第27番 竹林山 神峯寺(こうのみねじ) 地蔵院


所在地 〒781-6422 高知県安芸郡安田町唐浜2594
電 話 0887−38−5495  宿坊 なし  遍路用品 一応あり
開 基 行基  宗派 真言宗豊山派
ご本尊 十一面観世音菩薩
ご真言 おん、まかきゃろにきゃ、そわか
ご詠歌 みほとけのめぐみの心こうのみね、山も契ひも高き水音


 神功皇后が三韓征伐の時、戦勝を祈願して天照大神など諸神を祀ったのが始まりとされている。
 その後、行基が十一面観音を安置し、大同4年(809)に弘法大師が諸堂を整えた。

急勾配の坂道途中の
水谷静さんの記念碑
仁王門 入口

 遍路ころがしといわれる土佐の関所です。大型バスでは通行出来ないのでタクシーやマイクロバスで10分程登り、降りてから45度はありそうな急勾配の坂を登ります。
 
 駐車場から200mのあたりに水谷静さんの記念碑が建っています。

 水谷静さんは名古屋の人で、脊椎カリエスで入退院を繰り返し10年寝たきりで、医師から治らないといわれていましたが、檀家寺の住職から四国八十八ヶ所巡拝をすすめられ、夫の繁治さんが代参を3年続けられたが治らなかった。

 昭和33年の春、医師の反対をおしきり、死を覚悟で知り合いの人たちに別れを言って、静さんと夫の繁治さんの二人で1番からお参りを始めました。

 杖2本で足を引き摺りながらこの寺のお参りを済ませ、お寺の住職の世話で泊まり、次の朝出発しました。

 出発する時、住職さんに上りよりも下りのほうが危ないから気をつけるように言われましたが、45度もありそうな急勾配の場所で転んでしまいました。

 夫の繁治さんはもう駄目だと思い頭が真っ白になったのですが、静さんが夫に杖を拾ってくれと言うので静さんを見ると、両足で立っていました。

 その後、全快して76歳まで生きられた。そのお礼に1番から27番のどこのご本尊のおかげかわからないので、ご本尊が最も小さかった6番の安楽寺に本尊を寄進されました。

お手洗い前の
うすさま明王
神峯の水 鐘楼

 名水100選に選ばれた神峯の水にも伝説があります。

 ある女性が病にかかり危篤状態になった時、弘法大師が夢に現れて湧き水を飲ませてもらった。
 一命をとりとめた女性は、夢に出てきた場所を神峯寺で見つけたという話です。

手入れの行き届いた
日本式庭園
庭園の階段途中の
自生の百合に似た花
みちびき弘法大師

 神峯の水から159段の階段を登った所に本堂があります。
 階段の両脇には手入れの行き届いた美しい庭園があり、八十八ヶ所の中では類を見ない造形美です。

 以前、テレビで見た時、この庭の手入れは、お陰をいただいた方が、お礼にボランティアでやっておられましたが、お年でしたから今も元気でされているのでしょうか。



地蔵堂 本堂 観音堂

 また、この寺の有名な話として、三菱財閥の創始者の岩崎弥太郎に関する話です。

 幕末まで岩崎家は土佐藩の下級武士でしたが、弥太郎の母は子供の開運祈願の為、自宅から約20km歩き、更に急勾配の山道を21日間お参りしたそうです。

本堂から大師堂へ
不動明王像
大師堂 大師堂の縁起