著作紹介2

 

延原大川著『生命の泉』より

2003.11.27

2003年度紹介の文章

第八章 童心を求む

 これは言うまでもないことだが、かの信心なるものは、心に年のよらぬよう、万事が日月にうちまかせて、智慧分別を去り、いつまでも、こどもの心をはなれぬよう、日月さまを親様と思いたてまつって、肉体の事は忘れ、心ばかりという所をめどにして生きるにある。さすれば、自然と神徳を受けて、身心堅固になるものである。 いたいけなこどもが、無心に親を慕い寄るあの心持ちこそ、信心の端的である。くれぐれも、心に年をよせて、分別くさい人間にならぬことだ。「大人は赤子の心を失わず」と言う。ういういしい童心の世界にこそ、神人へだてなき純粋境がある。童心なきものは、神をみることはできぬ。

分別も智慧もきざさぬ童心の 一路に生きよ神に寄る人

第十七章 無理なき人生を  

 道のようすも、まず一服というところで、追々には、また大いに伸びてゆくことと思われるが、それも、結局はおぼしめし次第で、私には、別にどうせねばならぬという風な望みもない。  それにつけても、浮世の有様を見るのに、無理な望みを次々と起して、その望みのためにとらわれ、望みのために苦しみつゝも、砂上に楼閣を築いている人の如何に多いことか、つくづくおかしなことばかりで、まるで子供のまゝ事のように思われ、あほらしゆうてなりませぬ。  何か大事業でもするように思いこんで、たゞわが名をあげようがためや、財産や地位を築こうがために、我欲の限りを尽し、血みどろになつて争つた結果、出来あがつたものは何かと云えば、僅かに十年も続くか続かないかのはかないものでしかない。そんなもののために、精根をすり滅らしている浮世の人の姿は、幾度か砂を積みあげては崩し、崩しては積みあげている子供のまゝごとを思わせる。

 時に、指折り数えて見れば、私も、はや人生の半ばを過ぎたが、つらつらすぎ来し方を思えばかく思うわが半生もまた、かかる浮世のさまのひとつではないかと、ふと思われることがある。かく思う時、何かしら寂しい心が湧いて来ると共に、あゝ自分もこのままの姿で世に生きてゆくのもよし、いずれにせよ世の中は、何事も、無理のないように、安らかにその日を送るより外には別に楽しみもないという気がする。つまるところは、何事にもとらわるる所なく、淡々として生きる外、別にこれと云つて変つたこともない。それが本当の人生だと思う。悦んでみたつて、やがてそのうちには悲しみがあり、悲しい悲しいと思う中にも、時が来れば、またうれしいことにも出逢う。それが人生というものである以上、無理なことをしてまで、望みをとげようという気にはならぬ。いゝことがあつたからとて、有頂天になつてみても仕様がなし、悲しんでみたとて仕方もないことである。そこで、今一首歌が出来た。

悦びはかなしむうらと聞くからに もうよろこばずかなしみもせず

悦べどその悦びにとらわれず はた悲しみの湧けば湧くとも

第十八章  有無の二見

 天地人生の真相である生命の世界は、あたかも大空のようなもので、一定の相なく、一定の姿なくして、しかも常にあるものである。本来、相なきものであるから、われとか、わがものとかいう差別もない。しかるに、人はともすれば、ものゝ相にのみとらわれて、生命の真相をとらえ得ないから、とかく、われとかわがものとかいうものがあつて、それがいつまでもあると考えたり、また、あらせたいという執着を起す。これを「有の見」という。

  しかるに、有るものは、自已をも含めた一切のものが、実は生命の仮りの姿であつて、大空の雲のように絶えず移りかわるものであるから、つかみどころがない。そのつかみどころのない現象をば、常にあるものと思い、あらせたいと願望して、執着の心を起すのは、すべて「有の見」から起る迷いのためである。それゆえ、天地の真理、即ち道を求める者は、この「有の見」をはなれなければなぬ。現象の世界を常にあるものと見、またあらせたいと願うのは、普通の人情ではあるが、ものの相を正しく見得しない愚痴の心である。 ところでこの「有の見」とは反対に、「無の見」、というのがある。「無の見」とは、すべてのものは仮りの相であつて、ついに無に帰するものであると悟り、現に有るものをば軽視して、山林に逃れ、世聞のことに没交渉な隠者の生活を理想とする態度をさすが、これは、凡てのものを常にあると見る「有の見」にくらべると、勿論悟つているのではあるが、その悟りにとらわれて、現に吾々が生存している現象の世界、世間のことを軽視するのは、一方に偏した考えであつて、これも正しくない。仏教では、これを「断常の二見、ともに截断せよ」などといふ。

 さて、すべての現象を常にありと見て執着する「有の見」即ち迷いの立場をはなれるということは、これは比較的容易であつて、追々には、はなれることも出来るが、「無の見」即ち悟りの立場をはなれるということは、中々自力では叶わず、天の助けを仰がねぱならぬと思う。 元来、ものを「有」と見る立場が即ち迷いであるから、ものを「無」と見る悟りの立場がでて来るのであるが、みな一面的であつて、生命の真相は「有」であると同時に「無」であり、「無」であると同時に「有」である。花は咲いたと思うまもなく散り、散つたと思うとまた咲いて来る。人間の考える有とか無とかいう観念のものさしにはかゝらない。つまり有無相対を絶したところに、生命の真相があるのである。この有無の相対を絶したところの生命と一体となる、そこに、宗教の天地があるのであるが、これに「有」とか「無」とかの分別意識はじやま物で有無の二見をたちきつて、一超直入、つまり、ひと思いにぽうんと、この生命の大海にとびこまなくてはならぬが、それについては、どうしても、神の助けによらねばならぬのである。迷いだの悟りだの云つている間は到底救われない。そこに、求道者としての私の脳みもあるのである。たゞしかし、例の講詰の時のみは、我をはなれ、有無迷悟の分別をはなれて神と一体の境地に立つている。あとはまた元の通りの始末であつて、甚だ残念に思う次第です。

有無の二見ともにはなれていさぎよく 高天原に住めや人々

第十九章 神仏ということ

 前に述べたように、有無の二見は、いずれも、一方的な観点に立つた見方で、大生命の完全なる真相ではないのである。すべてのものを、常住不変のものと見、わがものと思つて執着するのは、生命の真相に即しないから迷いである。又、反対にすべてを無きものと観じて、世をはかなむのも迷いである。すべてのあるものは、あるかとすればなくなり、なきかと思えばまた現れる。千変万化すること、あたかも雲の如く生滅の相を現ずる。それが生命の真相である。生命は一切万象の生滅の相をはなれている。生滅を現じつゝ生滅を超えて居る。これが生命の姿、神仏のみの姿である。それゆえ、有無の二見をはなれたならば、直に神であり、仏である。「有無をはなるれば直に神也仏也」とはこの意味である。神仏は人間の有無の観念を超え、迷悟を見をはなれて居る。有と見ようが、無と見ようが、悟ろうが迷おうが、神仏の御存在に影響はない。たゞ現象の上から見てゆくと、ものは必ず生滅の相を現ずる。人生は、この生滅の相の上に築かれて居るのであるから、現象本位、物質本位の人生観に立つ以上、貴賎ともに、私の考えによれば、もはやこれで完全に満足したということはないのである。そこで、

思うこと叶わねばこそ浮世なれと 思いわくるぞさとりなるらん

ということになる。つまり、何かにつけて、思うようにゆかぬが浮世の常と思いわけてゆくところに、悟りというものがあるわけで、一応はこの通りのように思われるのであるがしかし、真の道は、この悟りをはなれたところにあるのである、なぜかというのに、この道は、現象本位、物質本位でなくて、それらのものを包容した生命の完全な相の上に立つものだからである。もののありなしをはなれ、生死の相をはなれてみれば、一切はそのまゝに生命のあらわれであり、ものはそのまゝで完全であるからである。足りないものは足りないまゝに、足つたものは足つたまゝで、そのまゝが生命自らなる現われである。俗に云うおでこはおでこのまゝで、そつ歯はそつ歯のまゝで完全なのである。おでこをきらつて不足を起し、金槌でもつて叩き直さうとするが、中々叩き直せないので、結局、思うようにはゆかぬが世の中と、始めて悟りをひらくというのでは心細い。おでこそのものの中に、他のおでこならざる人のもつていない特種の美を発見して、おでこの、そのまゝを喜べる姿になつて来るのでなければ、道を心得たものとは云えないのである。

そのまゝをたゞそのまゝにすらすらと 生きゆく人ぞ神にしありける

第七十五章 おかげと思えば何事もつとまる

 近頃は、道もいよいよ盛んになり、ありがたい事がだんだん現われて居りまして、夜昼なしに諸方から、招待を受け、すつかり閉口の形ですが、しかし、何事でも、おかけだと思えば勤まるものであります。何事も神さまのおはからいだ、神さまがさせて下さることだ、天命だと思えば、間に合うものであります。ごらんなさい。彼の目月の昼夜を分たぬ運行の有様を……これみな自然の天命、大自然の道であつて、日月に少しの我というものがないから、昼夜世界をお照しになつても、いさゝかもお疲れになるということはないのであります。これを思うに、天命と思えば、如何な事でも出来ぬと云うことはなく、思えば、天命ほど、尊いものはありませぬ。一切おかげだ、一切御神慮だと思つて、お互にその日々をありがたく暮らしてまいりたいと思います。

日月のめぐるも天命(みかげ)鳥なくも 花さくもみな天命(みかげ)なりけり


 

昭和32年12月発刊 延原大川著 『心のふるさと』より

二 月  『春雪譜』

月を得てはなやぐ雪に春ありぬ

春雪の戸を出て淡き月を踏む

 これは、美作の山おく、海抜二千尺ちかい高原の村で、ひとり歌いつつ土を耕して来た農民詩人富田一草の句である。いかにも美しい。  この頃になると、霏々たる春雪が舞う。 妻子を残し、職を求めて村をでて行った日の、かなしく舞い散った春雪を忘れ得ない。 頭をめぐらせば、すでに二十数年の昔となったが、静かな山居の生活を捨てなけれぱならぬ悲しみは、春雪の消えやすきが如くに消えやらぬ。春雪に逢うたびに、望郷の思いは新たである。春雪はわが傷痕である。  さらさらと、戸の面(も)に雪の音をきいて、青燈の下に書を読んだ夜もたのしかった。炉に大きた茶釜をかけて、香ばしい番茶を煮つつ障子をあけて雪を見た思い出も忘れがたい。夜は、裏の竹藪に鳴る雪の音が、ことに静かであった。その雪の音をしみじみときき、蕎麦粉をかいて食べる素朴なたのしみはなおさら懐しい。  田畑の岸には、うっすらと青いものがきざし、その上に、ぽたぽたと降る春の牡丹雪は美しい。春の雪は明るいかなしみのように降る。こまかい、ぬかのようた軽い小雪が、ちらちらと舞って、タ方になって、くっきり空が晴れると、どこかに一刷毛うす紅の色がながれる、そんな日もいい。山中に住んでいると、とりわけて人恋しさの心がわく。平和の尊さを身に泌みて感ずるもそのようなタベである。

どことなく匂ひわたれる如月のタベの空に恋ふる思ひあり 詠人不知

 久遠のおもかげを瞥見するとでもいおうか、このような情熱は、二月でないと到底味わえぬと思う。清潔で簡浄でなお凛々たる中に、ほのかに来向う春への期待が、人の心に若々しいあこがれを誘うのである。如月(きさらぎ)という二月の異名の語源がどこにあるのか、まだ調べたこともないが、そのひきしまった語感の中に何かしら清浄な春雪の気を感じさせる。

さらさらと竹に音あり夜の雪 子規

 は、春雪ではないが、ふと思い出す。いかにも清韻と云うべく、子規の比較的初期の作品として、今なお生命を持っている。

以上 春雪譜から抜粋。

七 月 『 蝉  』

 中学生の頃の記憶は、誰にとっても、懐しいものと思う。私は、夏の休暇になると、解 放された喜びと共に、故郷の山に飛んで帰って、毎日のように好きな林の中にはいって、 花を摘んだり、本を読んだりして過した。父も母もまだ元気であったから、何も気にかか ることはなかった。 私は学科の方はそっちのけで、啄木や牧水を耽読し、詩歌に親しんだ。村の鎮守の森 に、古い柊の木があった。私はその一の枝に腰かけて、啄木を読んだ。森は冷々として、 樫の大木からは、降るように蝉の声がした。 朝早く眼をさまして前の畑の野菜を見ていると、青白いうす絹のような羽をふるわせな がら、殻を破って出て来たぱかりの蝉が歩いているのをよく発見した。私はその美しさに ひかれ、手にとって、つくづくと見た。真青な首筋には、微かな銀粉のような斑紋が浮い ており、先のちぢれたような羽は朝の露にぬれて光っていた。まだ吊ったままの蚊帳にと まらせて、その若蝉の這うのを見てたのしんだことを思い出す。

 小学生の時分は、学校が引けると、村の柿の木や樫や欅の大木にとまって啼く蝉をとる のが仕事だった。うすく削った竹べらを楕円形に曲げて手許のところを竿の先にさしこ み、家々の裏廂などにかかっている、粘りの強い鬼ぐもの巣の糸をまきつけると、簡単に 「蝉とり」が出来る。それをかついで歩く。蝉は押えそこねると、ぴいッと小便を垂れか けて逃げ、隣の梢に移って、また平然と啼き立てる。足音を忍ばせて又それを捕えにかか る。しかし、やがてのことに、遊びつかれて昼寝をし、ふと眼がさめたばかりの耳に、遠 くの方で啼いている蝉の声をきくのは、何となくはるかなもの悲しい感じがした。子供な がらに、一種の無常感に似たようなものがあったのかも知れない。あんなに啼き立てる蝉 が、間もなく、啼かなくなることを知っていたからである。生長してのちに、

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉

を読んで、人間もまた蝉のひとつにすぎないことを自覚した。六、七年も土の中でくら し、やっと一人前の蝉になって、わずかに一週間も生きているかいないかだときかされて みると、一層蝉がいじらしくなった。

啼く蝉よ浮世のおきてのがれ得ず

などと駄句ったことがある。しかし、じいいんと啼きに啼き澄んだ時の蝉の声には、何か しら、永遠の余韻のようなものがある。木も草も何もかも、その中に溶かしこむほどの力 があり、静寂なものがあり、雑木林などで、たったひとつの油蝉が啼き立てているのをき くと、思い入った真剣さの前にふと涙ぐむことがある。蝉にして見れば、ただ雌を呼ぶた めに必死になっているのであろうが、聞く方にすれば、何か、この永遠の、どうすること もできない、恐ろしい無関心の沈黙に対して挑戦しているとしか思えない。そのせつなさ は、つくづくと胸にしみ込むのである。人間のあらゆる真剣の営みも、この沈黙の巨岩の 前の蝉声ではないのか。この沈黙せるものの秘密を打破ろうとの試みではないのか。なる ほど、沈黙は一部分、ほんの僅かの時間破られる。しかし、破れきった所も沈黙であり、 声の止んだのちも又沈黙である。しかし、そうではあっても、啼かずにはおられぬこの蝉 なのである。