番
 摩慮山 焼山寺(しょうさんじ) 正寿院


所在地 〒771−3421 徳島県名西郡神山町下分地中318
電 話 088−677−0112  宿坊 100人(予約) 遍路用品 一部あり
開 基 役行者小角  宗派 高野山真言宗
ご本尊 虚空蔵菩薩
ご真言 のうぼう、あきゃしゃきゃらばや、おん、ありきゃまり、ぼり、そわか
ご詠歌 のちの世を思えば苦行焼山寺 死出や三途の難所ありとも


 開基は役の行者小角。開山は弘法大師。本尊の虚空蔵菩薩坐像(四尺五寸)をはじめ三面大黒天、午頭天王とも弘法大師作。
 
 弘法大師が開山のためこの地を巡錫中、疲れから杉の下で眠っていると、夢の中に阿弥陀如来が現れ、異変を告げられた。眼をさますと山が火の海になっていた。
 
 大師は、摩廬(水)の印を結び、真言を唱えながら進むと、火は徐々に消えていったが、9合目あたりまで登って来たとき、大蛇があらわれ、縦に割れた岩窟にこもって激しく抵抗した。
 大師は三面大黒天、午頭天王の加護を願い、大蛇を岩窟に閉じ込めた。
 
 虚空蔵菩薩を感知した大師は、一刀三礼して本尊を刻んだ。
 奥の院にいく途中に大師が護摩をおこなった大岩があり、その岩上には蛇伏せといわれている大師爪彫りの三面大黒天がある。

マイクロバス駐車場 杉林へと入っていく 野生の花

 昔から遍路泣かせの難所として、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれています。標高938メートルの山腹にある。

 大型バスが通行出来ない山道のため、マイクロバスに乗り換えて10分ほどのぼります。
 マイクロバス駐車場からまた10分ほど歩き常夜灯が見えるとすぐ階段が待っています。

常夜灯 階段を登ると仁王門 大理石の手摺と
自然石の階段

 この寺の特徴は、境内に杉の巨木がお多くあることです。
 幹の周りが5メートル前後の巨木は天然記念物に指定されています。
 山門付近に約40本、本堂西南に約15本、奥の院に至る山中に約100本あまりあり、推定樹齢は約300年といわれています。

仁王門 仁王

 ここの階段は大きな自然岩で出来ていて、見るとゴツゴツとしていてずいぶん頑丈でのぼりにくい感じがしますが、実際は案外登りやすく感じます。

 また、たいていのお寺の手摺りがスチール等の金属製が多く、夏の暑いとき素手だと火傷をすることもあります。ここでは平成11年に大阪の団体の寄贈により、立派な大理石で出来ています。

地蔵の立つ手洗い所 本堂へもう一息 本堂

 石段を登りきると、中央に本堂、左に大黒天堂があり、大黒天堂の屋根のひさしの下に大きな打ち出の小槌があり、なんだかご利益がありそうで、手をあわせると、内から自然に嬉しさがこみあげてきて、思わずにっこりとしてしまう。

 大黒天堂のまた左に納経所があり、山腹とは思えないほどの広さです。

びんずるさん 納経所 大黒天堂

 大師堂の左斜め向かいに由緒ある鐘楼がある。
 鐘の由来に書かれてあるのを要約すれば、松平阿波の守が大檀主となった時、蜂須賀公が2つの鐘を造り、ひとつをこの寺に寄進した。
 阿波の国にひびき渡るほどいい音がしたので、下へ移そうとしたら、「いな〜ん、いな〜ん」と鳴ったので果たせなかった。

大師堂 由緒ある鐘 杉林を帰る

 また、昭和16年に大東亜戦争の時、供出の命令が下り、青年多数により山麓まで運んだが、馬がにわかに腹痛にもだえ苦しみだし、馬子は断念するしかなく、他の荷物を運んだといわれる。
 そののち、県の文化財の指定をうけ、別の場所に保管されていて、今あるのは二代目です。