第77番 桑多山 道隆寺(どうりゅうじ) 明王院 |
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所在地 〒764-0022 香川県仲多度郡多度津町北鴨1-3-30 電 話 0877-32-3577 宿坊 なし 遍路用品 単品あり 開 基 和気道隆 宗派 真言宗醍醐派 ご本尊 薬師如来 ご真言 おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか ご詠歌 願いをばぶつ道隆に入りはてて、菩提の月を見まく欲しさに |
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当寺領はもとは和気道隆公の荘園であつた。 天平勝宝元年(749)のある夜、怪光を発する桑の大木があり矢を射ったところ、光は消えて矢を受けた乳母が倒れていた。 道隆公は乳母を供養する為桑の木で薬師如来像を刻み、それを安置する為に堂宇を建立した。 |
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仁王門 | 仁王 | |
のちに弘法大師が当寺に留錫されて、二尺五寸立像の薬師如来を刻み、道隆公の彫った像を胎内に納めて本尊とし、四国77番札所に定めた。 薬師如来が二体ということで、腹ごもり薬師とか二体薬師とも呼ばれている。 |
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鐘楼 | 二百七十体以上の 観音像が寺内に並ぶ |
大師と衛門三郎 |
唐から帰国した弘法大師に師事した道隆公の子で第2代住職の朝祐法師が七堂伽藍を建立し、寺号を開祖の名をとって道隆寺と名付けた。 大師の弟法光大師、甥の智証大師など名僧が代々の住職を務めて繁栄したが、兵火により焼失した。 江戸時代に歴代住職の尽力で再建された。 |
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般若心経50万巻納経の 地蔵と? |
本堂 | 大師堂 |
和気道隆公の廟は本坊に祀ってあり、観音堂には理源大師作の観音菩薩像がある。 寺宝の星曼荼羅図は国の重要文化財で、持仏堂には智証大師作の五大尊の大日如来や不動明王などが安置されている。 また、弘法大師筆といわれる五大尊画像もある。 |
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びんずるさん | 厄除観音 | 薬師如来と稚児大師 |
「眼なおし薬師さま」としても有名です。 丸亀京極藩の左馬造公(法名潜徳院殿)は生まれつき盲目だったが、本尊に祈願したところ全快した。 潜徳院殿堂には、全国の眼病に悩む人が奉納した祈願札がはりめぐらされている。 |
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潜徳院殿堂 | 加茂稲荷大明神 | 和気道隆公? |
かつて五重塔が建っていたが、天正13年(1574)に長宗我部元親によって焼失した。 現在は、その後昭和55年春に多宝塔が建てられた。 |
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多宝塔 | 平成11年5月 吉田栄治郎先生と私 |
四国を223回目 巡拝の錦の札 |
この多宝塔の地下は中央の写真のように仏像が並んでいます。 吉田先生は、四国八十八ヶ所は200回以上、インド釈迦佛跡4回、中国西安青龍寺他9回、日本国内観音霊場数十回された偉大な先生です。 マザーテレサとの交流のエピソードやお釈迦様との不思議なご縁も直接お聞きすることが出来ました。 |
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北門 | 千体観音堂? | もどり観音 |
四国や小豆島霊場では貼り札や納札入や、真言の書かれた銅版など寄贈されたものにも名前をよくみかけます。 平成11年5月に訪れた時、吉田先生は94歳の年齢て゛多度津駅まで自分で運転して送り迎えしてくださいましたが、残念ながら、13年の7月に天寿をまっとうされました。 |
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? | ? | 灌頂堀の地蔵 |