珊瑚海海戦
(史上初の空母対決)
この文章・略図は、世界文化社『連合艦隊下巻・激闘編』を参考にしています。
比較検討と写真は、光人社NF文庫『写真太平洋戦争・第3巻』より参考・編集しました。
珊瑚海海戦・ミッドウェー海戦に至る原因は、ドゥーリットル本土爆撃が大きく関係しています。昭和16年12月8日の開戦以来、資源地帯確保の南方作戦は連戦連勝を続けていました。開戦同日のマレー半島コタバル上陸は、シンガポール在泊のイギリス艦隊の上陸阻止行動を惹起します(マレー沖海戦)。イギリス艦隊を撃滅し、南方作戦が当初の計画より速く進展している最中、この大事件が発生しました。
その大事件とは昭和17年4月18日、開戦からの連勝ムードを吹き飛ばすに充分な衝撃を、日本陸海軍司令部に与えました。日本本土、それも皇居の在る帝都空襲をアメリカ軍は強行したのです。その日は土曜の昼すぎで、多くの人が会社や学校から帰宅途中でした。突然、超低空で侵入してきた陸軍機B-25は、下図2のように東京、名古屋、神戸と爆撃して中国大陸に抜けたのです(1機だけソ連のウラジオストックに着陸)。
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空母『ホーネット』より飛びたつ陸軍機B−25爆撃機。甲板上の2本の線はB−25発進用に引かれたガイドラインで、左の太い線に左主車輪を乗せて滑走を開始しました。実写フィルムは、ビデオ化されている米映画、『ミッドウェー』にて見る事ができます。映画としてはB級ですが、実写を交えつつ史実を忠実に再現していると感じました。
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日本の被害は、死者約50名、負傷者約430名、全壊全焼家屋百数十戸。全くの奇襲であったかと言うと、そうでは無く、上図の監視艇配備線で哨戒していた特設哨戒艇の『第二十三日東丸』が、18日午前6時50分に敵空母発見を通報したのち、消息を絶っていました。しかし日本海軍側は、米空母艦載機の航続距離などから行動半径を、常識的に200浬(370km)とみて来襲は翌日と予測します。まさか620海里以上(1150km)の彼方の空母から、航続距離の長い陸軍爆撃機が発進してこようとは思いもよらなかったのでしょう。
一方、アメリカ軍側の真珠湾報復と米国民戦意高揚を計ったこの計画も、日本の特設哨戒艇に発見された為に、予定より10時間早く発進させる事になってしまいました。(計画発進点の150浬手前)計画では夜間爆撃でしたが、哨戒艇に発見された事により、予定を繰上げ昼間爆撃を強行します(猛将ハルゼーの決断)。この空襲に驚いた日本軍令部は、反対意見の多かったミッドウェー攻略作戦の推進に傾いていったのです。
日本軍部は、それまで『MO作戦』(ポートモレスビー攻略作戦)で、オーストラリアとアメリカ連絡路を分断しようと考えていました。それには、ニューギニア南東部のポートモレスビー基地を攻略しなければならなかったのです。その作戦が珊瑚海海戦をひきおこす『ポートモレスビー攻略作戦』です。MO機動部隊とMO攻略部隊は5月1日にトラック泊地を出撃し、3日にツラギ攻略、10日にポートモレスビーに上陸予定でした。しかし、アメリカ軍はこの頃すでに日本軍の暗号をほとんど解読していたのです。(電鍵の癖から、日本軍電信員を個別に特定判別さえできていたといわれています)
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上記図内は第二次世界大戦中で、日本軍、連合軍共に死者、沈没艦、航空機の損失が特に多く、最大の激戦地区と言われています。連合軍側は、暗号解読という手段によって、日本軍の『MO作戦』の概要を察知していました。しかし、攻略の日時までは特定出来ていなかったので、5月3日の日本軍ツラギ上陸は不意を突かれたかたちになりました。
日本軍が『MO作戦』に空母3隻を参加させているという情報を得ていた米軍は、珊瑚海に空母をさし向けようとしました。しかし、『サラトガ』は修理中、『エンタープライズ』と『ホーネット』は東京空襲の為、真珠湾に帰着していません。結局、J・フレッチャー少将が坐乗した『ヨークタウン』と、W・フィッチ少将の指揮する『レキシントン』の2空母を基幹とした部隊しか在りませんでした。日本軍のツラギ上陸の報に、レキシントンは燃料補給中であった為、単独ヨークタウン部隊(TF17)のみ北上を開始。5月4日ツラギ方面に対して一連の空襲を行い、数隻の小型日本艦艇を撃破しました。その後南方に避退し、6日『レキシントン』部隊と再度集結。この日の未明、ツラギより発進した日本軍飛行艇が、午前8時頃に敵空母部隊を発見し、正午近くまで接触を続けて動静を報告していましたが、戦闘を交えるまでには至りませんでした。
翌7日、日本機動部隊は未明に索敵機12機を発進させ、そのうちの翔鶴索敵機から午前5時22分待望の「敵空母発見」の報告が届きます。ただちに第五航空戦隊『瑞鶴』『翔鶴』2隻の正規空母の甲板から、戦爆連合計78機を飛び立たせました。その30分後に、先の索敵機より「敵空母は油槽艦と重巡1の誤認」という訂正が入り、艦橋は落胆します。(この誤認情報で攻撃隊が発進した為、後に的確な攻撃を欠く結果となります)
一方、攻撃機が現場に到着して目標が空母ではなく油槽艦「ネオショー」と駆逐艦「シムス」の2隻であったので、しばらく近くを捜索しましたが、当然何も発見出来ませんので油槽艦(沈没は免れ漂流)とシムスを撃沈して帰途につきました。その頃、別途重巡『古鷹』の索敵機から「敵空母発見」の新たな報告が入ります。つづいて衣笠の索敵機からも同様の報告を打電してきました。この報告に基づき、南洋部隊指揮官井上中将は、隷下の機動、護衛両部隊および基地航空部隊に総攻撃を下令します。
同時に、ラバウルを出航して以来南下を続けていた輸送船団に、一時北西海面に避退命令を出します。その輸送船団には改装空母『祥鳳』が直衛の任務に付いていたましたが、避退には同行せず南下をしていたところ、午前11時10分ごろから敵機が群がり襲ってきました。これは『ヨークタウン』と『レキシントン』両空母(下図 TF17)から発進した延べ92機におよぶ大攻撃部隊だったのです。結局、『祥鳳』は爆弾13発、魚雷7本を受けて、11時31分に「総員退去」が下令されました。(日本軍が最初に喪失した空母)
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『祥鳳』沈没後、第五航空戦隊司令官 原忠一少将は誤認情報後、再度の攻撃隊発進を画策。敵空母(TF17)との距離が400浬を超えた事を知り攻撃を断念しますが、その後敵が反転したという情報を得て、夜間飛行になる事を覚悟して遠距離索敵攻撃を敢攻しています。
攻撃隊は午後2時15分、『瑞鶴』艦爆6機、艦攻9機、『翔鶴』艦爆6機、艦攻6機の両空母から計27機で敵空母がいると推定される方角に向かい発進。米側資料には米空母のいた地域は日没とスコールで、視界は最悪の状況だったようです。日本機をレーダーで捕らえた米軍は急いで迎撃機を上げ、9機を撃墜しています(米側戦闘機損失2機)。避退で精一杯であった残りの攻撃隊は、味方空母と間違えて米空母に着艦しようとしますが大事には至りませんでした。結局、帰投中に機位をうしなった1機が自爆し、帰り着いたのは17機のみでした。
この戦いの結果、井上南洋部隊指揮官は水上艦艇による夜戦命令の撤回と、ポートモレスビー攻略の2日延期、機動部隊の明8日黎明攻撃を下令しました。
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5月7日夜、日米両軍は互いにそれと確認せずに、100浬以内に接近していましたが、夜の間にいったん南北に分かれています。翌8日、日の出前に日米両軍はほとんど同時刻に索敵機を発進。世界戦史上初の空母対空母の戦闘にふさわしく、兵力ほか彼我双方の条件はほぼ同じだったのです。
戦闘経過では、索敵機からの連絡も攻撃隊を発進させるタイミングまでほぼ同時刻でした。米機動部隊を発見した日本軍索敵機(翔鶴艦攻隊 菅野兼蔵兵曹長)は、帰途攻撃隊に会うと反転して敵艦隊上空まで誘導し、自らは燃料不足で未帰還となってしまいます。誘導された日本攻撃隊69機(零戦18、艦爆33、艦攻18)は、レーダーにより待ち伏せしていた米戦闘機、対空砲火(2空母を囲む輪形陣)に襲われながらも、午前9時10分、『レキシントン』『ヨークタウン』に突撃。『レキシントン』に魚雷2本、爆弾2発が命中(同日夜、駆逐艦による自沈処分)。『ヨークタウン』には爆弾1発が命中して小破となり南方に避退。
このころ、日本機動部隊も米機の攻撃を受けていました。米攻撃隊は途中の悪天候により分離し、ヨークタウン攻撃隊(39機)が『翔鶴』に爆弾2発、レキシントン攻撃隊(43機)が爆弾1発を命中させます。空母『瑞鶴』はスコールに隠れて事なきを得ましたが、『翔鶴』に攻撃が集中した為に爆弾3発が命中。飛行甲板が大破した事により発着艦が不可能となって北方に避退させています。これにより、帰還した両攻撃隊共に『瑞鶴』に収容されました。(被害の大きい飛行機は海中に投棄)
5月10日、聯合艦隊司令部はポートモレスビー攻略の無期延期を決定しますが、陸軍は陸路でオーエンスタンレー山脈を越え、片道分の食料と運搬可能な武器のみで進攻していきます。海戦自体は、かろうじて日本海軍の勝利といえますが、海路でのポートモレスビー攻略を阻止させた事はアメリカ軍の戦略的勝利といえるのではないでしょうか。それに、つづく『ミッドウェー海戦』を日本海軍に決意させた事も、アメリカ軍の収穫だといえます。
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炎上中の「レキシントン」を艦尾方向(艦載機の位置により判別)から撮影しています。魚雷の命中によりガソリンタンクが緩み、漏洩したガソリンの蒸気が艦内に蓄積されて、ガソリン発電機の火花が引火して大爆発を起こしました。沈没した「レキシントン」は米軍で最初の喪失正規空母となります。
下記の、ミッドウェー海戦に続く
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